
九州のある県警に勤めている方がいます。 ・・・(略)・・・ ある現場から、鑑識課の5、6人が帰ってきたそうです。帰って来て、この人たちが話をしているのを、この娘さんが事務をとりながら聞きました。
この人たちは、次のように言ったそうです。
「犯罪の現場になる所は、どうしてこうも揃いも揃って、トイレと流しと洗面所が汚れているのだろう。今まで自分たちが行った犯罪の現場で、トイレと流しと洗面所がきれいだった所は、ほとんどない」
そうしたら、同じ鑑識課の10人くらいも集まってきて、「そういえば、あの事件のときもそうだった。この事件のときもそうだった。そういえば、あそこもそうだったなあ」と話に花が咲きました。
・・・(略)・・・
これはすごい話です。
すごい話なので、講演会で話したことがあります。そのときの講演テープが出回り、関東の方で聞いた方がいました。
この方も、関東のある県警に勤めているのですが、同じことを言っていました。
「実は、私の何十年かの経験で言うと、トイレ、流し、洗面台が汚れている所が犯罪の現場になりやすい。多分、日本中でそうだろう」
・・・(略)・・・
「この家を選んでこの家に入ろう」と思うところから犯罪が始まります。
でも、トイレと流しと洗面所は外から見えるでしょうか。
見えないのに、入っていった所は、必ずトイレと流しと洗面所が汚れているのです。
・・・(略)・・・
これは、どういうことなのでしょうか。
このような家は入りやすいのかもしれません。「入っていいよ」と家のオーラが言っているのだと思います。泥棒は外から見てわからないはずなのに、汚れているということで、シンパシー(共鳴・共振)して誘い込まれるのではないでしょうか。
「泥棒」という言葉は、「泥」という字を使います。なぜ「泥」という字を使うのでしょうか。なぜ「泥棒」というのか、とても不思議です。
トイレ、流し、洗面台が「汚れ」ているのと、「泥」というのが、すごく共鳴しているような気がします。
・・・(略)・・・
人ひとりにも、オーラがあるのではないでしょうか。もしかすると、そのオーラをつくるのは、「汚れたところの掃除」なのかもしれません。
- 2008/05/28(水) 07:30:54|
- 幸福になりたい
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