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たばこ代1000円の衝撃

たばこ増税か消費税か
政治アナリスト 花岡 信昭氏




福田首相が主要国の通信社代表との記者会見で、消費税の税率アップは不可避という判断を表明した。慎重居士の福田首相としては踏み込んだ発言だが、一方で「たばこ1000円」が現実味を帯び始めてもいる。政治攻防の中で「たばこ増税 vs.消費税」の構図が浮き彫りになってきた。

福田首相の発言が飛び出したのは17日。会見の途中で、唐突に「消費税がいま5%なんです。ヨーロッパの国と比べると非常に低い」と発言した。これについて福田首相は記者団に「20%ぐらいのところが多い国のメディアが大勢いたから、日本は5%でも国民皆保険を達成しているということを強調したかった」などと釈明している。

消費税論議が来年度税制改正の最大の柱であることは言うまでもない。基礎年金の国庫負担分を3分の1から2分の1に引き上げるための財源確保には少なくも1%(2.5兆円)の引き上げが必要だ。

自民党内には、通常は年末に行う党税制調査会の論議を通常国会閉幕後、ただちに始めるべきだという声も強い。





福田政権に消費税に取り組む政治的パワーはない

大平政権の大型間接税構想以来、竹下政権で消費税導入に至るまで10年かかった。当時は3%。これを橋本政権下で5%に引き上げた。自民党にとって、消費税は難物中の難物だ。

あの当時、「税調の神様」とまでいわれた山中貞則氏(党税調会長)は、「きょうから消費税の論議を開始する。みんな、次の選挙は落選覚悟でこの問題に取り組んでほしい」と檄を飛ばしたものだ。悲壮の決意が求められるテーマなのである。

山中氏は税制論議が始まると、陳情のたぐいをいっさい受け付けなかった。「白刃を抜き身でぶら下げている政治家」などともいわれたほどで、取材に当たっていた当方などは、その迫力の前に党本部の廊下で出会っても声をかけるのをためらったほど、ピリピリとした緊張感に圧倒された。もっとも素顔の山中氏は気さくな一面もあり、地元、鹿児島の繁華街・天文館でカラオケに興じたことをなつかしく思い出す。

なぜ山中氏のことに触れたかというと、消費税に取り組むには、ある種の「狂気」ともいっていいほどの政治的胆力がないと、とてもではないが無理であるということを強調したいためだ。中曽根康弘元首相が後継者選定に当たって、大方の予想(安倍晋太郎氏が最有力とされていた)を覆して竹下登氏を指名したのは、消費税導入をやるかと確約を求め、これに真正面から応じたのが竹下氏だけだったため、ともいわれる。

福田首相にそれだけの気概、政治決断があるかというと、これはなんとも危うい。消費税の大幅引き上げ断行は、政権崩壊を覚悟して初めて可能になる。もっとも、消費税と退陣をバーターにすることができれば、歴史に残る宰相ということにはなる。

民主党はもともと消費税引き上げには賛成の立場だが、国民の信頼を欠いた福田政権にはその資格はないとして、例によっての政略優先で、引き上げ反対を貫く構えだ。支持率低迷にあえぐ福田政権には消費税に真っ向から取り組むだけの政治的パワーはないというのが大方の見方であろう。






財源確保策として浮上した「たばこ1000円」構想

経済財政諮問会議の「骨太の方針2008」素案では社会保障の安定財源確保に言及した部分で「あらゆる世代で広く負担を分かち合う」といった表現をしている。消費税を年頭に置いたものであるのは言うまでもない。

いずれ10%、20%という時代が来るのは不可避と見られているのだが、問題は、来年度税制改正でそのスタートを切ることができるかどうかだ。来年度に限っていえば、基礎年金国庫負担分に相当する1%分が生み出せれば、それでいいことになる。それでは、消費税以外の財源確保策はないのか。そういう流れの中で浮上したのが「たばこ1000円」構想だ。

1000円にすれば、たとえ喫煙人口が3分の1に減っても3兆円は見込める。これを実現できれば、福田政権は消費税に触らずに済む。来年9月の衆院任期満了までには解散、総選挙をやらなくてはならないのだが、できる限り、消費税とは切り離した時期にしたいという思惑が自民党側にあるのも当然だ。消費税論議をいったん封印し、総選挙を先行させて、選挙後に本格論議を再スタートさせるという「うまい手」が通用するのかどうか。

自民党内には、成長路線を重視する「上げ潮派」と消費税引き上げを軸とすべきだという「財政再建派」の対立構図が鮮明になりつつある。「上げ潮派」の代表格である中川秀直元幹事長が「たばこ1000円」派の先頭に立っているのはよく分かる。たばこ増税によって当面の消費税引き上げを回避し、福田政権を守るというスタンスだ。

基礎年金を全額税負担とした場合、最大で消費税18%となるという試算も公表された。だが、これは年金だけの話である。医療や介護なども含めて、社会福祉施策全体でどれだけの財源が必要なのか、消費税をどう位置づければいいのか、総合的かつ壮大なシナリオを描くのが政治の責務である。





「たばこ600円」で消費税回避か

「たばこ1000円」の落としどころは、現行の2倍、600円程度に想定されているという見方もある。その場合、喫煙人口の減少幅は1000円とするよりも小さいと見られるから、財源確保の計算が成り立つのかもしれない。

中川氏や民主党の前原誠司氏らが参加する「たばこと健康を考える議員連盟」は、その名の通り、たばこによる健康被害の側面からも価格アップで喫煙人口を減らすということに力点を置くらしい。だが、真の狙いは消費税回避にあると見ていい。

たばこ増税か消費税アップか、という構図は、どう見ても「大きな政治」とはいえない。そうした意味で、急浮上したたばこ増税論は、矮小化された政治の象徴的事象といえるのかもしれない。

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  1. 2008/06/21(土) 21:17:56|
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『論語』が深めた日本の国柄

Japan On the Globe 国際派日本人養成講座



■1.孔子の喜びに弾んだ肉声■

「孔子は、その思想が当時の為政者に入れられず、不遇の人生を歩んだ人だ」と思っていたのだが、実は「その内面では学ぶことの喜びに充ち満ちた幸福な人生を送った人ではなかったか」と『子供と声を出して読みたい「論語」百章』[1]を読みつつ今更ながらに気がついた。

著者の岩越豊雄さんはこう語っている。

私は小学校の校長を退職した後、子供を対象に、江戸時代の「寺子屋」をモデルに、素読と習字を組み合わせた塾を始めました。対象は小学生たちですが、喜んで『論語』を素読しています。リズムの美しい簡潔な文で、読んで心地よい名文だからだと思います。[1,p31]

この本は、岩越さんが子供たちに『論語』の一章ずつを読み聞かせた内容をまとめたものだが、その文章を通じて、孔子の喜びに弾んだ肉声が聞こえてくるような気がした。『論語』の解説書は何冊か読んだことがあるが、こういう経験は初めてである。

こういう本を通じて、子供の時から学問の喜びを感じる事ができれば、それはこれからの長い一生を支える「学ぶ力」「生きる力」となるだろう。

■2.「学びの喜び」■

孔子の喜びは『論語』冒頭の第一章から弾んでいる。 [1,p37]

子(し)曰(いわ)く、学びて時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや。人知らずして慍(いか)らず、また君子ならずや。

先生がおっしゃった。学んだ時に、よくおさらいをする。それが自分の身についたものになってくる。なんと喜ばしいことではないか。心知る友が遠くから訪ねてきてくれる。なんと楽しいことではないか。人が認めてくれなくとも怒らない。なんと志の高い優れた人ではなかろうか。

この一章を、岩越さんは、子供たちにこう解説する。

「学ぶ」は「まねをする」に由来するといいます。「習」は雛鳥(ひな)が巣の上で親鳥の羽ばたきをまねて、飛び立つための練習をしている字形だといいます。

どのようなことでも、練習して初めてできるようになった時の喜びは誰でもよく覚えています。例えば自転車に乗れるようになった時とか、体が水に浮いて泳げるようになった時の喜びなどは、生涯忘れられない思い出です。学んだ時にはそれを何度も繰り返し、練習してできるようになる。それが「学びの喜び」です。小さな事でも、「わかった」、「できた」、「やり遂げた」という喜びを体験し、積み重ねると、自信にもなり、物事に意欲的に取り組めるようにもなるのです。

自転車や水泳を例に「学びの喜び」を説くあたりが、いかにも小学生にふさわしい。

■3.「学び」と「友」と「不足を思わない」■

その後に続く「朋(とも)あり、遠方より来たる」と「人知らずして慍(いか)らず」については:

学んだことが身につき、自信がつけば自然と互いに心が通じる友ができ、楽しく語り合うこともできます。そうした友が、思いがけなく訪ねてくれた時は、本当に嬉しいものです。

水泳の例で言えば、一緒に水泳を習う友達どうしが、自分は背泳もできるようになったよ、などと語り合う喜びだろう。

しかし、たとえ自分が学び、力をつけても、他の人がわかってくれない、認めてくれない時もあります。それでも怒ったり、不足を言ったりしない。そうできる人は、ほんとうに志の高い優(すぐ)れた人です。

へたくそな泳ぎで、級友も先生もなかなか褒めてくれないが、別に不満を言ったりしない。自分自身の上達そのものが喜びだからだ。

「学び」と「友」と「不足を思わない」、この3つの事柄は、学問の喜びということで一貫しているのです。

岩越さんのこの指摘から、私は初めて、孔子の抱いていた「学問の喜び」に触れえたような気がした。

■4.「あれが目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」■

さて孔子の志した学問とは、どのようなものだったのか。それを孔子の行動を通じて説いた小学生にも分かりやすい一章がある。[1,p204]

師冕(しべん)見(まみ)ゆ。階(かい)に及ぶ。子(し)曰(いわ)く、階なりと。席に及ぶ。子曰く、席なりと。みな坐す。子之(こ)れに告げて曰く、某(それがし)はそこにあり、某(それがし)はそこにありと。師冕出(い)ず。子張(しちょう)問いて曰く、師と言うの道かと。子曰く、然(しか)り。固(もと)より師を相(たす)くるの道なりと。

目の不自由な楽師冕(べん)が訪ねてきた。先生は自ら出迎えて案内し、階段に来ると「階段ですよ」と言われ、席に来ると「席ですよ」と言われた。一同が座ると、「誰それはそこに。誰それはここに」と一人ひとり丁寧に教えられた。師冕が帰った後で子張が「あれが楽師に対する作法ですか」と訪ねた。先生が答えられた。「そうだ。あれが目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」



目の不自由な者の身になって、きめ細かに対応する孔子の温かな配慮が伝わってきます。相手の身になって行動する、まさに仁者の在り方を具体的に学べる章です。

子張が質問したのは、一盲目の楽師に対して、孔子の取った対応があまりにも丁寧で、礼に過ぎるのではと思ったからです。「然(しか)り。固(もと)より師を相(たす)くるの道なりと」ときっぱりと答える孔子の言葉に、まごころからの思いやり、「忠恕」を「一以て之を貫いた」孔子の確信ある生き方を髣髴(ほうふつ)とさせます。

目の不自由な人を導いてあげることは小学生でもできることである。そういう誰にでもできる「まごころからの思いやり」が、孔子の学問の核心であった。

■5.「人を尊び、まごころから思いやる」■

「忠恕」を「一以て之を貫いた」とは、次の一章に出てくる言葉である。

子曰く、参(しん)や、吾(わ)が道、一(いつ)以(もっ)てこれを貫(つらぬ)く。曾子曰く、唯(い)と。子出(い)ず。門人、問うて曰く、なんの謂(い)いぞや。曾子曰く、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。

先生が曾子に呼びかけておっしゃった。「参(曾子)よ、私の生き方は一つのもので貫かれているのだが」と。曾子はただ「はい」と答えた。先生は部屋を出て行かれた。門人たちが「何を言いたかったのですか」と尋ねた。曾子が言った。「先生が貫かれている生き方は、人を尊ぶまごころからの思いやり、それに尽きる」と。



「忠恕」の字の作りは、「中と心」と「如と心」です。「中心」とはまごころのこと、「如心」とは、自分の心の如く人の心をおしはかるという意味です。つまり「人を尊び、まごころから思いやる」ことです。『論語』でしばしば触れられる「仁」にも通じます。それは孔子の一貫した生き方でした。

ちなみに「仁」については、こう解説されている。

「仁」とは「人」と「二」を組み合わせた漢字です。つまり、人と人との人間関係における倫理・道徳の基本である、「まごころから人を思いやる」ことです。[1,p40]

孔子の学問は、誰でもが持つ「まごころ」「おもいやり」をいかに引き出し、発展させるか、という所にあった。

■6.「素直な社員は良く伸び、仕事もできる」■

「まごころ」と「おもいやり」を伸ばすために、孔子は次のように若者に教え諭している。

子(し)曰(いわ)く、弟子(ていし)、入りては則(すなわ)ち孝、出でては則ち悌(てい)、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、則ち以(も)って文(ぶん)を学ばん。

先生がおっしゃった。若者よ、家では、親孝行、外では目上の人に素直に従う。何事にも度を過ごさないように控えめにし、約束を守る。多くの人を好きになり、善き人について学ぶ。そうした上で、まだゆとりがあるなら、本を読んで学んでいけばいい。



「親に孝行することや、人に素直であること」と「勉強すること」と、どっちが大切かと問えば、今は親も子も大抵は「勉強すること」と答えます。でも、孔子は逆だと言っています。

一流大学を優秀な成績で卒業しながら、違法な株取引で逮捕されたり、エセ宗教にひっかかって人を殺めたりする人間は、勉強ばかりしていて、「まごころ」や「おもいやり」を磨かなかった人間失格者であろう。

本当に優秀な人は大抵、素直です。経営の神様といわれた松下幸之助も「素直な社員は良く伸び、仕事もできる」と言っています。[1,p46]

親孝行、素直さ、謙虚さ、謹み、信頼、こうした人格的基礎を土壌として、その上に知識や技術が花開くのである。

■7.『論語』が深めた我が国の国柄■

『論語』は16百年ほど前に、海外から我が国にもたらされた最初の書物であった。そしてその「忠恕」や「仁」を核とする思想は、民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、すべての生きとし生けるものが「一つ屋根の下の大家族」のように仲良く暮らしていくことを理想とした我が国の国柄[b]には、まことに相性の良いものであった。

そして我が先人たちは『論語』に学びつつ、我が国の国柄を深めていった。岩越さんは、その歴史を簡潔に振り返っている。

聖徳太子は、『論語』の「和」を深めて、「十七条憲法」の第一条に「和を以て貴しと為す」と説いた。鎌倉時代の「曹洞宗」の開祖・道元禅師は、世を治めるのは『論語』がよいと推奨していたという。

江戸時代には『論語』研究が盛んになり、中江藤樹[c]、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠などが独自の思想を発展させた。こうした学問の系譜から、吉田松陰、西郷隆盛など幕末の志士が生まれ、明治維新への道を開いていく。

■8.「素読」の合理性■

こうした歴史を俯瞰した上で、岩越さんは語る。

偉人や学者だけではありません。江戸時代は一般の武士も庶民も『論語』を学びました。各藩の藩校はもちろん、庶民の子弟の教育が行われた寺子屋では、『論語』等の素読が行われていました。

「素読」とは、文章を意味はさておき、声を立てて暗唱できるまで、繰り返し読むことです。「読書百遍、意自ずから通ず」という言葉があります。声を出して何度も読んでいくうちに、自然にその意味が表れてくる、分かってくる、そうした読み方を言います。[1,p28]

「意味もわからない文章を丸暗記させるなど、なんと封建的な」と考える人も多いだろう。それに対して、岩越さんは小林秀雄の次の言葉を引用する。

(素読を)暗記強制教育だったと、簡単に考えるのは、悪い合理主義ですね。『論語』を簡単に暗記していまう。暗記するだけで意味がわからなければ、無意味なことだと言うが、それでは『論語』の意味とは何でしょう。それは人により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。一生かかったってわからない意味さえ含んでいるかも知れない。それなら意味を考えることは、実に曖昧な教育だとわかるでしょう。丸暗記させる教育だけが、はっきりとした教育です。[1,p30]

■9.『論語』の言葉を胸に、人生を歩んでいく■

「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」というような言葉も、少年時代、壮年時代、そして熟年時代と、人生経験を積むにしたがって、自ずからその味わいも深まっていくだろう。素読とは、そのような言葉の種を幼児期から心に埋め込んであげることである。

小学生にたわいのない英会話を教えるよりは、はるかに高級な人間教育ではないか。そこから、しっかりとした精神的バックボーンを持った日本人が育っていくだろう。

すでに大人になってしまった人でも、『論語』の中の心に響く一節を暗記して、それを時々反芻しながら、自らの人生を歩んでいく、という生き方も良いのではないか。

ちなみに天皇陛下は「忠恕」という言葉がお好きだそうだ。ひたすらに国民の安寧を祈られる陛下ならではの言葉である。

『論語』の言葉を胸に抱いて人生を歩んでいくのが、我が先人たちの生き方であった。





■参考■
1. 岩越豊雄『子供と声を出して読みたい「論語」百章―人の品格
を磨くために』★★★、致知出版社、H19

子供と声を出して読みたい「論語」百章―人の品格を磨くために子供と声を出して読みたい「論語」百章―人の品格を磨くために
岩越 豊雄



  1. 2008/05/05(月) 20:56:00|
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自己イメージ自由自在

【正論】「IT」と人間革命 東京大学教授・西垣通



■近代人と異なる「ネット人格」

IT革命という言葉が広まってから約8年たった。社会はどう変わっただろうか。肝心なのはそれが、技術や経済だけでなく「人間の革命」でもあるという点なのである。

振り返れば、進展はそれなりにあった。ブロードバンド回線はかなり普及したし、放送と通信の融合やユビキタスネット技術についても、専門家のあいだで地道な努力が積み重ねられている。中でも一般の利用者にとって最も衝撃的だったのは、一昨年に米国から到来したウェブ2・0ではなかっただろうか。

それはまさに黒船だった。専門家は、単なるIT業界におけるパソコンメーカーと検索サービス企業との覇権争いと分析するかもしれない。だが一般利用者から見ると、データベースから瞬時にさまざまな知識を検索でき、しかも無料のアプリケーションソフトも使えるというのは朗報というほかはない。

むろん、能天気なウェブ2・0礼賛には批判もある。無料というのは、広告と組み合わされているからであり、一般利用者がアプリケーションソフトを使用すると、いつのまにか広告の片棒をかつがされてしまう。検索サービス企業に情報が一極集中し、知らないあいだに操作される危険性もないではない。

≪新たな共同体の誕生≫

だがこれらの長所短所を別にして、さらに議論すべき大切な問題は、ネットによって新たな人間観が生まれつつあるという点なのだ。

ウェブ2・0によって、一般の人々がネットを読み書きする自由度ははるかに大きくなった。ネットはすでに、テレビより身近なメディアになりつつある。とりわけ若者は、マスコミよりネットの情報を頼りにし始めている。

独り暮らしの若者で新聞をとらない者は多い。学生たちは、無料百科事典であるウィキペディアをはじめ、ネット上で流通している記事や知識を検索してリポートを書く。ウィキペディアの書き手には誰もがなれるのだ。

とくに興味深いのは、ネット上でつづられる個人の日記「ブログ」である。若者はもちろん、今や多くの老若男女が、気に入ったブログの熱心な読者になり、自分でもブログをつづる。人々はブログを通じて見知らぬ相手とつながり、さらに自分のアイデンティティーを見いだそうとしているのだ。そこにはあたかも結社のように、一種のネット共同体が形成されていく。

100年あまり前、新聞は人々の意見をまとめあげ、近代国家を支える「国民」をつくりあげた。さらに50年ほど前から普及したテレビは、大量生産・大量消費の共同体をつくりあげた。そして今や、ネットが、新たな人間同士の出会いや連帯の場をつくりあげつつあるのである。注目すべきは、ブログを書くことによってネット上に出現する人格が、これまでの近代的な個人とはやや異なる性格を持っているという点である。

近代的な個人とは、少なくとも理想的には、独立して思考する主体である。政治的・経済的な自由を要求するかわりに、首尾一貫した論理にもとづいて行動し、言明したことに責任をとる人格である。たとえ現実と理想とのあいだに落差はあっても、この理想的な近代的個人を基準にしてものごとが語られてきたことは間違いない。

≪自己イメージ自由自在≫

しかし、ネット人格とはそういう存在ではないのである。男性の名前で書かれたブログも、実は著者は女性かもしれない。むろん、逆もありうる。一人の人間が幾つかの名前で別々のブログを書くこともできる。あるいは逆に、何人かが交代で、一つのブログを書くこともある。そこに出現するのは多重人格や融合人格なのだ。彼ら・彼女らは、ネット上の言説から強い影響を受けつつ、自由自在に自分のイメージを変転させていく。

さらに、言明したことに責任を持たせることも難しい。過激な発言はいっとき注目を集めるが、膨大な情報の海のなかでたちまち影響力を失い、消えていく。根も葉もない誹謗(ひぼう)中傷は困ったものだが、すぐに忘れられるなら、それほど目くじらをたてるまでもない、という意見さえ出てくるかもしれない。

こういう風潮は、早晩、近代的個人とそれにもとづく近代的社会という理念を侵食していくだろう。もはや、単に嘆いたり、抑圧的な政策をとったりすればすむというわけではない。

われわれは冷静に事態をみつめ、望ましい21世紀ネット社会とはいったい何か、それをいかに築くべきか、真剣に模索していく必要があるのである。

東京大学教授・西垣通(にしがき とおる)


  1. 2008/04/29(火) 18:03:20|
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世界最強のローテク

【すごいぞ日本】 たった1人の五輪ボイコット


 1996年アトランタから2004年アテネまで、日本が3大会連続で金銀銅メダルを独占してきた五輪種目がある。陸上男子砲丸投げ。といっても選手の話ではない。メダルを獲得した選手の砲丸が、ことごとく日本の、それも小さな町工場で作られているのだ。北京でも当然、日本製「魔法の砲丸」のメダル独占は確実…のはずだった。

 埼玉県富士見市。有限会社辻谷工業は東京近郊の小さな商店街の一画にある。2階建ての1階が工場、上は自宅。旋盤のハンドルを握り、黙々と砲丸を削っていた辻谷政久さん(75)があっさりと言った。

 「北京はやめました」

 04年8月、サッカーのアジアカップが中国・重慶で開かれた際、現地サポーターが見せた日本に対するむき出しの憎悪。それが辻谷さんには気がかりだった。悩みに悩んだ末、4大会連続メダル独占の偉業を断念し、砲丸の卸先の運動具メーカーに北京五輪用は作らないと伝えた。去年の11月のことだ。

 「砲丸は私の分身です。とても中国には出せない。大事に使ってくれる選手には申し訳ないが、職人としての意地があります」

 五輪の砲丸は、審査を経て認められた数社の製品が公式球となり、選手は競技場でその中から使用球を選ぶ。アテネでは、決勝に残った8選手中7人が辻谷さんの砲丸を選択した。他の砲丸はインド製がかろうじて4位に入っただけだ。

 世界のトップ選手が「1~2メートルは記録が伸びる」と評価する「魔法の砲丸」の辞退で、北京五輪の優勝記録が少なくとも1メートルは短くなるとの予測もある。

 なぜ伸びるのか。「ローテクだから」と辻谷さんは言う。砲丸は鋳物の素材を旋盤で削って作る。男子用の基準は重さ7・26キロ。それより軽いものは認められない。誤差は+25グラムまで。外国メーカーはコンピューター制御のNC旋盤という機械を使い、基準の重さで球体に近づけていく。

 ところが、鋳物には鉄だけでなく、青銅や銅、その他の不純物が混じり、冷却時に残る空気のムラもある。完璧(かんぺき)な球体だと重心が真ん中から大きく外れてしまうのだ。辻谷さんが使う汎用旋盤はハンドルで前後左右に刃を移動させながら削る。最先端のNC旋盤より手動のローテク旋盤が優れているのは、比重のムラを見極め、右側の半球を薄めに、左は少し厚く…といった応用が利くことだ。

 調節しながら重心を真ん中に持っていく。

 では、その比重のムラはどのように見極めるのか。「3つの要素の組み合わせです」と辻谷さんは言う。世界最強のローテクを支える3つの秘密とは何か。もう少し、辻谷さんの仕事に迫っていこう。

 ◇

 五輪開催を控えた中国はいま、大気汚染や有毒ギョーザからチベット騒乱まで、あらゆる矛盾が噴き出した観がある。いち早く「たった1人の五輪ボイコット」を決めた辻谷さんの判断は、21世紀の日本の針路を考えるうえでも示唆的だ。日本はだめなのか。昨年の長期連載「やばいぞ日本」で、産経新聞取材班は、戦後日本の繁栄を支えてきたシステムの劣化をあらゆる場面で目撃した。その一方で、決してだめではない強さ、すごみが秘められていることも痛感した。

 たとえば、砲丸だけでなく、F1レースや自転車の国際競技で使われる車輪、W杯と五輪サッカーの公式球など、円形や球体を作る技術は傑出した技量で世界を制覇している。この技術を支えるものは何か。世界に翻弄(ほんろう)され続ける通貨とは対照的な、もう一つの「円と球」の物語から、新しい連載を始めたい。


-- -- -- -- --

砲丸が消えた!


 比重にムラのある鉄の塊を削って砲丸を作り、真ん中にぴたりと重心をあわせる。辻谷政久さん(75)の神業の秘密は何か。埼玉県富士見市にある辻谷工業の作業場で汎用旋盤に向かう辻谷さんに聞いた。

 「音と光沢、それに手応えの3つです」

 仕事の手を休め、辻谷さんが説明する。不純物の混じる鋳物の重さを外から確かめることはできない。だが、重いところは削るときの音が高い。逆に軽いところは低い。硬い部分の表面は光り、軟らかい部分は鈍い。そして何よりも重要なのは旋盤の2つのハンドルから手に伝わる感触だ。

「お豆腐を切ると、包丁の重さだけですっと切れるでしょ。でもカボチャは力を入れないと切れない。あれと同じですよ」

 競技用の砲丸の素材は9キロほどの鋳物の塊だ。これを旋盤で削り、7.26キロの球体に仕上げていく。

 「一度に100個作ります。14工程あるので1週間かかりますね」

 大切なのは後半の仕上げの工程だ。耳と目と手の感触を総動員して微妙な比重の違いを見分けながら表面を薄く削っていく。研究を重ね、川口の鋳物工場でも体験的に働かせてもらってようやく身につけた技術である。「教えてもほかの人にはできません。経験で覚えなければ」という。

 辻谷さんの砲丸が最初に採用された五輪は1988年のソウルだった。外国の砲丸は表面に色を塗ってある。辻谷さんの砲丸は素材のままだ。五輪後、競技ビデオを買って確かめたら、辻谷さんの砲丸を投げた選手は一人もいなかった。

 外国製の砲丸を取り寄せて2つに割り、中を調べると、空洞があったり、鉛を詰めたりして重さを調節していることが分かった。辻谷さんのように旋盤で削るだけでぴたりと基準の重さにあわせ、しかも重心を真ん中に持って行くといった芸当はできないのだ。

 表面に色を塗るのは、割った跡の継ぎ目が見えないようにするためでもあるのだが、選手は見た目がきれいな方を選ぶ。どうしたら使ってもらえるか。辻谷さんは指紋にヒントを得て表面に細い筋を入れ、92年のバルセロナに臨んだ。

 五輪では同じ砲丸を32個納入し、競技用に16個、サブグラウンドの練習用に16個が配置される。バルセロナ五輪では、開会式までにその練習用の16個が全部なくなってしまった。

 このため、追加注文があり、あわてて16個を送ったが、その16個も大会終了時にはなくなっていた。スジ入りの砲丸を試し投げした選手が「これはいい」と持ち帰ってしまったのだ。

 バルセロナで、辻谷さんの砲丸は銀メダルを1つ獲得した。だが、それよりも大事なことは追加注文をあわせ32個の砲丸が選手を通じてひそかに持ち出されたことだ。辻谷さんもまた「これはいい」と思った。

 次のアトランタ五輪まで4年、世界に放たれたスジ入りの砲丸は有力選手の間で必ず評判になる。五輪3連覇の偉業が始まる瞬間だった。

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失敗を恐れるな


 アトランタ五輪8日目の1996年7月26日夜(日本時間27日午前)、陸上男子砲丸投げの決勝に注目していた日本人は、皆無とはいわないまでも極めて少なかっただろう。日本ではそのほぼ同時刻、たくさんの人がテレビの前で呆然(ぼうぜん)としていた。

 辻谷政久さん(75)の砲丸が五輪で初めて金銀銅3メダル独占の快挙を果たしたのは、柔道女子48キロ級決勝で田村亮子選手が北朝鮮のケー・スンヒ選手に敗れたのと同じ日の同じ時間帯だった。歴史は誰もが気付かないうちに、そっと歯車を回すこともある。

 男子砲丸投げ決勝は、5投目まで6位だった米国のランディ・バーンズ選手が最終6投目で逆転優勝する劇的な展開だったが、辻谷さんにとっては、決勝を待つまでもなく、勝負は決していた。8人の決勝進出者全員が辻谷さんの砲丸を使っていたからだ。

 バルセロナの五輪会場から32個の砲丸が姿を消して4年、おそるべき口コミの成果だった。ただし、辻谷さん自身はまだ、「集団心理ということもある。偶然かもしれない」と半信半疑だった。最初の選手につられて、他の選手も何となく表面にスジの入った砲丸を選んでしまったということもありうる。

 「次のシドニー五輪でもメダルを独占し、初めて認められたという実感を持った。我々が作るモノは、選手に認めてもらって初めて一級品。自分だけがいいと言ってもだめですから」

 ユーザーにとって価値がなければ意味がない。それこそが日本の町工場のおやじを支える誇りである。

 2大会の独占は思わぬ波紋を広げた。砲丸の表面のスジが2004年のアテネ五輪から禁止されたのだ。辻谷さんは米国の働きかけがあったのではないかと考えている。

 禁止決定の前に米国メーカーから高額の報酬で技術指導に来てほしいと非公式に打診され、1カ月悩んで断っていたからだ。「世界の砲丸は私だけで作ったのではない」という思いがある。川口の鋳物工場の社長は試作段階で「そこまで研究しているのなら協力しよう。料金は完成した分だけでいい」と、失敗した分の材料費は取らなかった。

 日本は5年、10年と時間をかけて築いた技術を外国に教え、その結果、技術を盗まれて困っている中小企業が数多くある。そんな現実も見ていた。

 スジが禁止されても辻谷さんは動じなかった。本当の秘密は、重心を球体の中心に限りなく近づける技術にあるからだ。技術の精度を上げ、アテネで3度目のメダル独占を果たした。

 五輪の砲丸は一度に100個作り、32個を大会用に送る。手元には68個の在庫が残る。辻谷さんがこれまで講演を行った全国の約20の工業高校にはその砲丸が置かれている。「魔法の砲丸」の技術を高校生に伝えるのは無理だとしても、実物があれば夢や誇りは伝わる。辻谷さんは「モノを作ると必ず失敗がある。でも失敗を恐れないでください」と声をかけるのを忘れない。


  1. 2008/04/08(火) 06:00:17|
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F1をささえる富山の町工場の技術力

【すごいぞ日本】 F1支えるホイール



 北陸・富山空港のロビーにはホタルイカの沖漬けや白エビなど富山の名産品とともに、自動車レースの最高峰、フォーミュラワン(F1)のホイール(車輪)が飾られている。民間調査機関「イニシアチブ・スポーツ・フィーチャーズ」が発表した2007年度テレビ最高視聴率によると、米プロフットボール、NFLの王座決定戦、スーパーボウルを抑え、瞬間視聴率で世界一に輝いたのは「F1ブラジルGP最終戦」だった。その世界スポーツの王、F1が、なんで富山なのか。

 「あまりご存じないのかもしれませんが、これが町工場の技術力なんです」

 ワシマイヤー社の谷川章副社長が説明する。富山県高岡市郊外にある従業員250人余りの小さな企業。もとは繊維機械用のビーム(糸巻き機)を製造していた。だが、国内繊維産業の衰退の中で1980年代には転身を迫られ、ビーム製造で培った鍛造技術の応用分野を探した。

 「車の大事な足回りが鋳物だったとは意外でした。鋳造と鍛造の違いは、簡単に言えば、鍋や釜と日本刀や航空機の車輪を支える脚の差です」

 自動車の車輪は金属を圧縮して作る。鋳物は1平方センチに500グラムの圧力しかかけないので、無数の空気孔ができてもろい。鍛造は4トン以上を加圧する。その分、強度が均一化され、見た目は同じでも信頼性、安全性には格段の差がある。

 自動車の車輪が鋳物で作られていることを知って、同社経営陣は「そんなもろいもので」と驚き、同時に大きなビジネスチャンスをつかむ思いだった。

 問題はビームの何倍もの圧力が必要な車輪用の鍛造技術をどうするか。「北陸の貧乏会社なので最初から大きなプレス機があったわけじゃない」と谷川副社長はいう。秘密兵器はセクション鍛造だった。

 同社創業者の小野光太郎会長が若いころ電車でハイヒールの女性に足を踏まれた。「痛い!」と思ったとたんにひらめいた。つま先で踏まれても痛くないのに、かかとで踏まれるとどうして痛いのか。それをヒントにして、狭い1点に集中し何度も圧力をかけるのがセクション鍛造法だ。その技術にさらに改良と工夫を重ね、現在は機械にかける「密閉型鍛造方案」が同社の技術を支えている。

 「他社のは圧縮時にどうしても金属がこぼれ出る。ウチは完全に密閉でき、圧縮にムラがないので密度も均一性も違います」

 技術で産業構造の変化を乗り切ったワシマイヤー社は92年からフェラーリ、94年からベネトンなどF1の強豪チームにホイールを供給するようになり、一気に有名になった。ベネトンなどは逆に、ワシマイヤー社のホイールを使ったから強豪の仲間入りを果たしたと言われたほどだ。

 F1では以来、昨年までの14年間で9度の優勝。今年もフェラーリ、トヨタ、ホンダなど5チームに供給している。

 ワシマイヤー社の車輪はなぜ強いのか。さらに秘密をさぐっていこう。


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強さの秘密は密閉力

 F1の車輪は2つの相反する課題のせめぎ合いである。強度と重量。サーキットの疾走速度は時速300キロを超える。もろければ、その高速に耐えられない。だが、強度を重視して足元が重くなれば、超高速そのものが実現できない。

 レーシングカーの車輪製造で世界の先端を行く富山県高岡市のワシマイヤー社は、高度の鍛造技術で、より強く、より軽くの奇跡に挑み続けてきた。不可能を可能にしたのは、前回も書いた「密閉力」だろう。

 その密閉力が、鉄よりもはるかに軽いアルミニウムで1ピースプレス加工を実現させた。ボルトで組み合わせることなく、独特のメッシュ状のデザインを1枚の円盤状に鍛造していく方法である。強度に問題があるアルミニウムも密閉され、高い密度を保つことで強さを身につける。

 ワシマイヤー社はさらにマグネシウム鍛造にも挑戦した。あのモロモロと崩れそうなマグネシウムで車輪を作る。

 ワシマイヤー社が開発するまで、「まさか、そんな」と業界では相手にされなかったマグネシウム車輪はいまや、F1だけでなくインディ、ルマンなど世界の主要レースの栄冠を独占する勢いだ。

 高岡市の工場には金型が積んであった。この金型で素材を挟み高性能プレス機にかけ圧縮する。写真を撮ろうとすると、谷川章副社長が「これだけはダメです」とあわてて飛んできた。金型の構造こそが密閉力を生み出す秘中の秘なのだ。

 同社の製品はドイツの大手車輪メーカー、BBS社を通じ、世界に供給されている。レース用だけではない。ベントレー、アストンマーチン(英国)、ポルシェ(独)、レクサス、クラウン(トヨタ)などの名だたる高級車もワシマイヤー社の車輪を使っている。

 日本BBS社の広報企画担当、山口弘美さんによると、F1で使われている車輪はワシマイヤー社製だけではない。だが、「スポンサー参画のかたちで無償納入するところが多いのですが、ウチはフェラーリでもどこでも、すべてお金を頂いています」という。

 ただで使えるというオファーがあっても、強豪チームはあえて高額の車輪を選ぶ。その事実こそが北陸の町工場の技術陣を支える最も大きな勲章なのだ。

                   ◇

 車輪という円の機能を追求する技術。この分野は自転車競技でも日本が際立っている。

 「急いでホイール(車輪)セット30本を出荷してほしい」

 堺市の自転車部品メーカー「シマノ」に緊急の国際電話がかかってきたのは3月上旬のことだ。フランスのロードレースチームからの発注だった。

 ロードレースのプロチームは欧州を中心に世界で21チーム。うち7チームがシマノのホイールを採用している。

 北京五輪でも多数の選手が新開発の同社ホイールを使い、いずれはその車輪が世界標準になる。電話を受けたアクションスポーツ事業部の倉本圭介係長(42)は、一段とそうした確信を強めた。


  1. 2008/04/07(月) 06:00:11|
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新銀行東京のビジネスモデルは破たんしている!


新銀行東京の経営が行き詰まり、400億円の追加出資案が都議会で議論されている。同銀行の設立時には、東京都が1000億円を出資しているが、現時点で累損が1000億円近くなり、当初の資本金を食いつぶしてしまった。そのために、新たに400億円を追加出資しようというわけだ。

報道によれば、すでに賛成の立場を示している自民党に続き、公明党が条件付きで賛成する方向で調整に入ったとのこと。両与党が過半数を占める都議会で追加出資案が可決される可能性が高くなってきた。委員会採決は3月26日、本会議の議決は28日に行なわれる。

それにしても、なぜこんなことになったのか。3月10日に提出された新銀行東京の調査報告書によれば、仁司泰正・元代表執行役の責任が重大であると記されている。仁司元代表が「どんどん貸し込め。貸倒引当金もしっかりと使い込め」と行員に訓示をし、過剰融資、乱脈融資を続けてきたことが経営行き詰まりの最大の原因だという。

確かに、新銀行東京の経営がずさんだったのは否定できない。だが、経営の行き詰まりの責任を元代表一人に押しつけて、東京都が追加出資を押し切ろうとしているのは、どうもわたしには納得がいかないのである。



新銀行東京はビジネスモデル自体に問題があった

そもそも、中小企業にどんどんと融資をするというのは、東京都の政策だったのではないか。そうした東京都の意図を受け、新銀行東京は無担保、無保証でスピード融資を目指した。ほかの銀行と違って細かく調べることなく、書類審査に基づいて公正な基準で融資するというのが新銀行東京のウリだったのである。

では、なぜそのような銀行ができたのか。

今から6、7年前のこと。貸し渋りを続ける銀行を俎上に乗せ、メディアが激しい銀行批判を繰り返したことがあった。ご記憶の方も多いと思うが、簡単にいえばそれは「銀行悪玉論」だった。

そんな状況のなか、「いまの銀行は、やれ担保だ保証人だと、うるさいばかりだ。そうしたものがないと融資をしないものだから、優秀で将来性のある中小企業の芽を摘んでしまうことになる」という意見がでてきた。「そうした銀行は臆病者で能力が低いから、中小企業に貸せないのだ」という議論である。

そこで登場したのが、ミドルリスク・ミドルリターンという、新しい銀行のビジネスモデルだった。

ローリスク・ローリターンのビジネスモデルをとっていた従来の銀行とは一線を画し、少々金利を高めに設定することで、担保も保証人もない中小企業に融資すれば、新しい銀行業が成り立つという考え方だ。それでビジネスが成立すれば、中小企業が救われて経済が活性化するというバラ色の未来がやってくる。

そうした議論に対して、ほとんどのメディアが支持をした。そんな社会の流れに乗っかって新銀行東京ができたといってもいいだろう。

しかし、わたしは当時から、ミドルリスク・ミドルリターンなどという市場は、ほとんど存在しないと言い続けてきた。あるとしても、それはものすごく小さい市場であり、そこでビジネスを展開するのは非常に難しいとしか言いようがない。


「ミドルリスク・ミドルリターン」は空想の産物

なぜ、ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデルが困難であるか。それは、貸出利率を見ただけでもわかるだろう。新銀行東京は10~15%という利息制限法の上限で貸している。言い換えれば、消費者金融並みの利率で貸し出しているのである。

しかし、そんな金利で事業資金を借りて、一般的な中小企業の事業がまわるはずがない。これは、金融の専門家でなくても、一般常識として当然のことだろう。

身の回りにある中小企業を思い浮かべてほしい。そば屋、パン屋、自動車整備工場といった事業所が、15%の金利を払えるはずがないことくらい、冷静に考えたら誰だってわかる。

現に、新銀行東京の貸出先のうち、2345件もが経営破綻しているという。経営破綻した理由は、けっして融資の量が足りなかったからではない。金利10~15%で資金を借りようとしている企業というのは、経営が追い詰められて、にっちもさっちもいかなくなったところがほとんどなのである。

まともな事業計画を立てて事業をする余裕もなく、ただ目先の運転資金が足りないから、藁をもつかむ思いで金を借りたのだろう。

もちろん、新銀行東京の経営がずさんだったことは否定できない。しかし、公的機関だったことによる経営の不効率がその要因だったのでは、けっしてないとわたしは考えている。ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデル自体に問題があったのだ。

じつは、ミドルリスク・ミドルリターンを言い出した張本人の一人が、小泉内閣のもとで金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム(竹中チーム)のメンバーを務めた木村剛氏であった。

彼は、銀行の貸し渋りが諸悪の根源であるとして、まさに新銀行東京と同じビジネスモデルのもと、純粋に民間資本によって日本振興銀行を立ち上げた。

では、その銀行は今どうなっているのか。この銀行は民間であるがゆえに、公的機関による経営の不効率というものとは縁がない。にもかかわらず、今期の中間決算は5億円の赤字であり、これまで何度も赤字を出し続けてきた。

民間企業で、しかも金融のプロ中のプロである木村氏がかかわってさえ、うまくまわらないのである。ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデル自体が、そもそも空想の産物だったという立派な証拠である。


残された道は「安楽死」か「普通の銀行への転換」の二つ

日本の銀行による不動産担保融資に対して、批判する人は多い。しかし、考えてみれば、これは世界最強のビジネスモデルでもある。

というのも、銀行業というのは預金を預金者から預かり、元本保証で返さなくてはならない商売だからである。そうした事業をしている限り、資金運用において高いリスクをとってはならない。リスクが悪いほうにでたら、元本保証で預金を返せないからだ。

そもそも、リスクの高い、いわばイチかバチかの資金というのは、銀行のような間接金融が担うべきものではなく、株式や債券の取引のような直接金融が担うべきものである。

銀行の預金者にしても、そんなイチかバチかの勝負は期待していないだろう。そこをはき違えて、まったくパイのないところに、まるでユートピアがあると信じ込んで突っ込んでいったのは、石原都知事の責任でもあるし、メディアの責任でもあるとわたしは思う。

なにしろ、当時のメディアは、ミドルリスク・ミドルリターンをとる新銀行東京の登場に拍手喝采し、あたかも中小企業の救世主のように賛美していたのである。それが、ここに来て、手のひらを返すように、東京都や石原知事を袋叩きにしているのはいかがなものか。メディアも同罪なのであり、まったく反省がないとしかいいようがない。

さて、今回追加出資する400億円であるが、これは現に新銀行東京に資金を借りている企業がある以上、やむを得ない措置なのかもしれない。確かに、いきなり新銀行東京を潰してしまうと、借り手は闇金に走るしかなく、バタバタと倒産が続出することが予想される。

ただ、追加出資を機に審査システムを改善するくらいで、新銀行東京が復活するかといえば、それは絶望的である。繰り返すが、ミドルリスク・ミドルリターンというマーケットがほとんど存在しないのだから、どうしようもない。

残された道は二つである。一つは、新銀行東京を安楽死させる方法。もう一つは、一般の銀行に衣替えさせる方法である。現に、貸出先の比重は中小企業から大企業に移りつつあるので、それをさらに推し進めていくわけである。つまり、優良な企業に低利で貸し出す、ローリスク・ローリターンに方針転換するのだ。

逆に言えば、「新銀行東京は、けっして中小企業の味方ではありません。今後は金をかせぐための普通の銀行に変えていきます」と宣言をしない限り、400億円はまた無駄になるだろう。

400億円という金は、国のレベルで見ればたいしたことはないかもしれないが、当初の1000億円と合わせると1400億円に達する。これは、1280万人の東京都民1人あたり、1万円以上の税金を使った計算になる。

それがいいことに使われるならまだしも、いったいどこに消えてしまったのか。おそらく、破綻した2345社のなかには、借りる前から自分でもダメだと思っていた人も多かっただろう。そうした「目先の金」に貴重な税金がつぎ込まれてしまったのである。

400億円の追加出資はどうやら決まりのようだが、野党のみならず与党も、10~15%で貸し出してきた意味を厳しく問いただすべきだろう。そんな利率で一般の中小企業が金をまわすことなど不可能であることくらい、都議会議員ならわかっていると思うのだが。



経済アナリスト 森永 卓郎

  1. 2008/03/31(月) 22:33:46|
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職人道

国柄探訪 : 若者たちの職人道

一人前の職人を目指して、若者たちが様々な職場で仕事に打ち込んでいる。



■1.ケーキを投げつけられて■

田端友未さん(埼玉県、20歳)が初めて仕上げを任されてクリームを塗ったケーキをシェフに見せた。シェフはそれを友未さんに投げつけ、「お前はこんな物を店に出すのか」と言って背を向けた。

肩から腕からダラダラと溶けたクリームが流れた。友未さんは殴られたようなショックを受け、泣くのをこらえながら店頭に飛び出した。

私は絶望を感じて暗い表情をしているのに、ショーケースの中のケーキを眺めるお客様や子供達は皆笑っていた。その時初めて分かった事があった。人は何か特別な気持ちを持ってケーキを買いに来るのだ。人に笑顔や喜びを与える優しい力がケーキにはあるのだ。そして私は思った。私は負けない。いつかあいつを追い越して立派なパティシエになってみせる。[1,p48]

田端さんは高校卒業後、ケーキ職人を志して、このケーキ店に就職した。シェフはとても厳しく、バカヤローと怒鳴られない日はなかった。何かをする度に暴言を吐かれた。毎日泣きながら帰った。

そんな毎日が続いていた所、ある日突然、シェフが田端さんにケーキの仕上げを任してくれたのだった。これまでシェフの技術やアイデアから学んできた事を示すチャンスだと思って、自信を持ってクリームを絞った結果が、これだった。

それからも厳しい修行が続いたが、その店は区画整理にあって、廃業となった。別れ際にシェフは「残った者だけが本物になれるんだ」と言ってくれた。

新しく就職した店でも、田端さんは頑張っている。

私はとにかくシェフから信用を得たかった。だから細かいことを疎かにせず、常にシェフの行動から目を離さなかった。自信を持ちはじめた私は少しずつ成長していった。そしてパティシエになるという夢は目標になっていった。


■2.「おいしーね」、その一言がとても嬉しくて■

清水敦さん(東京、38歳)は、高校生のときに寿司屋のアルバイトをした事が縁で、和食の世界に興味を持った。仕事ははじめのうちは出前専門だったが、2、3カ月やっているうちに、お客様に出す簡単な仕込みを教わった。

自分が仕込みをした魚を食べたお客さんから「おいしーね」と言われる、その一言がとても嬉しかった。この経験が機縁となって、高校卒業後、料理界に入った。

料理の世界は奥が深い。追い回し(掃除、洗い物などの下働き)から始まって、魚・野菜の下ごしらえ、それができたら、サラダ、おしんこ、小魚のおろし。野菜の切り方も種類によって異なる。これらができるようになるまで2年から3年かかる。

その後でようやく「焼き場」を担当させて貰えるようになる。魚を焼くにも、野菜を焼くにも、一つひとつが違う。魚でも種類や大きさによって、火加減を調整しなければならない。さらに春夏秋冬、旬のものが2か月おきに変わる。2年ではとても覚えられない。

次は天ぷらなどの「揚場」、それができると煮物をつくる「煮方」。

レシピなどない、自分の舌がすべて。調理の世界は煮方で職人と、よくオヤジはいう、わかる気がする。・・・

その日の材料の生の味から味付けしていく、ジャガイモを煮るのに毎日味の調味料が違う。でもそこがプロの調理人だ。毎日平均同じ味に味付けする、とても不思議だ。[1,p77]


■3.「調理人は一生勉強していく世界だ」■

清水さんは調理人の道を歩み始めて20年になる。職人と言われる煮方になるまでに約10年かかり、その後、煮方で10年過ぎた。

親方に完璧にほめられたことはいまだない。昼休みにコーヒーやジュースを飲んでも「味が分からなくなるだろ」とどなるオヤジ。とても厳しいしすごくこわい。でもそんなオヤジの弟子で誇りに思うし、感謝している。

バブル後、大手会社の接待などに使われていた高級料亭がかなりつぶれた。安くておいしい店がうけている。

その流れに合わせ、なおかつ伝統の日本料理を守っていくオヤジの弟子で本当に感謝している。そのオヤジの口癖は「調理人は一生勉強していく世界だ」とよく言う。その言葉の意味がわからなければ職人として見てもらえないだろう。

それにお客様に対し「真心」「愛情」「感謝」の気持ちを持っていれば、料理の技術が進んでいても、決して手抜きはせず手作りの料理だと、それがお客様に返す真心だと思う。

そんな頑固オヤジは今の時代どれだけ残っているのか?私もそんな頑固オヤジの一人になるのはいつの日だろう。[1,p78]


■4.「バケツの重みが分かった時、お前も一人前だぞ」■

大塚博之さん(東京、25歳)は父親が左官業を営んでおり、小さい頃から父親が壁塗りをする仕事ぶりを見ていたので、いつか父親を超える職人になろうと思っていた。

中学を卒業すると、電車で30分くらいの所にある別の左官業の会社に就職した。父親の元ではどうしても甘えがでると思ったからだ。毎朝、5時前の電車に乗り、会社に着いたら倉庫を開け、掃除をし、先輩の職人達が職場に現れたらお茶を入れる。

先輩の職人達が仕事を始めると、バケツでセメントを運ぶことだけが、大塚さんの日中の仕事だった。中学を出たばかりで、まだ体も出来ていなかった大塚さんには、25キロものバケツを一日数十杯も運ぶことは大変だった。その重みが辛くて、逃げ出したかった時もあった。

親方からは「その重みが分かった時、お前も一人前だぞ」と言われたが、15歳だった大塚さんには、全く意味が分からなかった。

壁塗りの練習は、毎日昼休みに30分ほどさせてくれた。親方は「お金も大事だけど、自分達は物を作る仕事だよ、心をこめて初めて物と呼べるんだ」と、繰り返し大塚さんに言い聞かせた。


■5.「その重みがあるから今の自分がいます」■

弟子入りして3カ月目を迎えたある日、親方からこう言われた。「今日一日かかってもいいから、自分の力で壁を仕上げてみなさい」

大塚さんが「無理ですよ」と言ったら、思いっきりひっぱたかれた。「やる前から無理だったら、もう帰れ! そんなんじゃいつまでもバケツ運びだぞ! 職人が自信を持っていなければ仕事はいつまでもできないぞ! くやしかったら結果を出せ」その言葉に大塚さんはやる気を出した。

夜遅くなっても親方は最後まで見守っていてくれました。でき上がった時の喜びは、今でも忘れません。仕上がりを見て親方に「やればできるだろう、その自信を忘れずに、これからはたくさん壁を塗れ」と言われました。[1,p11]

仕事を覚えはじめの頃は、先輩の塗り方が違うのにとまどった。最終的に仕上がりは同じでも、皆仕事の進め方が違うのである。結局、大塚さんも自分に一番あったやり方を見つける事ができた。

月日がたち、やがて大塚さんは、一つの現場を任されて、材料の搬入から、職人の段取りまで、親方の代わりにやれるようになった。その時、親方は一人前になったと認めてくれた。

親方に「覚えているか? お前がバケツが重たいと言ってた頃に、俺が言った意味が今なら分かるか?」と聞かれました。私は、自信を持って言いました。「その重みがあるから今の自分がいます。自分にも弟子ができた時、その辛さが分かります。その重みがあるから一生懸命仕事を覚えることができました。今までありがとうございました」と言いました。[1,p13]

この道に入って11年。大塚さんは今は京都の寺院に残る伝統的な左官の技術に興味を抱いている。「いつまでたっても職人は、修業の毎日だと思います」と大塚さんは言う。


■6.「人の心に何かを響かせるようなものを彫りたい」■

山形県で生まれ、埼玉県の会社に就職した佐藤努さん(29歳)は、何かを作る仕事をしたい、と思いつつ、それが見つからないまま、会社勤めも6年目に入っていた。しかし、休みの日に鎌倉を訪れた時、転機が訪れた。

山道にひっそりと佇(たたず)む野仏を見つけて、そのやさしい顔に心を奪われた。そうだ、自分もこんな仏像を彫りたい。人の心に何かを響かせるようなものを彫りたい。その野仏は石のようなものでできていたが、なぜか私はこの時、自分は木に彫ってつくりたいと思った。木彫師になろう。仏や地蔵を彫る仕事がしたい。[1,p101]

木彫師の弟子入りをさせてくれる所を探していた所、ある雑誌に、浅草の江戸伝統木彫りが紹介されていた。これは、と思って、早速行ってみると、すでに同様な希望者が何人も来ていた。

師匠は海坊主のような風貌の人で、いかにも下町の職人という感じの恐そうな人だった。訪ねて行った私と少しだけ話をし、採用するともしないとも言わず、ただ「見学なら勝手に来い」とだけ言われた。それでもこれしかないと思った私は、次の日から弁当を持って毎日そこに通った。最初は見学、そして雑用、そのうち木片を与えられ言われたものを彫って見せたりした。[1,p102]

1ヶ月半が過ぎて、ようやく弟子入りが認められたが、40人近く来た中で残ったのは、二人だけだった。

怒鳴られることは当たり前、彫刻刀の柄で殴られることも日常茶飯事だった。何度、師匠から「やめちまえ」と言われたか分からない。


■7.「自分は今、夢の途上にいる」■

そんな日が5年も続いて、ようやく、招き猫や七福神といった小物から、ついに社寺彫刻までやらせて貰えるようになった。

宮大工の手によって、自分が彫刻したものが神社に組み付けられるのを見た時、何とも言えない熱いものが胸に込み上げてきた。今まで社寺彫刻は工務店に納めるだけで、実際に組み付けた状態を目にすることはなかった。しかし今回はじめて師匠の心遣いで、長野県のあずみ野まで職人たちと見に来たのだった。会社員をやめて江戸彫刻師に弟子入りしてから5年、やっとここまできた・・・そんな思いでいつまでも見上げていた。[1,p100]

「そろそろ引き上げるぞ。」 この5年間の様々な出来事を思い返していると師匠に肩を叩かれた。

職人の世界で5年目といったら、まだほんのひょっこだ。人の心を響かせる作品を彫れる日はまだまだ遠い。「よしっ、これからもっともっと頑張るぞ」。自分は今、夢の途上にいる。今にも雪を降らせそうなあずみ野の冷たい空気が、高揚した頬に気持ち良かった。[1,p104]


■8.「職人」と「労働者」の違い■

以上、職人への道を歩む4人の若者たちの姿を追ってみた。

『職人学』『職人力』などの著書で、職人の生きざまを小説やノンフィクションで描いている小関智弘氏は、「職人とは、ものを作る手だてを考え、道具を工夫する人のことである」と述べている。そして、「与えられる仕事を、教えられたとおりにすればよいなら、それは単なる労働者にすぎない」と言う。

確かに、ここに登場する若者たちは、それぞれの仕事の手だてを一生懸命に工夫している。マニュアルを与えられて、ロボットのようにそれをこなしていれば給料を貰える「労働者」ではない。

さらに、ここで紹介した若者たちの生き方を見ていて気がつくのは、職人とはもう二つの点で、労働者とは異なるという事である。

第一は親方の存在である。若者達は親方に怒鳴りつけられたり、励まされたりしながら、職人の道へと導かれていく。

第二は客の存在である。職人たちは心を込めて作った物やサービスを、直接、客に提供する。それによって客が喜んでくれる事が、何よりの励みとなる。

親方や客とのつながりの中で、職人たちは自分の腕を磨いていく。人生の意味も幸福も、人とのつながりの中でしか存在しない。仕事の修行すなわち人生修行と考える日本の職人道の伝統は、まことに奥行きの深い人生哲学である。[a,b,c]


■9.様々な職場で心を込めて仕事をする「職人」が増えていけば■

職人というと、ここで紹介したような調理師や彫刻師といった手仕事の分野のみを想像しがちだが、「自分で工夫する」「師匠を持つ」「顧客の喜びを追求する」という点から考えれば、コンビニでのアルバイトでも「労働者」と「職人」がいるはずだ。

コンビニで指示された通りに働いている人間は「労働者」だが、商品をどう陳列したらよく売れるのか、お客さんにどんな対応をしたら喜んで貰えるのか、と工夫しながら仕事をしている人は「職人」なのである。同じ事は、サラリーマンや教員、公務員の世界でも言える。

様々な職場で心を込めて仕事をする「職人」が増えていけば、一人ひとりは幸福な国民となり、その仕事を通じて国家は栄えるであろう。



■リンク■
a. JOG(274) 日本の技術の底力幕末の日本を訪れたペリー一行は、日本が工業大国になる日は近いと予言した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog274.html
b. JOG(294) ニッポンの明日を開く町工場誰もやらない仕事に取り組んでいるうちに、誰にもできない技術を開発した金型プレス職人。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog294.html
c. JOG(321) 100万分の1グラムの歯車世界一の超極小部品を作る職人技が日本企業の明日を示す。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog321.html

■参考■

手仕事を見つけたぼくら (小学館文庫)1.手仕事を見つけたぼくら
(小学館文庫)

小関 智弘

詳細を見る




Japan On the Globe国際派日本人養成講座

  1. 2008/03/27(木) 06:00:56|
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イージス艦衝突で露呈

イージス艦衝突で露呈した防衛省の“危険な”体質



海上自衛隊イージス艦「あたご」による漁船清徳丸との衝突事故は、時間がたつにつれ、海上自衛隊側の無茶苦茶、出鱈目ぶりが露わになってきている。

そもそも、漁船が少なからずいる海域を全くの自動操舵で突き進むとはどういうことか。漁船の方が曲芸のように回避してくれると思っていたのか。結局、12分前に清徳丸の灯火を見つけながらも、衝突の1分前まで自動操舵を続け、事故は起きた。
説明が二転三転する防衛省

一体、見張り員が「12分前に灯火を発見」後どのような対応がなされたのか。そのときの状況はどうだったのか。衝突の瞬間、艦長は仮眠をとっていたことなどが、だんだん分かってきたが、まだ事故が起こった当時の全容は明らかになっていないのではないのか。

あたごの見張り員が清徳丸に気付いた時間についても、防衛省の説明は二転三転している。海上幕僚監部は事故当日の19日午前10時、海上保安庁の聴取が始まる前にあたごの航海長をヘリコプターで呼び寄せ事情聴取を行い、「漁船発見は2分前」と報告を受けた。これをもとに石破茂防衛大臣は午後5時からの自民党部会で「漁船の発見は衝突2分前」と説明した。

ところが実は、石破さんが自民党部会で説明する直前の午後4時18分ごろに、防衛省の海上自衛隊は「実は2分前ではなく、12分前だった」と把握していたようだ。自民党部会に向かう段階では、石破さんは海上自衛隊から知らされていなかっただろう。


防衛省の隠蔽体質が明らかに

石破さんには、夜8時半ごろに知らされた。しかし、その夜11時の海幕防衛部長から記者団への説明は「2分前」のままだった。結局、翌20日午後17時からの自民党部会で、防衛省幹部が「12分前だった」と説明を行った。

「12分前に発見していたのになぜ回避できなかったのか」という批判が高まる中で、増田好平防衛事務次官は25日の会見で、12分前との報告を受けたのは「20日昼頃、断片的に上がってきたのはそのくらいの時間」としていたが、さらに26日夕方、防衛省の豊田硬報道官は「2分前より以前に承知していた可能性がある」という趣旨に変更した。

こうした二転三転する説明からも、海上自衛隊の狼狽振り、とにかく不利な真実をなるべく隠したいという隠蔽体質が非常に露骨に表れている。

こうした中、防衛大臣の責任追及が野党から厳しく求められ、石破防衛大臣の辞任を求める声が、野党からもマスコミからも強まっている。

さらに、石破防衛大臣が事故後ヘリコプターで当事者たちを集めたいたことについて、石破大臣は当初、海上保安庁の了解を得て行ったことだと説明していたが、実際は、了解を得ていなかったということが明らかになった。


石破大臣辞任を党利党略に使うな

海上自衛隊は加害者であり、それを取り調べているのが海上保安庁だ。その加害者側が、取調べをしている海上保安庁に無断で当事者を集めて話をしたということは問題であり、ここであらためて石破大臣の責任が強く追及されることになるだろう。

今週末終わるであろう今国会の主要な議題は、予算と予算関連法案の採決だ。だがその国会で、予算関連法案の問題よりも、石破防衛大臣を辞任させるかどうかという問題の方が大きくなっている。

予算は衆議院を通せば問題ないが、予算関連法案は参議院を通らないと成立しない。もし参議院が約束通り3月末までに否決してくれないと、ガソリン税はいったん25円下がるという事態を迎える。そこでもし与党が強行採決すれば、野党が参議院で“意趣返し”をすることが考えられる。つまり、3月末までに否決をしないだろうという恐れが十分にある。

おそらく野党は石破大臣の辞任を求めてくるだろう。与党も、公明党などが、辞任という意向を示しはじめた。自民党の中にもそれに同調する動きがある。

だが僕は、石破大臣の辞任が予算関連法案を通すための“材料”に使われることに反対である。石破さんの首と予算関連法案を天秤にかけて、予算関連法案を何とか上手く通すために石破大臣を辞任させるという、党利党略に使うことが見え見えだ。


優先されるのは事故の真相究明

当然、今回の「あたご」の衝突事故に関する石破大臣の責任は重い。しかし、彼が今やるべきことは、衝突事故の真相を究明することではないか。

おそらく、真相究明をした後に石破さんは責任を取って辞任するだろう。真相究明する前に「辞めろ」ということはいかがなものか。こうした国会の裏側をマスコミも知りながら、何も書かずに「辞任、辞任」と騒ぎ立てている。

もちろん、石破さんの責任は重いので、彼は真相究明をした後に責任を取るべきだし、さらに、石破さんのやろうとしている防衛省の構造改革はもう無理だろう。

僕は、石破さんという人物をよく知っている。今自民党の中で、防衛大臣という職に、石破さんをおいて適任者はいない。石破さんは精一杯頑張っている。それは認める。しかし、石破さんは“悪すぎる船”に乗ったのだと思う。

できれば彼に、防衛省をとことん根底から改革してほしい。しかし、それを言うと、石破さんは「アイツは自分の延命のために防衛省改革を主張している」と痛くない腹を探られることになる。石破さんには気の毒だが、やはり彼は真相究明をしたところで、責任をとるべきだと思う。


イージス艦の本当の過失とは

今回の衝突事故に関するイージス艦の過失は、まず何よりも、衝突事故を起こして2名の行方不明者を出したということだ。しかも、発見から衝突に至る12分間、乗組員たちが適切な作業をしていなかったことは明らかだ。

もし適切な作業をしていれば、12分前に灯火を見つけて、当然衝突を回避する努力をしたはずだ。努力もせずに、衝突1分前まで自動操舵を続けていた。これは、何もしなかったということだ。

今回の事故では、防衛省、海上自衛隊の傲慢さが見えてくる。「民間は勝手に避けろ。我々は堂々と突っ走るのだ」という傲慢さだ。

さらに、今回のような事故が起きれば「一体自衛隊は何を守るために活動しているのだ」ということになる。本来、自衛隊が守るべきものは国民の命であるはずだ。国民の命も守れない自衛隊の存在理由とは何なのだ、という根源的な問題になる。

どうもその後の展開をみていると、海上自衛隊は防衛省側にいかにも官僚的に機械的な判断、報告をし、しかもそれが狂っている。自分たちが大変な罪を犯してしまったという責任や後ろめたさが全くない。


深刻な防衛省の危機管理体制

さらに、石破大臣は、事故後関係者たちを集めて、相談をした。だが防衛省は今回の事故において、当事者でもあるが“被疑者”の立場でもある。その大臣が、取り調べる側の海上保安庁を差し置いて、“被疑者”の海上自衛隊に事情聴取をするとは、問題である。本当はそんな意図がなかったとしても、口裏を合わせるための相談をしたと疑われても仕方ないだろう。

このような責任はやはり石破大臣がとるべきだといえるだろう。しかし、何よりもまずは真相究明が第一である。真相究明をやり遂げて、国民が納得したところで、責任をとるべきだ。

24日の「サンデープロジェクト」に石破さんを呼び、話をした段階では、僕は彼に「辞めろ」とは言わなかった。だた、「真相究明をしろ」と言った。しかし、状況が変わってきた。24日の段階では、僕はまだ石破さんが構造改革をやってもよいと思っていた。しかし、今はもうそれは難しい状況だ。

今の防衛省の最大の問題は、「マニュアルができていない」ということだ。つまり、危機管理体制が全くできていない。もちろん、衝突してしまったこと自体、危機管理がなっていないと言えるのだが、「事故が起こってしまった時にどうするか」という危機管理体制が全くできていない。指揮系統もバラバラだ。

衝突事故そのものもひどいが、衝突事故が明らかになった以後の海上自衛隊のとった行動が、「自衛隊という組織の構造」としてはより深刻だと思う。


有事に脆弱な体質を露呈

この一連の動きをみると、これは「あたご」だけの問題ではなくて、自衛艦のほとんどが「あたご」と同じことをやっているのではないか、という疑いが極めて強くなってくる。「あたご」だけがこんなに無責任で傲慢なことをするはずがない。どの自衛艦もやっているから、「あたご」もやったのだ。

自衛隊は「有事」をいったいどのように考えているのか。衝突相手が漁船だったが、あれがテロリストである可能性も十分にあり得るのだ。

今回の事故での最大の教訓は、防衛省の“構造改革”が待ったなしの状況であることが露呈したということではないだろうか。




田原総一朗の政財界「ここだけの話」
田原 総一朗(たはら・そういちろう)
  1. 2008/03/25(火) 06:00:17|
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日銀総裁空白の異常事態

日銀総裁空白の異常事態 世界に取り残されるニッポン


サブプライムローン破綻問題が、当初ほとんどのエコノミストたちが想像し得なかったほど非常に深刻な事態に陥っている。

アメリカはサブプライムローン破綻対策として、ブッシュ大統領は、減税など様々な手立てを打ち出し、約16兆円投入するということを宣言している。米連邦準備制度理事会(FRB)は18日、主要政策金利であるフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を0.75%引き下げ、年2.25%とすることを決定した。それにも関わらずNYダウもドルも下げ続けている。



サブプライム問題で危機に瀕する米経済

ついに、アメリカの証券大手ベアー・スターンズ社が倒産の危機に瀕し、JPモルガンが買収するという事件も起きた。また、すでに業界内では名前が明らかになっているのだが、ベアー・スターンズ社よりもはるかに規模の大きい2つの金融機関が破綻の危機に瀕していると言われている。

サブプライムローン破綻という、バーチャルの金融危機が、実物経済、現実の経済を非常に揺るがせ、今や少なからぬエコノミストが、世界の基軸通貨としてのアメリカドルが崩壊する可能性すらあると言っている。

ダウ安、ドル安の影響で、日本円も100円を切り、90円台になる可能性が少なからずある。東証の日経平均株価も、ついに1万2300円台で推移している。このままでは1万円を割る可能性も少なくないと言われている。



なぜ日本経済がダメージを受けるのか

日本のサブプライムローンによる損失については、欧米諸国に比べると桁違いに少ない。全部ひっくるめても約1兆円と言われている。それに対してアメリカ、ヨーロッパでは、サブプライムローンに関わる様々な金融商品もすべて合わせると、その損失はすでに100兆円、200兆円に及ぶと言われている。

本来ならば、日本はアメリカの株価に対してそれほど騒がれないはずである。しかし現実には、アメリカの株価が去年の7月以来8パーセント下落しているのに対し、日本はすでに27パーセント下落している。

なぜ、サブプライムローンの被害が少ない日本の株価がこれほど大きく下落しているのか。なぜ、日本の経済がこれほどダメージを受けているのか。これは、サブプライムローン破綻の問題とは直接は関係のない日本固有の問題だと、僕は考えている。

小泉内閣が発足したとき、日本の株価が1万1000円台だった。今とほぼ同じだ。小泉首相(当時)が構造改革を叫びたて、郵政の民営化を実現したときから株価がぐんと上がり出した。1万4000円になり、1万6000円になった。

これは、構造改革によって、日本が変わるということを期待して、外国人の株主がどんどん日本の株を買いだしたのである。日本の株価は一時、1万8000円にまで達した。日本は長いデフレ不況から景気が確実に回復し始めると思われた。



海外から見た「JAPAiN(ジャペイン)」

ところが、2007年7月の参議院選挙で自民党が大敗し、まるでそれが契機のように株価が下がり始めた。イギリス・ロンドンのエコノミスト誌が「JAPAiN(ジャペイン)」という特集を組んでいる。「困惑する国」、「苦悩する国」という意味だ。この特集によれば、民主党が大勝したのは、ばらまき政策のためであるという。

農家一戸あたりに金を提供するとし、その額約1兆円。子育て手当てとして2兆6000億円。そして、年金の基礎年金の部分を全て税金でまかなう、しかも消費税は上げない、と言った。こうした金の総額約13兆5000億円。これをエコノミストは、「非常識なばらまきである」と言っている。民主党を抵抗勢力と決め付けている。

要するに、「小泉元首相の構造改革を逆行する時代が始まった」と外国人株主は判断し、そこで一斉に日本株から逃げ出した。つまり日本売りが始まった。

僕は、日本の経済事態は劣化も悪化もしていないと考えている。外国人株主が日本から逃げていくのは、むしろ日本に対する厳しい激励ではないかとすら思っている。「方向が違うぞ。とるべき方向を誤っている」という痛烈な指摘だと捉えている。

民主党が大勝し、安倍元首相が退陣し、そして、福田首相が登場した。福田首相はダボスで、「日本は自由主義の国であり、世界の資本がどんどん入ってきているし、日本からも出て行く」と、開国宣言をした。日本は自由主義経済であり、構造改革を続けるという宣言をしたのだ。

ところが、実態はどうか。構造改革とは全く逆の動きをしている。



鎖国体制を強める福田政権

福田首相がダボスで宣言しているまさにそのときに、実は、国土交通省は、羽田空港運営会社にオーストラリアの資本が約2割入ったと知るやいなや、羽田・成田を中心とする日本の主要空港に外資が参入する枠を3分の1以下にするという法案を提出した。つまり、福田首相の言葉とは逆に、鎖国体制を強めとしているのだ。

自民党の中にも、解放・開国とは逆行する議員たちの存在が目立ってきた。日本の株安は、こうした動きに対する外国人株主たちの異議申し立てだと思う。

今の日本の国会を見ていると、外国人たちは全く理解できないのではないかと思う。国会は相変わらず日銀総裁を誰にするかということで、もたつきにもたついている。参議院は民主党を中心とした野党が多数で、民主党の了解を得られない限り、自民党の提出する案は否決される。それが分かっていながら、自民党は具体的に民主党と話し合いをしようとしていない。

武藤敏郎総裁を提案したときにも、自民党の幹事長も政調会長も官房長官も全く動いていない。唯一民主党と交渉しているのは自民党の大島理森国対委員長で、それに応じているのが、民主党の山岡賢次国対委員長だ。

山岡さんが国対委員長になったのは、山岡さんは小沢一郎民主党代表の信頼が厚く、小沢さんと連絡がとりやすく、すぐに結論が出せるからという背景があった。しかし、大連立騒動以後、小沢さんは決断する力を失った。民主党の中で決断する場所は小沢さんから離れて、しかもどこにもない。



反対だけでは国会は回らない

民主党は、「ノー」と言うことでやっと一致できるという、悪い意味の野党になってしまった。道路特定財源や暫定税率の問題にしても、「ノー」という以外に何の方策も持ち合わせていない。自民党もその民主党に対して何の戦略的対応もしていない。

こんな姿を見せつけられたら、外国人たちが、「日本は一体何をしているのか」と思うのは当然だ。日本の株価が今下がっているのは、日本の経済が劣化・悪化しているからではなく、外国から見て、日本の政治が何をしているのか理解不能な状態に陥っているからだと思う。

日銀次期総裁に関して、もしも小泉さんが首相ならば、民主党に下駄を預けたと思う。下駄を預けたら民主党はきっと疲労困憊した。本当は民主党だって武藤さん以外提案する人がいないはずだからだ。

民主党が元財務事務次官の武藤敏郎・日銀副総裁の昇格案に反対すると、自民党は黒田東彦アジア開発銀行総裁(元財務官)を総裁にしようとした。しかし、黒田さんが日銀総裁になると、アジア開発銀行総裁のポストが中国に取られると、外務省が嫌がって拒否した。

次に政府は、渡辺博史国際金融情報センター顧問(元財務省)を総裁にしようとした。ところが今度は財務省が、ランクが違う、年次が違う、若すぎるということで拒否した。

結局、政府が提出した元大蔵事務次官の田波耕治・国際協力銀行総裁を総裁に充てる案も、衆院では同意されたものの、野党が多数を占める参院で不同意となった。これによって19日の福井俊彦総裁の任期切れに伴い、戦後初めて日銀総裁が空席となった。日銀法の規定に基づき、福井総裁は19日、政府が上席の副総裁に任命した白川方明・京大院教授を20日以降の総裁代行に指名するという異常事態に陥っている。



持ち駒がなくなった福田政権

今や、政府側には持ち駒がない状態だ。小泉さんが首相ならば、むしろ民主党に下駄を預けることで解決をはかって、自民党ペースを取り戻そうとしたと思う。福田さんにはそういう意思、気力が全く感じられない。

参議院で予算関連法案をあげなければならない。年度末までにあげないと暫定税率が期限切れでガソリンが1リットルあたり25円下がってしまう。

さらに、オフショアの問題もある。1986年12月に、円の国際化のために東京オフショア市場が創設され、ここで活躍する諸外国企業は免税措置がとられた。この免税措置が3月いっぱいで切れ、有税になる。

参議院の委員会での実質審議は、もう完全に時間切れだ。小泉さんならば、むしろ民主党の対案を飲む。その対案の説明をさせて、そこで逆に自民党が異議申し立てをする、という方法をとったと思う。

かつて「つなぎ法案」が衆参議長の斡旋で取り下げられ、民主党はその条件として「年度末までに結論を出す」と約束した。ところが、「サンデープロジェクト」に出演した鳩山由紀夫幹事長は、「衆議院で自民党が乱暴な採決を行ったために、この約束は反故になったと我々は捉えている。だから年度末までに結論を出すとは考えていない」という見解を述べた。そうすると、4月になだれ込む。つまり、暫定税率やオフショアの問題など、すべてが期限切れになってしまう。それをどう考えているのか。



洞爺湖サミットは環境サミットにはならない

今の国会は“小学校の運動会”にしか見えない。自民党も民主党も戦略らしきものがまるでない。そして、虚しいエゴイズムのぶつかり合いをしている。こんなことが続けば続くほど、外国からの日本に対する信頼は揺らぐ。揺らぎに揺らいで、すぐに見限りをつけられるだろう。

こういったことに対する恐怖心、危機感が、日本の政治家たちにない。呆れたものだと思う。

洞爺湖サミットは環境サミットになると言われているが、環境などはテーマにならない。何といってもサブプライムローンの破綻問題がテーマになる。世界を襲おうとしている大恐慌に対する準備を全力ですべき時なのだ。一番の問題は、アメリカに一刻も早く公的資金導入の決断をさせるべきだ。この公的資金は100兆を上回るものになるだろう。

今、公的資金を投入することは、つまりブッシュ政権の失政を認めることになり、そうすると秋の大統領選挙で共和党のマケイン候補が非常に不利な立場になる。だから今はまだ決断できない、などと言っているが、もうそんなことを言っている段階ではない。大統領選挙まで待てば世界の実体経済が音を立てて弾けてしまう。

日本はEUなどと組んで、アメリカに一刻も早く公的資金投入するように圧力かけるべきなのだ。しかし、このような世界の重大な問題と、今、日本の国会で論じられていることにあまりにも格差がある。日本の国会ではあまりにも些細なことを論じ合っており、世界の大問題に日本は何も関与していない。情けない限りである。



福田首相はサミットまでもたない可能性も

民主党は「4月解散、5月選挙」と言っている。4月解散、5月選挙になれば、自民党は負けるだろう。このままでいけばその可能性はある。福田さんはサミットを仕切れないまま終わってしまう可能性もあるということだ。

今の福田政権では国民も不安でどうしようもない。だから株価もどんどん下がって、円も100円を割る。先日の「サンデープロジェクト」では、円が90円を割るという可能性も指摘された。しかし、政府は為替介入すらしていない。ユーロなどに比べると、まだ円安の局面だと見ているのだと思うが、このまま放置すれば大変なことになる。

この事態に政府は一刻も早く対応し、強いメッセージを出さないと、本当に世界の中で完全に日本は取り残されることになるだろう。



田原総一朗の政財界「ここだけの話」田原 総一朗(たはら・そういちろう)
  1. 2008/03/24(月) 06:00:53|
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JAPAiN(日本の痛み)

■日銀総裁人事紛糾で経済低迷なら

 ≪無為無策を決め込む姿≫

 英エコノミスト誌(2月23日号)の「JAPAiN(日本の痛み、『JAPAN』と『pain』の合成)-世界第2位の経済国は落ち込んだままだ/その原因は政治にある」と題された記事は、度々、メディアで紹介され、反響を呼んでいる。これは、要するに、「日本の政治の質が劣悪だ」という趣旨の記事である。

 サブプライム・モーゲージ(信用度の低い借り手向け住宅ローン)の焦げ付きに端を発した国際経済の混乱を前に、「世界第2の経済大国」であるはずの日本は、無為無策を決め込んでいる。この記事からは、そうした落胆が伝わってくる。

 筆者は、「JAPAiN」記事の趣旨には概(おおむ)ね賛成する。それと同時に、塩野七生著『海の都の物語』の中の次の記述を思いだす。

 「資源に恵まれないヴェネツィアのような国家には、失政は許されない。それはただちに、彼らの存亡につながってくるからである」

 2000年以降、新興国と呼ばれているのは、中国、ロシア、インド、ブラジルであろうけれども、これらの国々には、もともと、広大な国土も資源もある。故に、これらの国々が一定の程度まで発展を遂げたとしても、何ら驚くに値しないであろう。しかし、日本は事情が異なる。「これだけ国土も狭く資源のない国が、まだ世界第2の経済大国といわれているのだから、本当は凄(すご)いことに違いない…」というのは、筆者の率直な感慨である。

 しかも、近年では、「経済大国・日本」を象徴するトヨタやソニーといった企業ブランドに加えて、料理やアニメーションの領域の「ジャパン・クール」が世界の注目を集めるようになっている。その点、日本は、確かに「凄い国」である。

 ≪スケールの小さな議論≫

 しかし、こうした立場の前提は、「時宜を得た統治」が適切に行われることである。現在、与野党を問わず日本の執政に与(くみ)する政治家には、前に触れた「失政は許されない」という切迫感は、どれだけ働いているであろうか。

 今期通常国会の焦点の一つは、揮発油税暫定税率の見直しであるけれども、民主党が唱える「ガソリン値下げ」云々という誠にスケールの小さい議論からは、そうした「切迫感」を感じ取ることは難しい。現下の景気失速懸念を前にして、それが有効な「処方箋(せん)」であるという説明は行われていない。

 加えて、「世界第2の経済大国」の金融政策を司(つかさど)る日本銀行の総裁・副総裁の人事が、実質上、「党争」の具にされているのは、誠に嘆かわしいことであるといえよう。民主党は、武藤敏郎副総裁の総裁昇格を軸とした政府案には、「財政・金融の分離」の観点から難色を示している。

 しかし、「財政・金融の分離」とは、平時の論理である。国際経済情勢が「暴風雨」の最中にある今、中央銀行総裁・副総裁を選ぶ基準は、「どのような出自・経歴の持ち主か」ではなく、「どのような手腕の持ち主か」ということ以外にはあり得ない。

 民主党は、現下の難局対応の手腕に疑問を感じるという理由で武藤副総裁の総裁昇格に反対するのであれば、その反対には理があるかもしれないけれども、「財政・金融の分離」という平時の論理に固執して反対するのであれば、それもまた、前に触れた「失政は許されない」という意識が民主党においては希薄であることを示す明白な証左となろう。

 ≪55年体制的な惰性か?≫

 無論、民主党が政府批判を専一とする「55年体制」思考の惰性の上で武藤副総裁昇格案に反対しているのであれば、それは、「国益」よりも「党益」を優先させた論外の沙汰(さた)と呼ぶ他はない。現在、民主党は、日本銀行総裁・副総裁の人事権を持たないにせよ、参議院第一党という立場に拠(よ)る「拒否権」を有している。民主党は、そうした権限に伴う責任をどこまで自覚しているのであろうか。

 もし、此度の日本銀行総裁・副総裁人事に絡む紛糾が経済低迷の歳月を再び到来させることになれば、筆者は、その経済低迷を「永田町不況」と呼ぶことにしよう。そして、筆者は、「民の竃(かまど)の賑(にぎ)わい」を消した「永田町不況」の責任を負うべき政治家、特に「党争」に平然と走った民主党政治家の顔ぶれを長きにわたって記憶に留めることにしよう。

 しかし、「永田町不況」こそは、「民の竃の賑わい」を実現するのを原初的な役割としているはずの政治家にとっては、最も避けるべきことではないのであろうか。

東洋学園大学准教授・櫻田淳(さくらだ じゅん)
  1. 2008/03/12(水) 21:30:38|
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スタグフレーション到来

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2008年景気展望(1) 戦後初のスタグフレーション到来か



政府や日銀によれば、2007年は景気拡大が6年目に入り、戦後最長の息の長い景気拡大が続いたとしている。しかし、一般国民にはそうした実感はなかっただろう。

おそらく、何年もたってから振り返ってみると、景気が後退に入った年として記憶されるに違いない。そして、2007年は格差の拡大と定着がなされた年でもあった。

国税庁の調査によると、給与所得者の平均年収は9年連続の減少。年収200万円以下の給与所得者が21年ぶりに1000万人を超える一方で、高額所得者は増加した。つまり、中流が崩壊して、上流と下流が増えるという近年の傾向が続いたのである。

平均収入の減少は非正社員が増えたことと大きく関係しているが、では正社員は安泰なのかといえばそうではない。夏のボーナスは3年ぶりに減少し、冬のボーナスも増えたのは一部の大企業だけで、平均値は減少した。これは、年収の減少が正社員をも襲ってきたことを意味している。

こうした収入減に加えて、2007年は増税にも見舞われた。定率減税が完全に廃止され、税源移譲にともなって住民税がアップ。多くのサラリーマンの場合、所得税率が10%から5%に減少する代わりに地方税率は5%から10%に上昇した。

合計の税率が変わらないので、損得がないようにみえるがそうではなかった。地方税は前年の所得にかかる税金であるため、税率アップは2007年分の所得分(つまり2008年の納税分)から課すべきなのだが、1年繰り上げて増税されてしまったわけである。そして、定例となった社会保険料負担増もあった。

収入減に増税が加わって国民の可処分所得を減らしたわけだから、消費が増えるはずはない。2007年の景気が力強さを欠いたのは当然のことである。




ひたすら景気が悪化した2007年

2007年の景気が力強さを持たなかった理由は、可処分所得の低迷だけではない。2月に日銀が2度目の利上げに踏み切ったのは100%の失敗であった。利上げの時期を見誤ったことで、じつにきれいにマイナスの効果がでた。

せっかくデフレ脱却が見えていたのに、その2月から消費者物価指数の対前年伸び率が再びマイナスとなり、日本経済がデフレに戻ってしまったのだ。

さらなる不幸は米国発のサブプライムショックである。全米で200万人以上のローン破綻者が生まれたため、サブプライム・ローンを組み込んだ証券は暴落し、証券を買っていた金融機関は大損をした。このことが、国際的な金融不安につながり、日本の株式市場の低迷にもつながっていったのである。

米国の住宅バブルが崩壊すると、その資金は原油市場に流れ込み、原油価格の高騰を招いた。1バレル=100ドルという極端な原油高騰の原因は、中国やインドでの需要増大ではなく、原油価格を支配しているニューヨーク市場に膨大な投機マネーが流入したことにほかならない。

原油高騰の後、マネーは次の商品へと投機先を求め、穀物、大豆などに流れ込み、バイオ燃料の需要増大による穀物価格の高騰に拍車をかけた。

こうしたことが弱っていた日本の景気の足腰を直撃し、11月には日経平均が1万5000円を割り込むまでになるのである。

景気後退を示す象徴的な数字は、11月に発表された9月分の景気動向指数の先行指数だろう。半年後の景気を示すとされる先行指数は、速報段階でも、改定値でもゼロとなったのである。つまり、新規求人数や東証株価指数など、先行指数に採用されているすべて指標が悪化したのだ。これは、実にバブル崩壊直後の1991年以来16年ぶりのことである。

こうしてみると、2007年は年初の好調をピークとして、以後はひたすら景気が悪化した1年だったということが分かるだろう。




収入減少と物価上昇は今年も続く

それでは、2008年の景気はどのようになるのだろうか。

日銀が2007年10月31日に発表した展望リポートによれば、政策委員の予測中央値は、2008年度の消費者物価指数(生鮮食料品を除く)が前年比0.4%の上昇。実質経済成長率が2.1%であった。2007年4月時点の予想と比べると、消費者物価上昇率は0.1%の下方修正となったが、成長率見通しは2.1%で変わっていない。

ちなみに、2007年度の成長率見通しはどうかというと、4月時点の見通しより0.3ポイント引き下げて1.8%とした。つまり、2007年度は1.8%成長、2008年度は2.1%成長と見ているのだ。

これはどういうことかというと、日銀は2007年度よりも2008年度の経済成長が加速すると見ているわけだ。相変わらず順調に景気が拡大していくという安定成長路線を描いているのだが、本当にそんなにうまくいくのだろうか。

どう考えても、そううまくいくはずがないとわたしは思っている。少なくとも庶民の生活はバラ色どころか、厳しくなる一方であり、消費が拡大することは望めないだろう。なにしろ、昨年10月に消費者物価指数がプラスに転じたあとも、値上げが相次いでいる。菓子、パン、灯油、タクシー、ビール、牛乳など、ありとあらゆる商品が値上げを実施したか、あるいは予定している。

この物価高の根本が原油価格の上昇にあることは、ご承知の通りである。表面的には、以前の石油ショックと似ているのだが、決定的に違うのは、物価が上がっても労働者の給料が上がらないということだ。

かつては、物価上昇にスライドして賃金が上がっていくシステムがとられていた。そのために、労働者の賃金上昇がさらに物価上昇を招くというスパイラルを引き起し、狂乱物価の原因となってしまったわけである。

では、いまは何が起こっているか。原材料価格が上昇した分を、小売店が転嫁できない状態なのである。「第107回 食料品値上げ、狂乱物価より心配なこと」で述べたように、消費者の所得が減っているなかで小売価格を値上げしたら、とたんに客離れを起こしてしまうからだ。

そのために、すべてを転嫁することはできず、どうにもしようがない分だけ価格を上げているというのが実情である。

実際、昨年7-9月期の法人企業統計によれば、経常利益は20四半期ぶりに減益になっている。そして、粗利が減ってしまえば給料は十分に払えない。ない袖は振れないから、冒頭で述べたようにボーナスが減少する。こうして労働者の給料はさらに減っていくのである。





家計、株式市場ともに我慢の時期が続く

物価が上昇しているのに給料が減っていくという状態は、このまま2008年も続いていくだろう。少なくとも春闘までに解消される見通しはまったくない。恐ろしいことだが、これまで戦後日本が一度も経験したことのない「スタグフレーション」(不況下の物価高)が進行する可能性がある。

各企業の賃上げ率は今後2カ月ほどで決まっていくが、こうした環境のもとで賃上げ率が上向くことは期待できない。しかも、ボーナスについては春の時点で夏冬の分を同時決定する企業も多い。となると、2008年度の収入が大きく増えることはないだろう。むしろ減る方向にあると考えたほうがいい。

一方で、一度動き出した物価上昇は止まらない。あまりにも悲観的に過ぎると言われるかもしれないが、どう考えてみても2008年前半は家計の身動きがとれなくなるのが目に見えている。

株式市場に目を向けてみると、重要なポイントは2008年早々に明らかになる2007年10-12月期の決算だ。ここで、サブプライム関連の損失が7-9月期よりもはるかに大きく出てくると、株式市場が動揺して株価はしばらく低迷することが予想される。

悪い予想ばかりが先立ってしまう2008年だが、夜明けの来ない夜はない。景気の悪化は今年の前半で底を打つとわたしは見ている。なぜなら、前半に悪い材料が出尽くすからだ。

後半については、家計に劇的な向上は望めないものの、少なくとも日本経済全体は、金融当局の失策や世界規模でのハプニングがない限り、後半から上向いていくことだろう。



(出典 : 経済アナリスト 森永 卓郎

  1. 2008/01/21(月) 06:00:01|
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こんなにすごい日本人のちから

こんなにすごい日本人のちから―だから、日本の未来は明るい!
日下 公人

こんなにすごい日本人のちから
だから、日本の未来は明るい!

悲観論はもういらない。未来を見通す“日下哲学”のエッセンス


目次

政策研究
「パックス・アメリカーナ」と日本人の自立力
政府は国民の意識変化に遅れている
スペシャリストを超えるゼネラリスト
聖徳太子の十七条憲法
国民を信じなさい
日露戦争と日本精神
洞察力に関する二十一の雑感
歴史と協働力
宇宙戦艦ヤマトに見る転換力 他





あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学
日下 公人

あと3年で、世界は江戸になる!
新「風流」経済学


平和と繁栄が長く幸福な国の姿を世界史の中に探せば、それは江戸時代と今の日本である。江戸時代にあったもの、およびこの50年間、日本が実行しているものには世界的普遍性がある。21世紀、日本は江戸に復古している可能性が高い。そして、その江戸に戻った日本に憧れて日本を目指そうとするから、世界は江戸になっていく。2010年、世界は江戸化に向かって進む。









リスクを取れる人材をどう育てるか



街を歩く会社員たちの顔を見ていると、昔はいなかったような顔つきの人を見かけることが増えた。

まず、とても賢そうな女性がキッとした顔で歩いている。その人たちはたいてい外資系、その中でも金融証券業に勤務している。毎日数字やウェブの画面を見て、一瞬の決断で売り買いして、結果を出さなければいけないのだから、顔が険しくなるのも分かる。

外資系の会社はそういう人たちを成果主義で管理している。管理している人たちも経営陣から管理されている。経営陣のトップにいるのは米国人や英国人、インド人などなど。外資系の社員はそういう生活をしているから、ボーナスの額も大きく上下する。

彼らは、ひと勝負してたくさん当てたら早く引退したいらしいが、街を歩いていると、日本にも彼らのような人たちが現れたなと感じる。

日本は今や対外債権国になっている。だから、海外で運用して利益を上げることが大きな商売になっている。その運用益は、英国が3%台後半程度、ところが日本は2%台後半程度でしか回してないと聞いたことがあるが、最近の数字では英国5%、日本4%台に上昇している。そんな数字を正確に出せるのかどうか少し疑問だが、ともあれ運用のやり甲斐がある時代になっている。




リスクからリターンを得る人に成功してほしい

昔から英国は金融で世界に冠たる国であった。その結果もあって最近では1人当たりGDPが日本より上になったらしい。

かつて英国の1人当たりGDPは日本の半分だった。やはり金融、証券で回復したのだろう。金融、証券は国家全体を潤すくらいもうかる商売だということか。昔はロンドン、その前はアムステルダムが金融、証券業の中心だった。日本はそういう経験がなかったので、いまだに運用は下手である。

にもかかわらず、海外資産運用高では、おそらく日本がトップである。つまり、金を世界一貸している国が日本で、借りている国が米国で、そして運用国が英国である。そして日本も運用国になりかけているから、険しい顔をしたサラリーマンが増えているのである。

わたしはそういう人に成功してもらいたいと思っている。みんなで応援したいものだと思っている。

どういう人がリスクの中からリターンを得ることができるのか。日本人はそれを議論したことがない。そういう人はただ嫌われる。成功したら嫌われるし、失敗したら「それ見たことか」と言われる。

しかし、日本の金融、証券業が活性化する方向に向かうなかで、それに取り組む人が増えてきたのだから、そうした人に対する見方も少し考え直さなければいけない。そして運用する人や法人に温かい行政・法制・税制を打ち立てねばならない。それから運用の本質や実際を教えられる大学と教授が必要だが、たぶん日本人にはいないだろうから、お雇い外国人として英国人やユダヤ人やオランダ人を招く必要がある。

日本人は人がよいからいつもカモにされている。『日本人が買いに来たら相場は終わり』とニューヨークやロンドンで言われているのがその証拠である。つまり日本人は高値づかみをしている。




女性の方がリスクを取れる条件がそろっている

険しい顔で金融、証券業に取り組むような人たちは、いったいどこから現れてきたのか。その多くは女子大学生である。

男は法学部とか、経済学部とか、文学部とか、商学部とかいろいろ分かれているが、数学と金融をやって大いにほめられて就職したのは女性が多い。女性は何事もまっすぐに取り組む。そして大学で数学や金融を学んで、外資系会社に就職する。

大雑把な言い方になるが、イチかバチかの勝負はどちらかというと女性の方がトライする。なぜなら、一般的に女性は男性を養うわけではないからで、家庭がある男性はそれほど大きな冒険はできない。

かつて社会党が「この次は絶対に社会党の時代だ。大量当選するぞ」という時に、立候補者を集めたら女性ばかりだったことがある。男性は落選したら困るけれど、女性は落選してもそれほど困らない。小泉チルドレンや小沢チルドレンにも同じことを感じる。

つまり、リスクを取れる条件は女性の方がそろっている。そこで考えるべきなのは、彼女たちが持つべき精神状態である。だが、そういうことは誰も言わない。「海外をもっと広く見ろ」とか、「情報を集めろ」とか、「インテリジェンスを持て」とか、そんな程度のことしか言われていない。




「公式見解」しか話せない人が多すぎる

では、インテリジェンスとは何か。わたしは今まで77年間生きてきて、こうしてコラムを書けと頼まれたりしているのだが、それほどのインテリジェンスがあるかないか、自分では分からない。それでも人と出会って話をすると、多くの日本人はあまりインテリジェンスがないなと思う。

外務省の人でも、警察の人でも、防衛庁の人でも、大臣経験者でも、話しているのを聞いていると、「そんな浅はかなことでいいのかね」と思ってしまう。

単にインフォメーションの流通の取り次ぎをしているだけである。内心ではもっといいことを考えているのかもしれないと思って付き合うと、1割くらいはそういう人がいるが、あとの9割は、自分でも何だか分からずに公式見解を話している。

いつまでたってもマスコミ情報の受け売り、公式見解。個条書き、大学で教えるような話、黒板の上の理論、あるいは外国人から聞かされた話ばかりである。そういう決まりきったことばかり覚えて学校の成績を上げた人が日本の巨大な金融資産を運営していては、利益を外国にもっていかれてしまうのは当然である。

今のところ海外資産運用が3~4%で回っているのは、社債や国債が多いからだろう。元本保証確定利付きが多いから、パーにはならないけれど利回りが上がっていない。そんな現状に、経済評論家は「もっとリスクを取りなさい」などと言う。

冗談言うなとわたしは思う。本当にリスクを取ってパーになったらどうするのだ。リスクを取って、しかも成功する人はどんな人かを考えるのが先である。




投資教育は外国ファンドの餌食になる子どもをつくる

そもそも運用する人は他人の金を運用する人である。自分の金を運用した経験もないのに他人の金を運用しているから、責任感がある人はノイローゼになって当然である。

本当は自分の金を自分で運用した方が健康にいい。自分の金ならあきらめれば済む。他人の金でも政府の場合は気楽でいい。大臣を辞めればいい。ところが投資信託などの場合には、担当者は上役に怒られる。

投資者は自分の金だから、わりとあきらめてくれる。だが中間管理職のマネジャーは、運用状況が自分の成績だから、気が気でない。それを気にしているような人は、ファンドマネジャーなどになってはいけない。証券会社に入ってはいけない。もともと、あまり日本人に向いている仕事ではないのだ。

リスクを取って金を回して金を生むということに、なぜか日本人は向いていない。文部科学省は小学校からそういう教育をしていない。「自分で働け」と教えている。

それが最近では、小学校であわてて株の架空売買をやらせている。それをパソコンでやらせれば勉強になる、という。わたしはそれではダメだと思う。

株の架空売買などを学校でやらせると、たまたま成功したのを自分の才能だと勘違いして、親の金を持ち出して株を買うような子どもが出来てしまう。それこそ外国ファンドの餌食になる子どもをつくっているようなものだ。




実体経済を勉強させる教育方法

そんなバカな教育を文部科学省はなぜ推奨するのだろうか。本当に金融や証券に強い子どもを育てようと思うなら、もっと違ったアプローチがいい。

わたしの学生時代の話だが、大金持ちの息子が、「喫茶店を買った」とか「飲み屋を買った」などと言っては、そこへ連れていってくれた。彼は親から、4年分の学資を「これで4年間暮らせ」と一括でもらっていた。だからそれを投資して増やそうと思って、喫茶店を買ったり飲み屋を買ったりしていた。

それが、2、3年経つとみんなパーになってしまって、彼は卒業できなくなった。それで家に帰って親に頭を下げて、残りの1、2年分の学資をもらって、卒業して官僚になった。

おそらく、親の方は織り込み済みだったのだと思う。喫茶店や飲み屋などをやっても、友達が来てタダで飲んで帰るだけで、にぎやかだったけれど、みんなタダ飲み客ではもうからない。

そこで家業を継ぐのは弟になり、彼は勉強して官庁へ行く道に進んだ。ふるい分けの実地テストに落ちたのである。

そういう教育の方が、よっぽど子どもの身体に染み込む。本当に金融、証券業に強い人材を育てたいなら、そういう教育をすべきだろう。パソコンの画面で学ぶより麻雀でもした方がよっぽど勉強になる。

安倍元首相は英国の諜報機関M16と同じものが日本にも必要だと考えて日本版NSCをつくろうとしたが、福田内閣になると塩崎氏と小池氏の主導権争いが先立って、結局は中止になってしまった。そんなことでよいのか。インテリジェンスがなく、インフォメーションもなく、データだけが頼りの資産大国では運用が成功するはずはないから、担当者の顔が険しくなるのも無理はない。


(出典:東京財団前会長 日下 公人



  1. 2008/01/14(月) 06:30:00|
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世界戦争は何をもたらしたか

軍事学入門 (ちくま文庫 ヘ 10-1)
別宮 暖朗
軍事学入門

日本は陸自をイラクに派遣しただけでなく、海自・空自は今なお海外で活動している。そして北朝鮮は核実験を強行し、中国の艦船は日本海を遊弋するようになった。軍事はもはや他人事ではない。19世紀以降の歴史を参照しながら、「開戦法規」や「作戦計画」、「動員とは何か」、「勝敗の決まり方」など素朴な疑問に答える。

目次

第1章 戦争が始まる時
第2章 世界戦争は何をもたらしたか
第3章 大戦争と小さな戦争
第4章 小さな戦争と非対称の戦争
第5章 政治(外交)と戦争
第6章 戦争はなぜ起きるのか
第7章 戦争の勝敗はどう決まるか
第8章 武器の進歩で戦術はどう変化したか
第9章 戦争をなくすにはどうしたらよいか
第10章 現代世界の火薬庫








冷え始めた日米同盟


新しい年、2008年の冒頭に米国の首都ワシントンから日本を眺めると、まず日米関係の暗雲がレーダースクリーンに浮かび上がるようだ。広範な日米関係のなかでも核心となる安全保障のきずなである日米同盟に、深刻な陰りが差してきたようなのである。

つい半年前の2007年夏ごろまで、日本と米国とは安全保障の基盤を主体に、ますます連帯を強くしていくかにみえた。しかもそうした動きはそれまで数年もの間、着実に進んできた。小泉政権、安倍政権の時代には、日米両国の関係、とくに安全保障面での同盟関係は、戦後でも例がないほど堅固になりつつあったのである。

ワシントンでは小泉政権と安倍政権の時代には「日本は米国にとってアジアの英国になる」という標語風の見通しがよく語られた。「アジアの英国」とは、米国にとって日本が「特殊な関係」とさえいわれている米英同盟の固い連帯の相手である英国に等しい存在になるという展望の比喩だった。この標語はかなり現実味さえ帯びていた。ところがいまではすっかり色あせたスローガンとなったようなのだ。

2008年はこうした昨年夏ごろまでの日米同盟の強化の時代とは打って変わって、両国関係のその同盟面がむしろ冷却するという予兆が明白となってきた。既に冷却してきたと述べても間違いではない。その原因や理由を説明しよう。

第一はまず、日本側の米国に対する姿勢や政策の変化である。この変化は激変ともいえよう。




安倍政権の崩壊で変わる日本

まず安倍晋三氏の唐突な首相退陣が大きな変動の要因となった。安倍氏は米国との同盟を強めるという形で日本自身の防衛や安保の努力を増強するという政策を推進してきた。憲法改正をもはっきりと視野に入れての「普通の国」を目指す路線である。その背後には民主主義や人権、自由という基本的な価値観を米国だけでなく、その同盟諸国であるオーストラリアや英国などとも共有するという姿勢があった。

ところがその安倍政権が昨年9月に崩壊した。小沢一郎氏が率いる民主党が同年7月の参議院選挙で大勝するという事態に連動させられた展開だった。その結果、反米的姿勢をみせ始めた小沢一郎氏の主導する民主党がまず日本の自衛隊のインド洋での米国などの諸国連合による国際テロとの戦いに対する支援を打ち切ってしまう。

しかも安倍氏の後継首相として登場した福田康夫氏は、日米同盟に対しては腰の引けた姿勢しかとっていない。増強とか強化という取り組みからはほど遠い。福田氏も自民党の古参政治家だから日米関係重視、日米同盟堅持という基本政策にはきちんと同調してきた。だが防衛や安全保障というテーマ自体には年来、きわめて消極的である。しかも民主主義や人権尊重を外交の基盤にすえるという価値観重視の構えはまったくない。福田氏の政治指導者としての言動には、一党独裁の中国も、民主主義の米国も、同様に扱いかねない融和外交の気配がいつもうかがわれるのだ。

だから日本を「アジアの英国」として、米国が信頼し、依存できる同盟相手にするという発想などツユほどもないだろう。それはそれで見識のある政治理念だろうが、これまでの日米同盟の堅持と強化という観点からすれば、後退ということになる。




「自衛隊のインド洋撤退はきずなを弱める」

第二は、米国側の日本の変化への反発である。もちろん、この反発は第一の要因と表裏一体となっている。

日本の海上自衛隊の艦艇は11月はじめにはインド洋から完全に引き揚げてしまった。前述のように小沢一郎氏主導の民主党の意向の反映である。米側ではこの動きに党派を超えた批判が表明された。米国側の対日姿勢も多様ではあるが、日本のインド洋での海上給油活動の停止は国際テロ闘争からの離脱として米側では超党派の失望が表明された。

例えば、あらたに国防総省のアジア太平洋安全保障担当の次官補となったジェームズ・シン氏は昨年12月中旬の政策表明で「日本の海上自衛隊の給油活動中断は日本の国際安保活動の後退であり、失望を禁じえない」と述べた。シン氏は日本とのかかわりが深く、日中間の種々の紛争でも日本の立場に一貫して理解を表明してきた人物である。

ブッシュ政権の対アジア政策の形成に関与してきたマイケル・グリーン前国家安全保障会議アジア上級部長も批判を隠さなかった。

「今回の自衛隊のインド洋撤退はここ数年、強化されてきた日米安全保障協力のきずなを一気に弱め、日本の米国以外の戦略パートナーからの信頼をも失わせる」

民主党系からも日本への非難が出た。日ごろはブッシュ政権に批判的なワシントン・ポストの社説が次のように論評した。

「小泉首相はかつてインド洋への自衛艦派遣により日本の経済力に見合った国際安全保障上の責任を請け負った。日本側がその政策をいま目前の党派政治の利害のために逆転させることは米国だけでなく、国際社会にとって、日本への信頼性に損害を与えることになる。安倍首相の辞任は小沢一郎氏らに対し反米感情を悪用することが日本の政治での勝利を得るための策略になるという危険な信号を送ったことになる」

米国側の対日批判はインド洋からの自衛艦撤退だけにとどまらなかった。日本の首相が安倍晋三氏から福田康夫氏に替わったこと自体も、米国識者たちは日本の対米協力政策の後退とみる。

福田氏がそもそも日米同盟の強化には慎重な構えをみせ、中国を刺激しないという抑制の政策をとるという認識からの懸念である。ブッシュ政権に近い大手研究機関の「ヘリテージ財団」中国専門研究員のジョン・タシック氏は「福田首相は対米関係よりも対中関係に、少なくとも当面、より多くの配慮を払うという傾向を感じさせる」と論評した。福田氏がたとえ媚中志向ではないにしても、米国との安保協力の強化を主張することは決してない、という認識は米側アジア問題専門家の間には確立されているようなのだ。




日本軽視、民主党から広まる

第三は、米国側にこのところ目立ってきた日本軽視の傾向である。この傾向は民主党側からまず広がり、共和党のブッシュ政権にまでうかがわれるようになってきた。

米国の民主党側の対日軽視を象徴するのは、大統領選に名乗りを上げているヒラリー・クリントン上院議員の外交政策論文だろう。既にこの連載コラム(第60回:日本軽視のヒラリー論文)でも取り上げたが、同議員が昨年11月に大手外交雑誌に発表した外交政策では、日本自体や日米関係は言及さえなかった。米国の同盟関係について述べた部分でも、日本は登場せず、ひたすら「21世紀の米国にとって最も重要となる国は中国」と強調するのみだった。

こうした傾向は米国の民主党側に広がる日本との同盟関係の軽視、そしてそれと裏返しになったような中国偏重の流れの発露だともいえる。民主党全体としての中国への姿勢は単純ではない。民主党リベラル派は人権問題や貿易問題で中国を激しく非難する。その一方、民主党全体としては軍事問題への関心は低いから中国の軍拡には共和党ほどは警戒をみせない。その結果、日本との安保のきずなも共和党ほどは重視しない、ということになる。

2006年秋の中間選挙で民主党は連邦議会の上下両院で多数派となった。その結果、民主党リベラル派で、中国との縁が深いマイク・ホンダ下院議員が主唱する慰安婦問題での日本糾弾決議案が本会議で可決されてしまった。共和党が多数を制していた米国議会では考えられない事態だった。同盟国かつ民主主義の日本を、70年ほども前の慰安婦問題を理由に糾弾するという姿勢は、対日同盟の明らかな軽視である。この慰安婦決議の採択が日本側でも年来、日米同盟を支持してきた勢力を憤らせ、米国に反発させた。

ブッシュ政権自体が北朝鮮への姿勢を大幅に軟化させたことも、日本の軽視という印象を生んだ。ブッシュ政権は北朝鮮の核兵器開発を防ぐために、北側の核「無能力化」と引き換えに北朝鮮を「テロ支援国家」の指定から解除するという方針を打ち出した。国務省主体の融和外交だった。この解除に対して従来のブッシュ政権は日本人の拉致問題が解決、あるいは解決への進展があることを前提条件とすると言明していた。それが変わったのだ。




「テロ支援国家」指定解除、日本の反発は承知の上

日本としては、米国がもし北朝鮮を「テロ支援国家」の指定から外せば、北朝鮮は世界銀行やアジア開発銀行からの大型経済援助を受けられるようになり、日本の対北経済制裁は骨抜きとなる。しかも拉致というテロ行為の解決なしに、北朝鮮が「テロ支援国家ではない」という国際的認知を受けることになる。だから日本は当然、ブッシュ政権のこの動きには強く反対するわけだ。この点についても、すでにこの連載コラム(第62回:拉致問題、米への直接アピールの成果)で詳述した。

この指定解除の動きについて日米関係にくわしい米国議会筋が論評した。

「ブッシュ政権は日本が北朝鮮のテロ支援国家指定解除に絶対反対しているのを知りながら解除へと進もうとしている。その結果、日本側の反発が強ければ、日米同盟に悪影響が及ぶことは必至となる。ブッシュ政権の少なくとも国務省はそれでもなお解除への動きをやめようとしない。この動きは日米同盟を冷却させ、両国の安保協力の将来に不吉な暗雲をもたらす危険がある」

2008年冒頭の以上のような状況は日米同盟に戦後でも先例のない厳しい試練を突きつけているといえよう。



(出典:国際問題評論家 古森 義久)







「坂の上の雲」では分からない日本海海戦―なぜ日本はロシアに勝利できたか別宮 暖朗

「坂の上の雲」では分からない日本海海戦
なぜ日本はロシアに勝利できたか


当時最強と言われた極東ロシア艦隊とバルチック艦隊は、なぜ連合艦隊に完敗したのか?その最大の理由は、日露戦争全期間を通じて連合艦隊の砲術の命中率がロシア艦隊を上回っていたからだ。近代砲術の基礎となる「斉射法」を世界に先駆けて実戦で使用し、独自の砲術計算を編み出した連合艦隊の実像をハードとソフトの両面から検証。世界最高水準の兵器を駆使し、その後の海上決戦の模範となった日本海海戦のすべてを斬新な視点から再現



  1. 2008/01/13(日) 06:30:00|
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