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宇宙のなかの小さくて大きな島国

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ライブのアグレッシブな醍醐味を堪能

齋藤孝の「3分間」アカデミー
これぞ究極の“ビジネスライブ” 「ワーキンググループ」活用法



NHK教育テレビに『にほんごであそぼ』という子ども向けの番組がある。もうかなりの長寿番組だ。その開始当初から、私は監修者として携わっている。スタッフの方々とのつきあいもずいぶん長い。

先日、この番組の企画会議が開かれたときのこと。2~3時間にわたって知恵を出し合った後、そのまま全員で食事に出かけることになった。その食事に要した時間が、ざっと4時間。それでも感覚としてはあっという間だった。
“狩り”の快感を知っているか

特別なイベントがあったわけではない。今さら親睦を深めるといった間柄でもないし、局内では話せないような“別件”があったわけでもない。確かにお酒も飲んだが、メインはあくまでも「食事」のはずだった。

では4時間にわたって何をしていたのかといえば、企画会議の延長戦だ。会議室の2~3時間では飽き足らず、延々とアイデアの出し合いを繰り広げたのである。もちろん強制ではない。誰かがふときっかけをつくったとたん、他の全員からとめどなくアイデアが噴出するようになったのだ。

オフィシャルではないし、気心の知れた仲間内だし、アルコールの勢いもあって、冗談半分に大胆な提案ができる。そのまま一笑に付されて消えていくアイデアもあるが、掛け合い漫才のように複数のアイデアが積み重なり、「実現したらおもしろそうだ」という具体的な企画にまで昇華するものも少なくなかった。

実はこの番組の企画会議は、毎回こういう感じである。顔を突き合わせたまま、時間を忘れて番組の話ばかりしている。もちろん苦痛ではなく、むしろ楽しみですらある。

プライベートな仲間と飲むのもいいし、仕事仲間とグチをこぼし合うのも悪くはない。だが、仕事仲間と仕事の話で盛り上がる快感に勝るものはない。それはちょうど、“狩り”に出かけるようなものだからだ。

世の中という“狩猟場”から、直感と経験を頼りに“獲物”を探し出し、いざ見つけたら全員で取り囲んで“モノ”にしていく。そんな“野性の王国”的なライブの興奮と醍醐味がそこにはある。しかも、その成果が大きければ大きいほど、快感は倍増する。

あるいは獲物を得られなかったとしても、「そこを掘り下げても何もない」「この部分はもう少し調べれば何とかなるかも」といった経験知を全員で共有することになる。これも、その場にいた者しか得られない大きな財産だ。

やや大げさにいえば、こういう時間を過ごすことこそ、働く喜びというものではないだろうか。組織の一員として、多くの仲間とともに働くビジネスパーソンの最大の特権であるとさえ思っている。


なぜ会議の空気は重いのか

ところが、概して会社の会議というと、重たい空気に包まれることが少なくない。発言するのは一部だけで、他の多くのメンバーは押し黙ったまま。最初から銛(もり)も弓も持とうとせず、自粛しているのである。

私が思うに、これはメンバーの資質の問題ではない。多くの場合、空気を重くしている誰か(主に上司)の問題だ。1人で一方的に話したり、部下の反論に露骨にイヤな顔をしたりする。「最近の若者は元気がない」と嘆く中高年層は多いが、そういう人こそ、実は若者の元気を奪っている張本人だったりするのである。これでは、会議が沈痛なままでも仕方がない。

私は『にほんごであそぼ』に限らず、さまざまな会社や学会などの会議に参加する機会がある。それまでおおいに盛り上がっていた会議が、途中で1人が加わったとたんに冷えたり、逆に冷え込んでいた会議が、1人が抜けることで“雪解け”のように活性化する例を何度となく見てきた。私自身はどういうメンバーが集まろうとさして気にしないが、同じ組織の人間関係や上下関係が複雑に絡むと、必要以上に自粛ないし萎縮してしまうものらしい。

もちろん、そんな時間がおもしろいはずがない。上司にとっても、参加メンバーが「のれんに腕押し」では会議を開く意味がない。あるいは会社としても、貴重な人材がこうして時間を浪費することに、何らメリットはない。つまり、誰にとっても一文の得にもならないわけだ。 「そんな会議なら止めてしまえばいい」とは誰もが思うことだが、会社にはそれぞれ文化や慣習やルールがあるため、そう簡単にはいかない。まして部下から上司に対して進言すれば、ますます角が立つおそれがある。


“野性の王国”を自分でつくれ

そこで提案したいのが、「ワーキンググループ」の活用だ。“本会議”で議論すべきテーマについて、参加メンバーのうちの何人かが集まり、事前に大筋を決めたり、事後に細部を詰めたりするのである。

要は、自ら議論しやすい環境を整え、前述したような“野性の王国”をつくろうというわけだ。これは非公式でもいいし、「全員が集まるのは時間と労力がもったいないから」といった恩きせがましい理由をつけて上司に認めさせてもよい。

だいたい会議というものは、本格的かつ大人数になるほど、承認機能のほうが重要になる。したがって丁々発止のクリエイティブな議論には向かない。それを小回りのきくワーキンググループで補完すると考えれば分かりやすいし、上司も説得しやすいはずだ。

ただ重要なのは、その人選だ。メンバー次第で、有効に機能することもあれば不発に終わることもある。「重石」になっているような人を単に除外するだけではなく、直感力に優れた人、かつそのまま飲みに行っても仕事の話で盛り上がれそうな人だけで集まることがポイントだ。仲良しグループではなく、あくまでも効率的にワーク(作業)するためのチームなのだから、これは当然だろう。

ここでアイデアがまとまれば、それを“本会議”に叩き台として提出すればよい。叩き台だから、多少荒削りでも大胆でもかまわない。少なくともノーアイデアで自粛しているより有効だし、ライブのアグレッシブな醍醐味も堪能できるはずだ。
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  1. 2008/05/29(木) 07:30:10|
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社員全員と素早くどれだけでも情報を共有できる

【ウェブ立志篇】米ミューズ・アソシエイツ社長 梅田望夫


■「情報共有」の重要性

IT関係の今年上半期最大のニュースは、グーグルと対抗するために、マイクロソフトがヤフー買収を目論(もくろ)んだことであった。

2月1日に、マイクロソフトが総額446億ドルでの買収をヤフーに提案したところから大騒ぎが始まり、3カ月間にわたる激しい交渉の末、5月3日に両社は決裂。買収提案は撤回された。

この過程を観察していて印象深かったのは、両社のCEO(最高経営責任者)が、節目にあたる重要なタイミングで、買収交渉状況を説明する手紙を全社員にあてて書き、メールで配信し、その全文がネット上のニュースや新聞でも取り上げられていたことだった。

2人のCEOは、それぞれの手紙の中で「情報共有宣言」とも言うべき表現で、買収交渉経過を逐一、全社員に報告することを約束していた。マイクロソフトのバルマーCEOが買収撤退を知らせるメールを社員あてに出したのは、交渉決裂報道が流れたのとほぼ同時だった。

こうした一連の動きは、現代の企業経営において、社員との情報共有の重要性が増していることを象徴する出来事としてとらえるといいだろう。

オープンなインターネットの存在を当たり前のものとして育った若い世代には、誰かと協力して何かを成し遂げようとするときに、情報を可能なかぎり全員で共有しようという風通しのいい文化がある。モチベーションの高いメンバーがすべての情報を共有すると、ものすごいスピードで物事が進み、それが大きなパワーにつながるし、イノベーションも生まれやすくなるからだ。しかも情報共有のためのコストはほとんどかからない。

ウェブ時代の覇者グーグルは、そんな新しい文化を企業経営の根幹に持ち込み、組織における情報共有の常識を根底から覆してしまった会社だ。公開企業に成長し、社員数が1万5000人を超えた今も、ごく一部の機密情報や顧客情報を除き、すべての情報を全社員がリアルタイムで共有するという組織文化を維持している。「情報共有が当たり前、情報隠蔽(いんぺい)は例外」を基本原則としたうえで、情報漏洩(ろうえい)対策などのリスク管理は同時に徹底的に行うという思想だ。

同社の驚異的な成功がこんな斬新な組織運営によって支えられていることもあり、シリコンバレーで新しく創業されるベンチャーはもちろんのこと、アメリカの大企業も、グーグルの思想から強い影響を受けはじめている。

私たちが慣れ親しんできた「組織の仕事」とは、大組織になればなるほど、重要な情報はほんの一部の人によって占有され、組織全体で何が起きているかをほとんどの社員は知らないのが普通である。組織運営もそのほうが格段に楽だった。

しかし今は、経営者の意志次第で、社員全員と素早くどれだけでも情報を共有できる道具立てが揃(そろ)っている。情報共有への姿勢は、経営者の意識の新しさをそのまま映す鏡となった。ネットになじむ若い世代は、情報共有を希求する気持ちが強い。よって若い知性を惹(ひ)きつけたいと考える頭脳産業では、組織内情報共有のあり方は、企業の創造性を左右する死活問題となった。「技術的に困難」という言い訳もできなくなり、グーグルのような革新者も現れた。私たちはそんな時代を今、生きているのである。
  1. 2008/05/27(火) 07:30:19|
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メディアの自走性

伊東 乾の「常識の源流探訪」



「数値目標」が判断を誤らせる


タレントで弁護士の橋下徹氏は財政再建を旗印に選挙戦を戦って大阪府知事に当選しました。2008年2月6日に行われた知事就任後最初の記者会見で橋本氏は「財政非常事態宣言」を出しています。今回はまず、この「非常事態宣言」という言葉に注目してみましょう。

辞書で調べると「非常事態宣言」とは、主として国家の運営が何らかの理由により破綻の危機に瀕し、これに対して「平時の法制を超えた措置を実施すること」を最高責任者が発令するものとされます。テレビの演出にも通じているはずの橋下氏やそのブレーンたちは、あくまで比喩、ないしキャンペーンとして、この「非常事態宣言」という言葉を使ったのでしょう。しかし、言葉の定義を厳密に考えるなら、これは大変に不用意なことです。なぜなら選挙という民主的な手続きで選ばれたはずの候補者が、知事に就任早々「平時の法制を超えた強権」の発動を宣言している、と誤解されても仕方がないからです。


当選直後の戒厳令?

通常「非常事態宣言」が発せられる対象としては外国からの武力攻撃や内乱、暴動、テロ、大規模災害などが挙げられますが、橋下氏は財政再建に関して平時を超えた強権を発動しかねないと、就任早々宣言している。

通常の「非常事態宣言」発令に際して行われる措置には、警察および軍隊を含む国家公務員の動員、公共財の徴発、検問や家宅捜索などの許可、特に内乱に際しては集会の自由やストライキなど市民の権利を制限する措置も含まれる。こうした市民の権利制限が強くなると、性格として戒厳令に近くなってしまいます。

この最初の記者会見で橋下氏はまた。2008年度予算は前年比で「1000億円削減する」と明言してしまいます。この「1000億」という数字の算出根拠はよく分かりませんでした。が、ともかく一度「1000億削るんだ」という「数値目標」が立ってしまうと、それに向けて物事が動き始めてしまいます

「子供が笑う」をキャッチフレーズに当選した橋下氏が、最初の記者会見で「財政に関しては戒厳令を発布します」と公言した。このことの意味や責任は、以下の経緯などを見るにつけても、きちんと考えておく必要があると私は思います。


拙劣な「合理化案」

果たして、上の記者会見から2カ月ほどが経過した4月11日、橋下氏のブレーン集団「大阪府改革プロジェクトチーム」は、事業費や人件費などの削減によって平成20年度に1100億円の収支「改善」を図る「財政再建プログラム試案(PT案)」を発表します。若い橋下知事の「聖域なきゼロベース」での見直し方針に従って、高齢者、障害者、乳幼児を対象とした医療費補助削減のほか、私学助成のカットなど、府民生活に直接の影響を与えるものに踏み込んだ「大胆」な改革案が、2カ月ほどの短期間でまとめられました。

別の言い方をするなら、知事が公言してしまった「1000億」という数値目標に無理やりでも合致するようなプランが、2カ月程度の突貫工事で作られたとも言えるでしょう。

知事が各種人権団体などを含む「聖域なき改革」を掲げたことを評価する人もいます。確かに、慢性化した不健全な財政の正常化への決意自身は、その意気やよし、とすべきでしょう。しかし「PT案」内で同時に示された「府公務員人件費一律1割削減」「文化施設や文化団体、イベントへの援助打ち切り」などの方針の中でも、人件費削減はたった数日の内に予算案に計上しないことになりましたし、そもそも選挙で公約していた「原則として府債は発行しない」という大方針も、当選翌月に直ちに放棄され、160億円ほどの建設事業費用府債の発行が決定されました。私学助成金の削減も撤回されます。こんな具合で声の大きな圧力団体が存在する分野に関しては、就任早々公約と正反対の「現状維持」が続きますが、そうした反発の少ない分野では「公約遵守」なのか、「財政戒厳令」の施行が継続されそうな勢いです。その最たるものが文化や福祉の政策にほかなりません。


行政の社会的責任

私のホームグラウンドであるクラシック音楽の分野でも、大阪センチュリー交響楽団への助成が大幅に削減されることになりました。今年度は前年度比1割弱の削減ですが、来年度は補助自体をまるまる廃止する方針、と聞いています。これは、まともな社会人が計画性を持って立てる「2年度計画」と呼べるものではありません。2カ月の急ごしらえで作った「PT案」の中でも、最も拙劣かつ乱暴極まりない「支出削減案」の1つと断言してかまわないでしょう。

当然ながら、大阪では「オーケストラを守ろう」という声が沸き上がり、署名運動なども起こっています。ただ、先月関西でオーケストラの仕事があり、そこで私も現地の声を聞いてみたところ「ほかにも痛み分けをしている分野があるので、私たちオーケストラだけを、とは強く言えない…」と困惑する現場のホンネも聞きました。

「財政が危機に瀕している」という「非常事態」で「戒厳令」が発布され、「聖域なき改革」の旗印で極端な支出削減案を、経験の少ない若いスタッフが短期間に作り上げる。そのこと自体を悪いとは必ずしも言えないかもしれません。慢性的な財政破綻に苦しむ地方自治体としては画期的な、カンフル注射的な効果は上がったでしょう。

さてしかし、いざ旗印を掲げたところで、声の大きな圧力には「聖域」のないはずの「改革」がさっさと腰砕けになり、小さな声しか本当に上げることができない文化や福祉が結果的に「聖域なしに」圧迫されて「数値目標」の達成が急がれるという状況は、正確に指摘しておく必要があります。

ここで見失われているものは何か? それは「行政の社会的責任」そのものにほかなりません。敢えて「CSR」(企業の社会的責任)になぞらえて言うなら「GSR」Government’s Social Responsibility の感覚が完全に欠如したまま、「支出の削減」という数字の目標だけが暴走し、一度破壊してしまったら、二度と取り戻せない「環境」に対する行政の責任を、全く顧慮していないから、こういうことが起きるのでしょう。


ナチスの非常事態宣言と福祉・文化の圧迫

これは大阪の例とは無関係ですが、「非常事態宣言」と「福祉、文化の圧迫」が直結する代表例として、私はどうしてもナチス・ドイツの社会政策を想起してしまいます。

アウシュヴィッツ強制収容所でのユダヤ人大虐殺などは多くの人がご存じですが、こうした「絶滅政策」の端緒が、心身障害者の福祉圧迫に端を発したという事実は、日本では十分に知られてはいません。

「精神病患者や精神薄弱者などを国家が補助して養うと」「1年当たり何万マルク(ライヒスマルク)の無駄になる」「だから病院収容所に集住させて」「最終的には絶滅政策の対象とする」

一般にはナチス・ドイツの「狂気」が強調されることが多いですが、現実のナチス政策は押しなべて極めて「合理的」で、明確な根拠があるものばかりです。ポイントは、そこで「人命」などより「財政」「効率化」などを優先するという価値判断にある。それを「狂気」と呼ぶことに私は大いに反対です。そんなことを言っているから幾度も同じミスを繰り返すのです。「価値観」の誤りをこそ、私たちは「他人ごとではない」と自戒して、意識し続けねばならないと思います。

社会が心身障害者と共生することで発生する財政支出が一定額あるでしょう。それをゼロにするという程度のソロバン勘定で「非効率な人間は殺処分」という決定を下してしまったナチス政権は、何か決定的なものを失ってしまいました。

取り返しのつかない、何かの「精神環境」が、決定的に破壊されてしまった。当初は障害者や精神病者に限られていた政策が、やがて「劣等人種」と勝手な烙印を押した「ユダヤ人」やナチスに抵抗する政治犯、ロシア人、ポーランド人、ルクセンブルク人全体などに拡大するのはアッという間でした。多くの「取り返しのつかない一歩」は、小さなきっかけから踏み越えてしまうことが多いようです。


「後期高齢者医療制度」にも同じ構造が…

先週「分子進化の中立説」から「一見目立たない突然変異」の急速な蓄積を社会現象に当てはめて考えましたが、あの話は前回の「裁判員制度」だけに限るものではなく、およそあらゆる社会現象に関して、慎重に検討してみる価値があるものだと私は考えます。

「やがて到来するであろう団塊世代の老人医療費爆発」を念頭に、「数値目標」が設定されて、試行的に導入されたらしい「後期高齢者」医療の問題も、上記と大変に似通った性格を持っています。私自身、身近に80代90代の方が幾人も居られるのですが、ほぼ全員の方が例外なく「年寄りは死ねという政策か?」と、既に憤りを超えて呆れて言葉が出ないようです。

一度壊したら取り返しがつかない、生命のようなデリケートな対象への顧慮を欠いた、乱暴で拙速な「数値目標」の実現。近代化(モダニズム)が歌われた20世紀を通じて、これによってどれだけの地球環境が破壊されたことか(乱開発)。あるいはどれだけの貴重な文化が失われ(「文化大革命」からタリバーンによる「バーミアン石仏爆破」まで)、どれだけ精神風土が荒廃したことか(米国社会が典型的ですが)。

内外の歴史に先例を見ても、拙速な「合理化」の改革が、取り返しのつかない「環境破壊」を引き起こした例は枚挙に暇がありません。


精神・文化の環境保全

さて、話を大阪に戻しましょう。

大阪府が一律に支出削減の対象とし、声が大きくなかったために存亡の危機に瀕しているのは、お笑いの「大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)」、男女雇用均等に関する「大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)」そして大阪センチュリー交響楽団などです。いずれも、一度壊してしまったら、もう一度それを作り直すのは大変な「精神・文化の環境保全」に重要な役割を果たしている施設と言ってよいでしょう。

生命と同様、文化や精神、つまり「こころ」の器は、破壊してしまうのはいとも簡単です。しかしそれを一から作り出すのは物凄いエネルギーを要します。実際、上記のすべて、かつて「著しいエネルギー」が投入されて、いま存在している設備です。それを、思慮の欠けた拙劣な「合理化案」が、再起不能に追い詰めるところまで破壊するとしたら、一体、それらの施設を作った本来の意図とは、何だったのでしょうか?

社会的存在が持っている価値、果たしている役割、あるいは文化、社会環境の保全という観点。

そこから全体のバランスを取りつつ、支出の削減などを考えるのが、行政が果たすべき社会的責任にほかなりません。現状の「PT案」は、「精神環境」の破壊に関しては戒厳令のまま、極端に乱暴な「数値目標」を振り回しています。

ところが、強いクレームがついたところは軒並み腰砕けになっている。結局「1000億の支出削減」は実現せず、かけがえのない文化価値だけが根こそぎになる、ココロだけ荒んで終わる代物になるように見えてしかたありません。



ココロを統御する大人のプロフェッショナル

既に報道されているようにこの「PT案」を公開した直後の4月17日、橋本知事は府内自治体の首長と意見交換を行うための会合を開きました。ここでは各首長から知事への不満が約1時間にわたって爆発しました。

例えば守口市の西口勇市長は言います。

「子どもが笑う、大人が笑う? どこが笑うんですか? こんなことやっちゃったら泣いて苦しみますよ」

摂津市の森山一正市長は「この際、無責任なたたき台は白紙に戻しなさい!」と、未経験な若者を諭す年長者の口調で叱ったそうです。

こんな状況下、橋下知事はあろうことか泣き始め、声をしゃくり上げながら「いま一度ご協力のほど、宜しくお願いします」と答えたという。それが「メディア」を通じて広く報道されてしまいました。

この「涙」が報道されると、マスコミというフランケンシュタインが自走し始め、おかしな世論が動き始めます。何が起こったのか? 橋下知事への「ガンバレ!」という支持が7割を超えるという現象が起きてしまうのです。

このコラムで私は「ヒトの意思決定は情動がつかさどる」という生理的事実を幾度も紹介してきました。ですが今回の例ほど、そのポピュリズム展開が顕著に見えたことはありませんでした。

30年近く前「ザ・ベストテン」というテレビのお化け視聴率番組で、松田聖子が1位にランクインし、泣きながらヒットソング「青い珊瑚礁」を歌って、人気を不動にしたのが思い出されます。

知事の「涙」が登場すると、府下の首長たちが「悪者」になってしまう。正確には「悪者」に見えてしまう。「泣けば正義」とまでは言えなくても、涙によって、それを見る人の判断が大きく「採点の甘いもの」になってしまうことは、「裁判員裁判」の話題でも触れた通りです。まさに「お涙頂戴」の「浪花節」になってしまう。

さらに、泣いている最中にヒトはまともに思考することができない、つまり効率的に脳を駆動することができないという生理的な事実も、幾度も触れましたが、再度強調しておきましょう。

首長たちに吊るし上げを食らって泣いている時(それが効果を狙ったウソ泣きでない限り)、橋下知事は地方公共団体の長として冷静な判断を下せる、脳の生理状態にはなかったはずです。府知事の重責からは、二度と繰り返してはならない失態と指摘しておく必要があります。

府下の首長たちとの会合という、最も高度に判断を下すべき場において、思考不能の状況(嗚咽)に陥るというのは、要するにこころのコントロールができていない、情動的に未熟の一語に尽きるものです。

曲がりなりにも人口880万府民の生活を守る責任を持つ立場にあるのであれば、こうした場で冷静に物事を判断する強い心と判断力、感情をコントロールする人間としての「器量」が必要不可欠です。その胆力を全く持っていない本質を露呈したうえに、さらにその不始末そのものがメディアの自走性によって「支持」に転化し、正体不明の「追い風」が吹き始める。

誰も企図していないのに、ファシズムというフランケンシュタインが動き出して、いつのまにか止められなくなってしまうのと全く同じ「メディアマインドコントロール」の自走性を、この「泣いた橋下知事への支持現象」に指摘しなければなりません。

これはとんでもないことです。要するに、どんなヒドイ政策を振り回していても、理屈をすっ飛ばし、涙で大衆の情動を揺り動かし、理非と無関係に支持が増大してしまう。橋下氏も10年以上弁護士を本業にしていたのでしょうから法廷でのやり取りや、そこで裁判官の情状を取りつける手練手管はよく知っているはずです。もしその応用で、故意に「お涙頂戴」を演じたのであれば、責任ある首長として資質を疑わざるを得ないことになります。

過失で泣いたのならお粗末の一語。故意であれば府民を欺くパフォーマンス、つまり芝居で同情を集めて、物事の本質を見えなくするのだから、これまた知事という責任ある立場でなすべきことでは絶対にない。どちらにせよ、ろくなものではないことを、ほかならぬメディアを通じて明確に断言しておかねばなりません。

この連載で私がマスメディアと「情報の環境問題」をCSR(企業の社会的責任)の主要なテーマに設定しているのは、こういう「メディアを通じた情報汚染」を未然に防止してゆく、高い目線の水準を持って、良心の灯を社会に絶やさないことが重要だと思うからにほかなりません。


精神環境は一度壊すと回復至難

橋下知事のスタッフたちによる「PT案」が、よく考えずに数値目標で「切り捨てる」と決めた「ワッハ上方」「ドーンセンター」などの施設は、いま書いた「精神の器」人間性とその「器量」を支える、価値ある施設として官費が投入されて設立されたはずです。市民生活に根ざした大切な「文化資源」として、公金を投じて作られたものでしょう。

私の専門で言うなら、オーケストラというのは「ココロのコントロール」「感情の制御」を子どもたちに教える、およそ人知の生み出した、最も優れた学校、教場にほかなりません。

私たちも演奏のさなかに、稀にですが、感極まって涙が流れそうになることがあります。でも、泣いていてはきちんとした演奏はできません。それを自制しながら、確かな感動をお客さんに伝え、今日という日を生き、演奏会という場を共にさせていただいた、生きていて良かった、音楽を共にできてよかったというその価値と意味をしっかりとつかむ。そういう仕事をナリワイにしているのです。

職業芸術家、芸術音楽家の仕事は、ここに大きなポイントがあります。かつて「題名のない音楽会」というオーケストラのテレビ番組で音楽上の責任を持っていた時、私の主要な仕事は、暴力を使わないケンカだったような気がします。というのも、企画会議のたぐいに私は音楽家の(利益)代表として出席していたわけですが、テレビ的なウケを狙いたい制作プロダクションや広告代理店と、鋭く対立せざるを得なかったのです。

職業芸術家として真面目に生活しているオーケストラ演奏家が大切に守っているものがある。右派文化人としても社会的に知られた黛敏郎氏が存命中は、若干視聴率が低くても、音楽の良心にそむくような番組作りはさせなかった。ところがその一線が無くなってしまうと、そこにバラエティ番組の制作プロダクションなどが土足で入ってくるようになる。プロデューサー一人ではなかなか抑えられない。私は黛さんと違ってタカ派ではありませんが、音楽のうえでは通じるものを認めてもらっていた縁があって、その急逝後、番組に責任を持つことにもなりましたので、守ってきたものを台無しにされないよう、徹底して戦うことにしました。まだ30代前半でしたから、若かったのも一因でしょう。

オーケストラのような「精神陶冶の機能」を持つ教育的な組織は、人類社会を広く見渡しても、あまりたくさんは存在していません。本当に貴重なものなのです。

ただ一方では、私たち音楽家サイドも、このようなオーケストラの持つ固有の価値を、もっと分かりやすい形で、社会に還元してゆく必要があるでしょう。

例えば企業経営を考えるうえで、オーケストラという仕組みには、参考にすべき様々な英智が詰まっており、いずれこうした話題にも、このコラムで触れられればと思っています。

音楽サイドも、単に「大事な文化だから助成を!」というだけでは、乱暴で無思慮な合理化に対抗することはできません。逆に「これが失われると、どう困るのか」、社会全体に受け入れられる、価値の喪失として訴えねばならないでしょう。

「オーケストラがなくなると、プレーヤーの生活が困る」のは、当事者にはもちろん切実な問題です。しかし同時に「オーケストラ文化」を生きる私たち音楽家が活動し続けることで、社会にどれだけかけがえのない価値を還元できるのか、それをより明確化する努力も必要な時代なのだと思います。

「文化」はココロの器です。これに触れ、人は感動を通じて感情的に成長し、より力強い人間性を獲得して、難局に対処できる器量も養うことができる。そういうコントロールができるようになれば、少なくとも大切な職業上の会合で、自分の感情を抑えることができず、嗚咽するようなことは減るはずです。

「精神環境」は目に見えません。それを支える文化的な価値は、おなかが減った時には必ずしも腹いっぱいにはしてくれません。しかしココロの置き所が無くなった人に、人間の暖かい感情を取り戻させてくれる、本当にかけがえのない価値を持っている。一方で、「キレる」子どもの心の荒廃や教育を問題にしつつ、同時に「財務」という、顔のないのっぺらぼうの数字によって、せっかく作ったはずの「心の社会資本」をつぎつぎに壊してしまうような、全体像とバランスを欠く政策観はまったく感心しません。

「笑い」という感情が人間にとって持つ意味など、既にこのコラムで幾度も触れてきた通りです。「男女の雇用均等」というのは、ただ言葉で書き、あるいは制度を整えればそれでよい、というものではない。そこで仏を作って魂を入れる施設が作られたはずです。そういう内実に配慮した、現実的な予算削減案であれば、当事者も世論も、違う反応を示しただろうと思います。1か0か、100点か0点かという「改革」の性急さ、それ自身が拙劣なのです。 先に立てた数値目標で内実と無関係に、旋策のあちこちを素人が台無しにして、気がついた時には再起不能なほど行政環境が破壊されていた、では済まないのです。

府財政の健全化は、サラ金の多重債務の整理案ではない。弁護士的な感覚だけで債務整理に当たるとすれば、そこでまるまる欠如するのが「行政の社会的責任」の自覚、ということになるでしょう。


知事は自分の子どもを連れて、まず謙虚に客席へ

たたき台として評判の悪い「PT案」は、6月をめどに予算化されるようです。ここで、私は思うのですが、橋下知事さんには闇雲な「数値目標」の達成や、無思慮な「聖域なし」などではなく、一つひとつ対象を見極め、それらが持つ共同体的な価値を判断したうえで、言うなれば「野党的」な弁護士感覚ではなく、行政府の長としてのバランス感覚と責任感を持って、きめ細かな決定を下す「行政の社会的責任」を徹底してもらいたいと思います。

とりわけ、大阪センチュリー交響楽団に関しては、乱暴な「補助金全廃」のアタマゴナシの前に、どうですか橋下さん、一度客席に足を運んで、演奏を聴いて、何か感じたり考えたりしてから、どういう決定を下すか、改めて決めてみてはどうでしょう?

オーケストラ、そこには学生時代から「ここ一番」という清水の舞台のような試練、入試などの試験演奏から入団オーディション、演奏会の修羅場など、無数の苦境を切り抜けてきた百戦練磨の「感情統御の達人」が100人から、身体を張って演奏をしています。音楽家は涙を見せて客の歓心を買ったりはしません。音楽という実質で、人の心に訴える、そういう職業を生きている。そういう現実を、いちどよくアタマを冷やして認識して頂きたいと思います。コップの水をこぼすのは一瞬、いちどこぼれた「覆水」は、容易には盆に返りません。

現状の「PT案」は、文化資源への無思慮という観点では、アフガニスタンのタリバーンがバーミアン石仏を爆破したのと同じレベルと言って構わない、乱暴なものです。若く見える橋下知事は、実は7人の子どもがいるという。ここはひとつ、静かに胸に手を当てて、いま無責任な無思慮によって存亡の危機に置かれている楽団と、生活の根幹を破壊されつつある音楽家たちの演奏を、知事自ら両目両耳でしっかり見て、聴いて、「子どもの笑う」大阪を文化資源保護、精神環境保全という観点から、根本的に考え直してみるべきではないでしょうか?

その際はぜひ、7人の子どもたちも伴って、また「ワッハ上方」「ドーンセンター」などを回ってから、夕方のオーケストラのコンサートを聴いていただくのがよいでしょう。私自身はセンチュリー交響楽団と一切の利害はありませんが、もし知事一家が聴きに来る、ということになったら、すべての関係者が、(いつも通り、でもあると思いますが)楽団の存亡を賭けて、一期一会の演奏をすると思います。

そこには人間の深い真実が、かならず立ち現れてくるはずです。まだ感じ方も考え方も柔らかいお子さんたちにも、何か大切なものを持って返って貰えれば、と思います。

これは単に橋下さん一人ではなく、類似の行政判断を問われている、責任ある立場の方すべてに、一音楽家として、また感情のコントロールとメディアの問題を調べている一大学人として、常に強くお勧めしたい事に他なりません。

(つづく)
  1. 2008/05/26(月) 02:11:08|
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社員の評価は、ものさしを揃えること

「社長と飲み歩く会」に隠された深慮遠謀
株式会社武蔵野 社長 小山 昇氏



わたしは年に4回、「社長と飲み歩く会」と称して一般社員と酒席を持ちます。これは文字通り、新宿の飲み屋をハシゴして飲み歩くもの。17時30分開始で、お開きになるのは日付も変わる6時間半後。なかなかヘビーな飲み会ですので、翌日が日曜日です。

「社長と飲み歩く会」の目的は、わたしと一般社員とでコミュニケーションを取ることです。現在では従業員数650人で、正社員130人いると、さすがに日常業務のなかで一般社員とコミュニケーションを取ることは難しい。だからといってコミュニケーションを放棄すれば、一般社員はばらばらな価値観で仕事をする事になり、組織としての一体感を維持できなくなる。

会社の経営が思わしくなくなると、すぐに景気や消費動向の変化に理由を求める社長がいます。わたしとて、それらは無関係だとまでは言わない。しかし本当は、社内のコミュニケーション不全による売上減、利益減のほうがはるかに大きい。会社の業績は、コミュニケーションの量と質に正しく比例する。だからこの会を大切なものと位置づけ、当日はひたすらホスト役に徹しています。

さて、これは初めて明らかにすることですが、実は「社長と飲み歩く会」にはコミュニケーション以外にも二つの目的がある。一つは人材発掘。そしてもう一つは守秘義務の訓練です。どういうことかページを改めて解説しましょう。



下戸なのに1合8000円の高級凍結酒を飲み干す社員

まずは「人材発掘」について。

わたしは飲み歩き会の最中、始終社員を観察し勉強しています。店の中での立ち居振る舞いを見て、社員の性格や人となりを判断する。そのために、一般社員ではまず入れないような高級店に連れて行く。ふかふかのソファや豪華な調度品、洗練された店の接客にも臆することがなければ、「ああ、Aくんは積極的だ」と分かる。それは、将来の人事異動の際にも大いに参考になります。

かつてこんなことがありました。課長の上野朝之が一般社員だったころ、飲み歩き会に参加したときの話です。上野はもともと下戸で、一次会では乾杯時のビールにちょっと口をつけただけで終わりました。わたし自身、飲めない社員に酒を強要することはありません。お酒が可哀想ですし、お酒をつくっている人にも失礼ですから。

ところが二次会で1合8000円という高級凍結酒を、上野は臆することなく飲み干し、「お代わり」と言いました。そればかりか彼は、次の店でヘネシーをお代わりして飲んでいました。

わたしは呆れつつも感心しました。上野にとっては、自分が酒に弱いという心配よりも、「1合8000円の凍結酒ってどんな味だろう」「高級酒で知られるヘネシーってどうだろう」という好奇心が勝った。

上野にとっては「不順な動機」だけなのかもしれません。いや、多分そうでしょう。しかし見方を変えれば「チャレンジ精神旺盛」と解釈できる。その後、大きな人事異動をしたために店長のポストが一つ空きました。わたしは躊躇することなく上野を抜擢した。すると彼は見事にわたしの期待に応えました。持ち前のチャレンジ精神で、大きな成果を出した。



「ホステスに連絡先をわたすな」と言われたら

続いて「守秘義務の訓練」について。

飲み歩き会では、ホステスさんのいるクラブに行くこともあります。わたしはそこで「女の子に名刺を渡してはいけない」「eメールアドレスの交換をしてはいけない」と指示します。ところが、これがなかなかできないものなのです。ホステスさんは連絡先を聞きたがるし、社員は社員で酒も入って気が緩んでいる。

ホステスさんに連絡先を教えたところで懇ろになれるはずはなく、せいぜい営業電話・メールが来るだけです。キャバクラのホステスさんは、田舎の中小企業の社員なんぞ本気で相手にはしませんから。けれども社員にしてみれば「もしかして‥‥」と下心も働くのでしょう。参加メンバーの多くはわたしの目を盗んでこっそりメモや名刺を渡します。

わたしの目をごまかせると思っているのが社員の浅はかさです。わたしはフロアでジルバを踊りながら、しっかり彼らの動向をチェックしている。そしてわたしの指示を破って名刺を渡している社員を見つけたら、「あ、Bくんは誘惑に弱いな」と勉強できる。

念のため申しますと、わたしは禁を破った社員を責めることはしません。人間は弱い動物です。酒色の誘惑には負ける社員が普通です。しかしこういう社員には、お客様の個人情報を預かる部門や、我が社の経理を司る部門など、高い守秘義務が課せられる仕事を任せることもできないのも確かです。

ではどうするかというと、守秘義務が重視されない仕事で成果を出させる。人にはそれぞれ適性や性格がある。それをまるで無視しては、本人にとっても会社にとっても不幸です。



評価する物差しは同じにする

反論はあるでしょう。「そんなことで評価されてはたまったものじゃない」「日常業務の中でも判断はできるはずだ」と。

しかし、飲み歩き会に参加する一般社員は、部門横断的に集まったメンバーです。当然、担当している仕事も違えば、スキル、キャリアも各人各様です。つまり日常の仕事ぶりを物差しにすると、さまざまなバイアスがかかり、正確な判断ができなくなってしまう。

正しく判断したいのならば、条件を揃えておかなくてはならないのは自明の理です。だからこそ飲み歩き会で時間と場所を共有し、同じ物差しで社員を評価する。これもまた我が社ならではの平等主義の表れです。
  1. 2008/04/10(木) 06:00:55|
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業界人の根深い思い込み

理系のための番組 業界人の根深い思い込み
~竹内薫の科学・時事放談 より~



業界人の根深い思い込み 私が解説を担当している「たけしのコマネチ大学数学科」(フジテレビ系、木曜深夜)という数学エンターテインメント番組が3年目のシーズンを迎えた。当初はワンクールで打ち切りだとみんなが思っていたようだが、あれよあれよという間に月日が過ぎ、去年の11月には国際エミー賞の最終ノミネートに残り、海外から企画を買いたい、という打診まで来るようになった。先月は、とうとう、主役のマス北野こと北野武が日本数学会出版賞という学術的に価値の高い賞を受賞。世界のテレビ界と日本の数学界からお墨付きを得ることとなった。視聴率をみても、深夜帯では異例の4%や5%という数字を記録することもあり、視聴者の支持もきちんと得ているようだ。4月中旬には待望のDVDまで発売されることになった。

 とはいえ、いいことばかりではない。新シーズンに入るや否や、これまでよりも厳しい収録スケジュールとなり、出演者もスタッフも体力ギリギリで踏ん張っているような状況なのだ。深夜帯なので、なかなか有力なスポンサーも見つからず、制作費を極限まで切り詰めないと番組が続行できない。こうなると、出演者とスタッフの情熱、そして、視聴者の応援だけが、日本唯一の数学エンターテインメント番組の命運を握ることになる。

 実をいえば、民放には正面切って数学や科学を扱う番組はほとんどない。この一番の原因は、テレビ業界で編成や制作に携わる人に理系出身者がほとんどいないことだろう。人間誰しも自分を基準に世界を計ろうとする。自分が苦手な科学の話なんて「誰も見ない」と考えたとしても不思議はない(新聞には科学部があるから、ちゃんと理系の情報を分析できる人材がいる。なぜ、新聞にはできて、テレビにはできないのか不思議である)。

 だが、あまりに人材の出身分野が偏っていると、判断を誤ることも多くなるにちがいない。視聴者はみんな、本当に「科学なんていらない」と考えているのだろうか。もし、それが本当だとしたら、「たけしのコマネチ大学数学科」が長寿番組になることなどありえない。この番組は、いわゆる業界人の根深い思い込みに対するアンチテーゼなのだ。

 最近、番組でやった問題をご紹介しよう。「正三角形を切り分けて、並べ替えて、正方形をつくってください」。一見、簡単そうな問題だが、伝説のパズル王ヘンリー・アーネスト・デュードニーが考えた問題で、1905年には英王立協会に招かれて解答を披露しているくらいだから、相当手ごわい。実際、私は番組のための解説を考えるため、自力で解こうとして、徹夜をしたが完全な解答には到達できなかった。そこで、番組ではヒントを用意して解いてもらったのだが、出演者たちは、文字どおり「知恵を振り絞って」解答に近づいていった。ここには純粋な知的楽しみがあり、不思議な爽快(そうかい)感がある。

 え? 問題の答えを教えろ? 申し訳ない。意地悪なようだが、数学や科学の醍醐(だいご)味は、考える過程にこそある。1カ月以内には放送されると思いますので、どうか、それまでじっくりと考えてみてください!


  1. 2008/04/06(日) 06:00:55|
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リーン・オフィス :: Lean Office

The Lean Office: Collected Practices & Cases (Insights on Implementation)
The Lean Office: Collected Practices & Cases
(Insights on Implementation)




Product Development for the Lean Enterprise: Why Toyota's System Is Four Times More Productive and How You Can Implement ItProduct Development for the Lean Enterprise: Why Toyota's System Is Four Times More Productive and How You Can Implement It

Michael N. Kennedy





市場変化に対応する新しい製造アプローチ
成功する「モノ作り」のモデリングを説く




収益悪化の根本原因

 製造業における「モノ作り」のビジネスは、顧客満足度を最大化するために、「何を(WHAT)」、「どのようにして(HOW)」、「提供するのか(SUPPLY)」といった課題を解決することが基となる。

 実際、顧客満足度を最大化すれば、売上げは向上する。だが、一方で、在庫やコストを最小化しなければ、利益は上がらない。つまり、「いかなる製品を提供するのか」だけではなく、「どのようにして、それを供給するのか」といった課題も、同時に解決しなければならないわけだ。しかも、今日では、顧客ニーズや競争相手がさまざまに変化している。そうした中では、改善と革新の取り組みを継続的に進める必要もあるだろう。

 このような視点でとらえた場合、日本の製造業が抱える収益構造上の問題点はどこにあるのだろうか。おそらく、それは、図1のようにモデル化することができるだろう。

リーン・オペレーション 図1


 もちろん、これは、あくまでも一般的な現象をモデル化したものにすぎない。ただし、図1に示した問題は、前世紀(20世紀)におけるマス・プロダクション(大量消費・大量生産)時代の手法から脱し切れていない、大半の企業に当てはまるのではなかろうか。

 マス・プロダクションの時代、製造各社における収益改善の方法論は、「分業」と「階層型の組織(縦割り型の組織)」という2つのビジネス構造(または、組織論)の上で成り立っていた。

 そのため、製造各社は、部分効率による局所的なコスト削減の積み上げによって、利益率の向上を図ってきたのだ。

 ところが現在、経済のグローバル化により、製造各社は厳しい国際競争の荒波にさらされている。また、それに伴い、同一のターゲット市場に向けて、同種の製品が過剰に供給されるようになった。そのため、製造各社は、新製品を相次いで市場に投入せざるをえなくなり、必然的に製品のライフサイクルは短くなっている。加えて、製品供給ルートのグローバル化や産業構造のモジュール化(後述)などにより、製造各社は、生産/販売拠点の分散化も余儀なくされているのである。

 このような経営環境下では、マス・プロダクション時代の部分最適の考え方を切り捨てなければならない。

 例えば、マス・プロダクション時代の手法に従えば、製造・物流コストを切り詰めるために、「まとめ生産」や「大量ロット物流」といった局所的な対策が講じられる。しかし、今日において、このような手法を取ると、在庫の増大と、それに伴うコストの上昇、および、キャッシュ・フローの悪化を招く。また、そうなれば、部分最適を「是」とする従来型の経営論理(経営のシステム)により、縦割り型の組織の中で、さらなる局所的な最適化が図られることになるだろう。そして結局は、在庫量とコストが、一層増大するといった悪循環に陥るのである。

 以上のように、製造業の収益構造を、各事象の因果関係をベースにモデル化すると、「設計から製造、物流、販売に至る横串連携の不備」、「コスト中心の(コストを基準にした)部門評価」といった点が、収益悪化の根本原因として浮かび上がってくる。

 これからの製造業界で勝ち残るためには、このような根本原因を断ち切らねばならないのである。


“勝つ”ための4つの条件

 ならば、上述したような収益悪化の根本原因を断ち切り、製造業界で勝ち残るためには、いかなる戦略を展開すればよいのだろうか。

 筆者は、ここ数年来、SCMの本質を見極めるべく、「ジャスト・イン・タイム(JIT)生産」や「制約理論(TOC:Theory of Constraints)」※1、および「リーン・オペレーション」(後述)といった、新たな「モノ作り」の概念(もしくは、モデル)についての研究を進めてきた。その結果、こうした考え方に基づく「モノ作り」の革新や、ITを駆使した組織間の横連携を実現することが、企業の勝ち残りの条件になるとの考えに至っている。

 そうした条件を、経営上のプラクティスとして表現すると、以下の4つにまとめることができる。

(1)リーン・オペレーションへの移行

(2)設計と製造の同期化(コンカレント・オペレーションの実践)

(3)戦略的バッファ・オペレーションの実現

(4)モジュール化とバーチャル化、およびグローバル化への対応

 以下、上記4つの条件について、もう少し詳しく見ていくことにしよう。

※1:制約理論(Theory of Constraints)は、イスラエルの物理学者、エリヤフ・ゴールドラット氏が1970年代に開発した生産管理ソフトウェア(「Optimized Production Technology:OPT」)を起源とする生産管理の理論。その全体は、スケジューリング・プロセスを含む「ロジスティックス分枝」と、スループット、在庫、および業務コストを中心に据えた「業績評価システム分枝」、さらには、ゴールドラット氏が考案したとされる「問題解決/思考プロセス分枝」の3 つの要素から構成される。1990年代以降、欧米の製造企業はTOCを積極的に導入し、生産効率の向上に大きく役立ててきた。ゆえに、TOCは、JITをしのぐ生産方式として、日本でも注目され始めている。


リーン・オペレーションへの移行

 リーン・オペレーションは、米国MIT(マサチューセッツ工科大学)のジェームズ・ウォーマック博士が提唱した生産方式「リーン・プロダクション」に基づく概念である。

 リーン・プロダクション、または、リーン・オペレーションの「リーン(Lean)」とは、「やせた」、もしくは「脂肪のない」という意味の言葉だ。ウォーマック氏は、自身の著書※2の中で、自らが提唱する「無駄のない」生産方式に、このリーンという言葉を用い、マス・プロダクションと対比させた。

 これにより、リーン・プロダクションという用語が、マス・プロダクションと相反する生産方式の名称として知られるようになった。

 ともあれ、マス・プロダクション時代の生産/物流方式(または、サプライチェーン)を残存させたままで、製品戦略やブランド戦略、マーケティング戦略を展開し、需要を喚起すれば、余剰在庫や欠品の問題が生じる。そうした問題を解決するための経営戦略的な手法が、リーン・オペレーションとなる。

 リーン・オペレーションが目指すのは、少量多品種の生産/物流を効率的に行うための方式と、製品戦略やブランド戦略、およびマーケティング戦略を融合させた“無駄のない経営”である。

 それを実現するには、マス・プロダクション時代のような、階層型の組織と分業とを起点にした「縦割り経営」ではなく、機能横断的な「横串経営」を実践しなければならない。

 つまり、欧米流に言えば、「部分最適ではなく、全体最適に向けた、経営資源の有効活用を図る必要がある」というわけだ。

 ちなみに、筆者は、上記の「縦割り経営」を、目標至上主義的なトップダウン型経営であり、「横串経営」を、顧客のニーズ/要求を起点に、各組織の機能が連携して動作するプル型経営であるととらえている。

※2:ウォーマック博士は、以下の2つの著書(いずれも共著)の中で、リーン・プロダクションの理論を展開している。
●『LEAN THINKING』(『ムダなし企業への挑戦』稲垣公夫訳/日経BP刊/1997年)
●『THE MACHINE THAT CHANGED THE WORLD』(『リーン生産方式が、世界の自動車産業をこう変える。』沢田博訳/経済界刊/1990年)


コンカレント・オペレーションの実践

 先にも触れたとおり、製造ビジネスの基本は、「何を(WHAT)、どのようにして(HOW)、提供するのか(SUPPLY)」である。

 マス・プロダクション時代の製造業では、上記の「WHAT」と「HOW」の部分、すなわち、設計と製造(および物流)のプロセスが、「時系列的に順番に流れる分業のプロセス」であった。要するに、「何を作るのか」と「どう作るのか」、または、「どう配送するのか」といった決定が、順番に、そして個別に行われ、それぞれが独立したプロセスとして管理されてきたわけだ。

 だが、「横串経営」による全体最適を目指すのであれば、これらの意思決定と管理は同時並行的に行われなければならない。すなわち、製造と設計(さらには物流)を同時に管理するコンカレント・オペレーションを実践しなければならないわけだ。

 ちなみに、従来の日本では、製造現場の優秀な熟練工が、設計上の不備を補ってきた。また、それが、日本の製造業の強みであるともされてきた。

 しかし、今日では、各種工業用装置のインテリジェント化やCAD/CAEソフトウェアの進歩により、製造現場だけの技量や裁量によって改善しうる問題領域は極端に狭くなっている。そのため、製造の組織は、設計部門と密接に連携しうる能力や、そのための熟練度を上げる必要に迫られている。

 対する、設計の組織も、設計の変更を製造の工程に即座に反映させたり、部品・部材の調達効率を向上させたりするために、製造の現場や、パートナー企業(部品・部材のサプライヤー)との連携、および共同作業をスムーズに進めなければならならない。

 そうした意味でも、設計と製造(および物流)のコンカレント・オペレーションの実践は不可欠なのである。

 こうしたコンカレント・オペレーションを実現する際に、重要になるのが設計と製造の情報を統合化することだ。

 例えば、「モノ作り」のIT基盤をモデリングする場合、設計のアウトプットである「設計部品表(設計BOM=Bill Of Material)」と、製造における工程マスタ情報を含む「製造部品表(製造BOM)」という2つのデータが基本となる。

 ただし、多くの場合、これら2つのデータは、製造と設計の各組織内で別々に作られてきた。

 そのため、設計部門が、最終顧客が要望する機能を設計に取り込んだとしても、それによって作成されたBOM(設計BOM)は、製造や輸送の効率化とは無関係なものが多かった。

 言い換えれば、設計BOMは、製造や輸送など、「HOW」のプロセスにかかわるサプライチェーンの効率化を考慮したものではなかったのである。

 しかし現在、設計のプロセスを起点に、「モノ作り」のプロセス全体を見直さなければ、そのサイクルの短縮化や抜本的なコストダウンは望めない。したがって、設計BOMも、最終顧客が要求してきた機能を表現しつつ、下流(設計以降)のサプライチェーンの効率化を意識したものでなければならない。

 そこで、求められるのが、設計と製造のBOMを統合化することとなる。換言すれば、設計(「WHAT」)と製造(「HOW」)の2つを一体化する「統合BOM」の環境を構築することが必要とされているわけだ。

 この統合BOMをベースにした「モノ作り」のモデリングは、ある意味で、設計と製造(および、取引先や顧客との接点となる営業)の各機能要件を、全体最適を前提に定義しなおすことでもある(図2)。

 従来の製造企業では、業務機能ごと(または、組織ごと)に目標が定められ、それに向けて部分最適の施策が講じられてきた。

 しかし、これからは、顧客ニーズと製品を起点に、各組織の機能連鎖と全体最適を図っていかなければならない。そのためには、図2のような(統合BOMの)モデリングを行い、コンカレント・オペレーションを実践していく必要があるのである。

リーン・オペレーション 図2



戦略的バッファ・オペレーションの実現

 製造企業のサプライチェーンは、そのまま放置しておくと、どこまででも長く伸びてしまう。

 また、そうなれば、機能が異なる各工程(業務)間のモノの移動回数が増え、モノを置く場所(ストック・ポイント)も、連鎖する業務の数だけ存在することになる。当然、それは、在庫数量を膨らませる要因となるものだ。

 とはいえ、サプライチェーン上から一切の在庫を消し去ることは不可能である。なぜならば、製品に対する正確な需要を読み切ることも、自社の生産能力を完璧に保つこともできないからだ。それゆえに、一定量の在庫を「バッファ」として確保しておく必要があるのである。

 となれば、各業務ごとのストック・ポイントと、それぞれのポイントで自然発生的に生まれる在庫を可能な限り削減し、戦略的に保持したバッファだけを活用できるような仕組みを構築しなければならない。

 これが、すなわち、「戦略的バッファ・オペレーション」を実践するということである。

 また、ここで言う「戦略的に保持する(または、保持すべき)バッファ」の種類は、基本的に2つだけである。1つは、製品供給のボトルネックになりそうな製造設備の能力を補完する「能力変動バッファ」である。また、もう1つは、短期的な需要変動に対応するための「需要変動バッファ」だ。

 これら2つのバッファを確保してさえおけば、あとの在庫は不要となる。よって、サプライチェーン上で連動または連結する業務、設備を、可能なかぎり統合化し、ストック・ポイントの数を大幅に削減することが可能になる。

 例えば、図3は、戦略的なバッファの活用例を示すものだ。ここでは、各業務ポイント(「ワークステーション1」~「同4」)にそれぞれ置かれた在庫(ストック・ポイント)を、2つの戦略的なバッファ(能力変動バッファと需要変動バッファ)に集約している。

リーン・オペレーション 図3


 具体的には、戦略的なバッファの活用により、ワークステーション2、同3、および同4から在庫(ストック・ポイント)をなくし、それぞれの処理を直接的に連結させている。そして、製品供給のボトルネックになりそうなワークステーション1の前に在庫(能力変動バッファ)を、さらに、「出荷(の業務)」の前には需要変動に備えたバッファ(需要変動バッファ)をそれぞれ配置しているのである。

 このような仕組みを、工場内のみならず、サプライチェーン全域にわたってモデル化し、構築すれば、在庫の適正化を実現することが可能になる。


モジュール化/バーチャル化/グローバル化への対応

 現在、製造業界における産業構造は、大きく変容しつつある。その変革の方向性は、いくつかのキーワードによって表現することができる。それは、「モジュール化」と「バーチャル化」、および「グローバル化」だ。

 当然ながら、これらの変革に対応していくことは、日本の製造業が勝ち残るための1つの条件となる。

 では、これらのキーワードが示す変革とは、具体的にどのようなものなのだろうか。まずは、それを簡単に説明しておくことにしよう。

モジュール化

 例えば、あるメーカーの工場が、電子製品の委託製造サービス(Electronics Manufacturing Services:EMS)会社として系列から離脱したとしよう。また、それと併せて、その系列の物流子会社が、サードパーティ・ロジスティックス(3PL)として荷主である親会社から独立したとする。このような系列子会社の離脱・独立が、いわゆる製造業におけるモジュール化と呼ばれる流れだ。

 この変革の流れは、米国自動車産業のビック・スリーの間ではすでに本格化しており、各社の系列部品メーカーは系列から離脱し、業界のサプライチェーンを構成する汎用的なモジュールとして機能している。

 また、コンピュータ業界を例に取れば、かつては、IBMなどのメインフレーマーが、プロセッサからハードディスク、OS、アプリケーションに至るすべてを開発、製造し、提供していた。しかし、現在、プロセッサ(および半導体)やOS、アプリケーション、ストレージ、ネットワーク機器など、それぞれの技術領域に特化したITベンダーが、コンピュータ産業全体を構成している。これは、ある意味で、コンピュータ産業のビジネス・モデルが、統合型からモジュール型へと移行したことを表すものだ。

 さらに、家電業界に目を転じれば、かつては、大手メーカーが系列の小売り店を擁し、開発・製造(生産)から流通までを包括的に支配するというビジネス・モデルが主流であった。しかし今日、このモデルは崩壊し、大手量販店と家電メーカーによる流通と生産の分離(モジュール化)が進んでいる。

バーチャル化

 上記のようなモジュール化が進行すれば、単一の企業内でビジネスに必要なすべての業務機能を提供するケースは少なくなる。その代わりに、企業内外の機能を連結させて、ビジネスを推進するというモデルが一般的になるはずだ。また、それが発展すれば、インターネットなりを通じて、企業間の業務機能が結合され、1つの仮想的(バーチャル)な企業体が形成されることになろう。これが、すなわち、バーチャル化と呼ばれる変革の流れである。

グローバル化

 グローバル化という構造変革の流れについては、とりたてて説明するまでもないだろう。

 今日、情報ネットワーク(インターネット)と輸送手段(海運・空輸)の発達により、生産拠点を海外に置くことの障害はかなり小さくなっている。しかも、地域によっては、先進諸国の数十分の1の人件費で、労働力を確保することができる。

 となれば、製造業界に属する企業は、生産拠点を含むさまざまな拠点のグローバル化を進めざるをえないのだ。

 現在、SARS(重症急性呼吸器症候群)やテロの影響もあり、日本の製造各社による(拠点の)グローバル化には、若干のブレーキがかかっている。しかしながら、デフレ経済が進行する中では、生産拠点を海外に移転し、製造コストをさらに切り詰めることは必須である。そう考えれば、製造業が、グローバル化の流れに逆らうことはもはや不可能であると言えるかもしれない。

 以上に示した3つの流れ(変革の流れ)は、新たなビジネス・モデルをかたち作るものだ。また、それらの組み合わせによって、製造企業のビジネス・モデルが進化し、多様化していくことになる(図4)。

リーン・オペレーション 図4


 なお、この図4に示すとおり、自社のコア・コンピタンスに特化し(モジュール化を推進し)、他企業、または国内外の経営資源を有効に活用する(グローバル化/バーチャル化を推進する)ようにすれば、顧客満足度に軸足を置いた経営の効率化を図りやすくなるだろう。ただし、すべての企業にとって、この手法が有効であるわけではなく、その効果の大小も一律ではない。したがって、製造各社は、それぞれが独自にモジュール化やバーチャル化、およびグロバール化の戦略を立案する必要がある。


オブジェクト指向によるモデリング

 ところで、筆者は、もともとSE(システム・エンジニア)として、職業人生のスタートを切った。その当時のシステム開発は、機能分析から始まる作業であり、そこでのモデル化とは、機能を表現することでしかなかった。そのため、フローチャートや機能関連図を用いて、システム設計を行うのが一般的であったのだ。

 だが、ここ数年の間に、Javaに代表されるオブジェクト指向言語や、オブジェクト・モデルの統一表記法(オブジェクト指向による分析/設計を行うための標準の表記法)である「UML(Unified Modeling Language)」が普及したことで、システム開発の手法にも大きな変化が見られ始めている。

 例えば、UMLやJavaを用いたシステム開発では、「製品」や「人」、「設備」といった経営資源をオブジェクトとして表現し、企業の業務の中で、それぞれが果たす役割を明確化するというモデリング手法が取られる。つまり、Javaなどによる今日のシステム開発(システム設計)は、機能中心型ではなく、モノ(オブジェクト)の役割を中心にしたものであるわけだ。

 こうしたシステム設計(または、モデリング)のコンセプトは、SCMのそれとまったく同じだ。というのも、SCMのビジネス・モデル(または、システム・モデル)は、「縦割り型の業務機能」ではなく、各経営資源の役割を中心に設計されるからである。

 こうした「モノ作り」のビジネス・モデリングにおいて、最も重要なオブジェクトとなるのが、製品(プロダクト)である。つまり、従来は組織別(もしくは、業務機能別)に製造業のビジネス・モデルが表現されてきたが、これからは、サプライチェーン上に存在する製品(つまり、キー・オブジェクト)を中心に据えて、組織横断型のビジネス・モデルを構築する必要があるというわけである。また、そうしたモデルが、ビジネス・モデルとして堅牢であり、かつ、 SCMの本質的な価値を導出することへとつながるのである。

 一方、以上のような観点からとらえると、新たなサプライチェーンのモデリングを行う際には、UMLの活用が有効であるという結論も導き出される。しかも、UMLによるサプライチェーンのモデリングでは、個々の企業戦略から導き出されるビジネス・モデルをベースに、問題解決のアプローチを取ることができる。

 この辺りは、ITベンダーが提供するソフトウェア・パッケージの機能によって、(個々の戦略やビジネス・モデルがないままに)業務改革を推進しようとしていた、かつての「BPR(Business Process Reengineering)」の手法とは大きく異なるものだ。

 周知のとおり、こうしたBPRの手法を取った多くの企業が、業務改善の試みに失敗している。つまり、サプライチェーンの最適化といった抜本的な組織改革や業務改革を図る場合には、それ用のソフトウェアについても、ビジネス・モデルありきで設計を進める必要があるというわけである。

 加えて、UMLによる設計では、コンポーネント化やカプセル化というオブジェクト指向プログラミングの手法を取り込むことができる。これにより、既存のソフトウェア資産や、市販の優れたコンポーネント/アプリケーションを組み合わせながら、自社のニーズに適したソフトウェアを設計することも可能である(図5)。

リーン・オペレーション 図5



成功のためのマインド・セット

 もっとも、サプライチェーンの(システム)設計は、製造企業の命運を左右するプロジェクトであり、決して簡単な作業ではない。

 よって、そのプロジェクトを管理、統括するマネジャーは、自社のビジネスのスコープを理解し、明確なビジョンを持ち、かつ、自分の頭で考え、十分に納得したうえで事を進める必要がある。仮に、それを怠れば、おそらく、大きな落とし穴に陥ることになろう。つまり、ITベンダーにすべてを任せていては、設計したサプライチェーンのシステムによって、自社のSCMが成功することは、まずありえないと考えたほうがよいのだ。

 また、多くの製造企業にとって、機能(組織)横断的な全体最適のシステムを設計することは、未体験の作業であり、そのプロジェクトには不確定要素も数多くある。それだけに、プロジェクトを推進する当事者は、「改革の実行者」としての強い意志と、緊張感が求められる。

 実のところ、著名なコンサルティング会社のコンサルタントも、見せかけの自信やハッタリで、顧客企業のSCMプロジェクトをスタートさせてしまうことが珍しくない。もちろん、こうしたプロジェクトは、最終段階で問題が発生することになるが、大抵の場合、コンサルタントらは、もっともらしい弁解(イイワケ)を展開し、顧客側を煙に巻く。その結果、責任の所在が曖昧なまま、SCMのプロジェクトが失敗に終わるケースがあまりにも多いのである。

 SCMのプロジェクトを推進していくうえで重要なのは、その目的と現状を注意深く見つめ、問題を早期に発見・解決していくマインド・セット(心構え)を持ち続けることだ。ときには、失敗を許容し、多少の打撃を受けてもすぐに立ち上がれる打たれ強さや精神力、および、冷静な判断力が必要とされるのである。

 なお、本稿の最後として、上の内容、すなわち、SCMプロジェクトによる業務革新を行ううえでの「心構え」を右の囲み記事にまとめておいた。ぜひ、今後の参考にされたい。

リーン・オペレーション 図6




(出典:今岡善次郎 ビジダイン代表取締役/コンサルタント




ムダなし企業への挑戦―リーン思考で組織が若返るムダなし企業への挑戦
―リーン思考で組織が若返る

ジェームス・P. ウォーマック、ダニエル・T. ジョーンズ 他



リーン生産方式が、世界の自動車産業をこう変える―最強の日本車メーカーを欧米が追い越す日 (リュウセレクション)リーン生産方式が、世界の自動車産業をこう変える
―最強の日本車メーカーを欧米が追い越す日

ジェームズ・P. ウォマック、ダニエル・T. ジョーンズ 他



  1. 2008/01/07(月) 06:00:26|
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やる気の出るオフィスとは

元気なアメリカの愉快なオフィス

元気なアメリカの愉快なオフィス
社員の士気を高め、職場を創造的にするためにアメリカの企業が行っている様々な方法を楽しく紹介。




創造性を高める“場”の演出を

 ≪知的オフィスとは何か≫

 日本の企業における知識創造性は欧米諸国に比べて低い。日本の製品は優れていても、コンピューターの基本方式やソフトウエア、創造的なシステム構築、高収益のビジネスモデルなど、目に見えないけれど高度な社会の実現に不可欠な方法・方式という分野では日本は欧米にかなり遅れている。日本が生み出すシステムやサービスの価値を高め、国際的な競争力を向上させるにはオフィスで働く人の知識創造性を飛躍的に高めることが課題である。

 これに対し、オフィスを知識創造的空間へ変貌(へんぼう)させる取り組みが建築デザインの分野やオフィス家具・機器の分野などで最近始まってきた。慶応大学などでは生命体としての建築という視点からオフィスの知的生産性を評価・向上させる研究が行われており、ニューオフィス推進協議会では知識創造のためのワークプレースデザインの講座が始まり、建築専門雑誌には「執務空間の知的生産性」という特集が組まれている。また、産学連携の知的オフィス環境コンソーシアムや新世代オフィス研究センターが結成・設置され、経済産業省のクリエーティブ・オフィス推進運動実行委員会も活動を始めた。これまで経費としか見られなかったオフィスの環境を、知識創造の拠点として見直し、十分な投資をしようという流れが始まりつつある。

 ≪不快な空調と無機質照明≫

 あまり知られていないことだが、東京の先進的オフィスビルである六本木ヒルズ、新丸の内ビルディング、そして東京ミッドタウンでは、ビルの完成後に、テナントが借りる標準的オフィスの照明と内装のかなりの部分が新品のまま廃棄され、テナント企業が選定した照明と内装に交換されるという。これは特に外資系企業に多く、欧米ではオフィス環境の品質が働く人々のモチベーションの向上に繋がることを理解している証拠でもある。日本の多くの企業では、何の変哲もない標準的な照明と内装をそのまま利用するケースが多く、これら企業経営者の大部分は、オフィス環境が及ぼすワーカーの心理的・生理的影響などには関心がないらしい。

 いまから20年前、家庭の照明・空調環境はあまり良くなく、白色蛍光灯のサークラインが部屋にひとつ、エアコンはない、という家も多かった。そのころ、先進的なオフィスでは影一つない明るい照明と、快適な空調が実現されていて、自宅よりオフィスが快適という時代であった。しかし、現在、個人の家では電球色の数台のフロアスタンドがリビングルームを間接照明で照らし、最先端のエアコンや床暖房システムなどが温度・湿度、そして気流を最適に制御している。一方のオフィスでは、暑すぎたり寒すぎたりの空調と、明るすぎる無機的で均一の光が働く人々を無表情にさせている。いまやオフィスの環境は個人の家より劣り、働く人のモチベーションを奪っているだろう。集団作業場みたいなオフィスを離れて、気持ちの良いカフェや自宅で創造的な仕事をする人も増えているだろう。

 ≪脳を活性化する空間に≫

 計算や書類の処理、あるいはコンピューター入力など、定型的な知的作業については、オフィスの環境は仕事の効率にあまり影響しない。しかし、創造力と集中力が必要な知識創造活動については、オフィスのあらゆる条件が影響してくると考えられる。そのため、操作性の高い情報機器、座り心地の良い椅子(いす)、広いデスク、デザイン性の高い文具や家具、あるいは目を休める観葉植物や熱帯魚水槽など、オフィスに後から導入される機器・備品については、クリエーティブオフィスを意識した製品開発が進められてきた。ところが、オフィスの物理的環境を支配している照明と空調に関してはまだまだ遅れている。繊細で創造性豊かなナレッジワーカー(知的労働者)にとっては、照明の照度や光の色が自由に選べ、パーソナルな温度・湿度環境を実現できる選択性こそが自身の気分をコントロールでき、創造的仕事へのモチベーションを高め、他人に真似のできない業務が遂行できる。

 新しいビルの外観やエントランスは確かに立派だ。しかし、そのオフィスは、働く人が一生涯に8万時間以上を過ごすにもかかわらず、建築デザイナーからも、照明・空調機器メーカーからも、ビルの設備担当者からも軽視された空間である。いまこそ、オフィスに新しい風を吹き込み、多くの分野の業種が参加して、働く人々の脳を活性化する空間とメカニズムを創り、日本から世界に誇れる斬新なアイデアを生み出そう。

(出典:【正論】同志社大学教授・三木光範/みき みつのり

  1. 2008/01/05(土) 08:00:46|
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魔法の仕事術 「GTD::Getting Things Done」

ストレスフリーの仕事術―仕事と人生をコントロールする52の法則ストレスフリーの仕事術―仕事と人生をコントロールする52の法則
デビッド アレン
うまくいく考え方でもやもやがスッキリ!生産性に革命をもたらす、魔法の仕事術「GTD」。発案者自らが、ストレス激減の秘策をわかりやすくアドバイス。

目次
序章 リラックスしながら仕事と人生をコントロールするには
第1章 創造力は、すっきりした頭から(目の前のことを片付ければ、新たな方向性が見えてくる。「あぁ、あれをやっていない!」を避ける方法は、ひとつしかない。 ほか)
第2章 成果を生む集中の仕方(もっとはっきり見たければ、一段上のレベルから見るしかない。
自分がそれをやっている姿を想像できなければ、それを実行することはできない。 ほか)
第3章 成果を生む枠組みを作る(あるレベルで安定すれば、他のレベルでも安定できる。
目的とやり方がマッチするときに生産性が最大になる。 ほか)
第4章 リラックスして、さあ始めよう(このゲームのプレイヤーはあなただけ。
コントロールしすぎは、コントロール不能と同じこと。 ほか)
第5章 基礎を忘れずに(GTDの5つのステップ
行動につなげるための5つのステップ ほか)





三色フォルダーのすすめ

日々降りかかってくる「やるべきこと」「やりたいこと」をどう整理していくか。個人的に便利に使っているのは赤、青、黄の三色フォルダーである。投資金額は千円もかからない。しかしこれだけで日々の生活がだいぶ楽になった。

使い方は簡単だ。まず赤のフォルダーには「やるべきことすべて」をまとめて放り込む。ちょっとしたメモ、サインすべき書類、支払うべき請求書、それらをすべて入れておく。大事なのはこうした「処理すべきこと」を1カ所にまとめることである。

ここだけ見ておけば大丈夫、という心理状態を作ることが最も重要である。「あれはどこに置いたかな?」と思うこと自体がストレスである。そうしたストレスは作業の効率性を著しく低下させる。作業中に「あれ、さっきのあれどうしたかな?」と思いついて作業が手につかなくなった経験をした人も少なくないだろう。

次に黄のフォルダーである。このフォルダーにはメモなどに必要な裏紙を入れておく。何かを思いついたときにさっとメモすることができる。もちろんメモ帳を使ってもよいが、裏紙はどんなオフィスでも発生するものである。

最後に青のフォルダー。このフォルダーには作業する際に手元に置いておきたい資料を入れておく。現在かかわっているプロジェクトに関する資料などである。また定期的に見直したい資料を入れておいても良い。自分の長期的目標などを入れておくと使い勝手が良い。

こうして三色のフォルダーを使っていれば、1日の最後に赤のフォルダーをレビューするだけでいい。ここに貯まった情報は適宜処理し、時間がかかりそうなものは「ToDoリスト」に登録する。そのようにしてすべてのものを処理し終わったらこのフォルダーは1日の終わりに空になっているはずである。

ToDoリストは具体的に

ToDoリストの作り方は学校では教えてくれない。一般的にはなんとなくやるべきことを書いている人が大半であろう。自分も昔はそうだった。しかし今までの試行錯誤を重ねて、2つの点を工夫している。

1つ目の工夫はToDoをどう表現するか、である。これは「GTD」と呼ばれる本に出会ってから大きくやり方を変えている。

GTDとはストレスフリーの仕事術を提唱するコンサルタント、デビッド・アレン氏による著書、「Getting Things Done」の略である。この本ではいかに質の高いToDoリストを作るかのノウハウが語られている。

ノウハウの中で個人的に実践しているのが「ToDoリストは次の物理的なアクションを書こう」というものである。これはどういうことか。

例えばあるプロジェクトを片付けなくてはならないとする。そのときにToDoリストに「A社プロジェクト」とだけ書いておくだけの人は多い。しかしそれだけ書いたのでは頭の中ではわかったつもりでもどこから着手していいのかがイメージしにくい。そしてイメージしにくいものはなんとなく敬遠され、後回しにされがちだ。

そのため、ToDoリストは「次の物理的なアクション」を書くべきなのだ。この例で言うと「A社の資料を棚から取り出す」かもしれないし「A社についてBに電話する」かもしれない。このように具体的に書くことによって次のアクションに取りかかりやすくなる。

2つ目の工夫は最近よく使っている「バブルマップ」という手法だ。これは自分で考案し、ブログで発表したところ好評だったのでここでも紹介しておこう。

簡単に言えばToDoリストを図で書いていく手法である。A4の紙に今日すべきToDoをそのマインドシェアの大きさでマッピングしていく。「なんとなくいやーなToDoは大きく、そうでもないToDoは小さく」描いていく。そうすることによって今一番行うべきToDoが一目でわかる。またそのToDoを完了したときは大きな面積をつぶしていくことができるので気分もすっきりする。この手法について詳しくは下の記事を参考にしてもらいたい。

・バブルマップのすすめ ~ ストレスすっきり解消型ToDo管理手法 ~




バブルマップは日々大きさが変わっていくので、朝バブルマップを描いて夜にレビューし、貯まっていくToDoはリストで管理する、というやり方にしている。

ToDoリストは紙で管理してもよいが、個人的には「check*pad」という自作ツールを使っている。これを使えばウェブ上でToDoリストを登録できるのでブラウザーさえあればどこからでもチェックできる。また紙のリストと違い、あまり長いリストになると画面からはみ出して見にくくなる。したがってリストを短く保つために仕事を片付けてしまおう、とういモチベーションが高まるのも利点の一つだ。

さらにこのリストは同僚や友人と共有もできるので、お互いに進捗をチェックすることもできる。「誰かが見ているからしっかりやるか」という心理を演出することができるのだ。



作業の見積もり能力を高めよう

 生産性を高めるツールはもう1つ作成している。「task*pad」と呼ばれるものだ。この仕組みは簡単で、「自分が何時までに何をやるか」を登録できるだけのサイトである。これがなぜ効果的なのか。

 このツールを使うまでもなく、一つ試してもらいたいことがある。作業を始める前に手元の紙に「○○時までに○○する」と書いてほしい。そしてそれから作業を始めてもらいたい。

 実際試してみるとわかるが、まず「○○時までに」というところで悩む。もちろん数時間あれば終わるという仕事が多いが、それでは見積もり能力が低いとしかいえない。多すぎても少なすぎてもマネージャー失格である。「○○時までに」と書くまでにまず自分の「作業見積もり能力」が試されるのだ。

 そして「○○する」のところでも少し悩む。現代においては仕事の終わりがますます分かりにくくなっている。「100本ねじを作れば終わり」といったものでもない。自分の仕事をきっちり定義し、数量化するスキルが求められる。「知識創造に関する本について調べる」ではなくて「知識創造に関する書籍を5冊以上リストアップし、一枚のレポートにまとめ、○○課長にメールする」とまで定義しなくてはいけない。

 ここまででも仕事の効率はだいぶ上がっているのだが、手元にその紙があることによりほかの作業に邪魔されにくい、という利点もある。特にパソコンで作業をしているとついついメールチェックに没頭してしまい「あれ、今何をやっていたのだっけ?」となってしまうが、この手元の紙さえあれば自分が今手掛けている作業を見失うことがない。

 もしこの手法に効果を見出したなら「task*pad」はおすすめである。このサイトでは同様のことを実現でき、さらに作業が終わったときにそれが見積もり時間通りだったか、そうでなかったかも登録していくことができる。さらにそれらの履歴も残る。自分の作業見積もり能力がどれだけ正確かを時系列でチェックしていくことができるのだ。



(出典:ブログ時代の仕事術/百式






仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法
仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法
森平 慶司、デビッド・アレン 他

仕事と人生の両面で、個人や組織の効率と生産性を飛躍的に高めるデビット・アレンの画期的メソッド! 目的意識の持つパワー、リラックスの大切さ、仕事を成し遂げるためのシンプルな原則を明らかにする一冊。




<参考サイト>
時間と仕事の整理術『GTD』がカルト的人気
Getting Things Done (a.k.a. GTD)
「仕事を成し遂げる技術」の読みにくさについて考える。
  1. 2008/01/03(木) 06:00:12|
  2. 会社、仕事
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