動物には二つの本能が組み込まれています。
一つは自己保存の本能。
二つめは種の保存本能。
この二つだけです。人間以外の動物は、自己保存と種の保存だけがある。
シマウマが群れているのはなぜか?互いにいろいろなことをやり合って社会性を持って支え合っているのではありません。群れていることによって安全性が高まるという自分の利益のために集合しているだけです。要するに、一頭一頭はすべて自分の自己保存と種の保存を図るためだけに動いている。
実は、動物と神の間に人間という存在が存在しているのです。人間というのは動物でいうと、たとえばタヌキ、キツネ、ネコ、コアラ、ラッコ・・こういうふうに片仮名で書いたときに”ヒト”と書きます。
二十年ぐらい前になるかと思いますが、文部省が動物・植物の名前は全部片仮名で書くことという通達を出しました。それで、人というのも学問的に呼ぶ場合は、片仮名で「ヒト」と書かなくてはいけません。
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そして、人は一人で生きていると「ヒト」、人の間で生きている人だけ「人間」になります。
この「人間」は動物にある一と二の本能プラス、神様から三つ目の本能をいただいています。ありとあらゆる生物の中でこの三つの本能を持っている唯一の存在です。
この三つ目の本能とは。「喜ばれるとうれしい」という本能です。
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そして、皆さんはこの一言を聞いてしまった結果として、今日の今この瞬間からどんなに抵抗しても抵抗ができない。なぜならば、全員の心の中に「喜ばれるとうれしい」という本能が入り込んでいるからです。入っていない人は一人もいない。どんな人も喜ばれるとうれしい。
暴走族のお兄ちゃんたちは、ワンワンワンワンワンとものすごい音を立てますけれど、あれは仲間のみんなが「すげえ、いい音だ」と喜んでくれるからうれしくてやっている。いくらワンワンワンワン音を立てても暴走族仲間がシーンとしているとつまらない。喜んでくれないと、ものすごくつまらなくなってしまうわけです。
喜ばれるということの意味は、いろいろなジャンルで人によって変わってくるものですけれど、とりあえず「喜ばれるとうれしい」という本能は誰の中にも組み込まれている。それが一般社会に適合するかどうかは別として、とりあえず「喜ばれるとうれしい」という本能が入っているのです。
これを知ってしまった皆さんは「喜ばれるとうれしいのよね」というスイッチがもうカチッと入ってしまいました。今日の今この瞬間から動き出してしまいました。
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人間には生まれたときから「自己保存」と「種の保存」と「喜ばれるとうれしい」という本能が三三%ぐらいずつ入っているのです。それが大体五十代になると二十五対二十五対五十ぐらいになっていく。一番目と二番目の本能は、十年で10%ずつぐらい減っていくのですが、三番目の本能だけは大きくなっていくようにつくられています。
というわけですから、八十歳、九十歳になると「喜ばれるとうれしい」という本能だけが残っている状態になります。中には七十代になっても種の保存にしか興味のない人もいますが、それは極めて稀(まれ)な人。例外です。
- 2008/05/06(火) 11:21:11|
- 幸福になりたい
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