次のパラダイムシフト? 「クラウドコンピューティング」とは
このところ、「クラウドコンピューティング」(cloud computing)という言葉を、よく見かけるようになった。つい先週もIBMとGoogleが、大学向けのクラウドコンピューティングを推進する「Academic Cluster Computing Initiative」を発表している。「Web 2.0」に続く流行語になりそうな予感だ。
クラウドは、“インターネットの雲”を指し、ネットワークを雲の図で表すことから来ているという。クラウドコンピューティングをインターネットの“あちら側”と表現する人もいる。
インターネット常時接続が普及して、さまざまな処理がサーバー側で行われるようになった。ユーザーのデスクトップで動いていたアプリケーションはサーバー側に、データはデータセンターに移動する。クラウドコンピューティングは、こうした環境を言う。アプリケーションをWeb経由で利用する SaaSと同じようにも思えるが、もう少し広い含みがあるようだ。
早くから「クラウド」という言葉を使っているのが、GoogleのCEO、Eric Schmidt氏だ。米ZDNetのDonna Bogatin氏のブログによると、Schmidt氏は8月に開かれた検索エンジンのカンファレンス「Search Engine Strategies Conference」で次のように語ったという。「データサービスとアーキテクチャがサーバーにあるデータセンターでスタートする――(このデータセンターは)どこか“雲”の中にある」「適切なブラウザか適切なアクセスがあれば、PC、Mac、携帯電話、Blackberry、新たに登場するデバイスでもなんでもいい――雲にアクセスできる」
Schmidt氏によると、ソフトウェアがパッケージとして販売された時代とは異なり、クラウドコンピューティングを支えるのは広告なのだという。「クラウドコンピューティングと広告は手を取り合って進む。これは新しいビジネスモデルで、広告がけん引して、ソフトウェアイノベーションのための資金を提供している」(Schmidt氏)。
パッケージソフト販売で成長したMicrosoftも今年7月、パートナー企業向けカンファレンス「Worldwide Partner Conference」で、クラウドコンピューティングに取り組んでいると認めた。同社がクラウドコンピューティングに本気であるとすれば、180度の方向転換となる。
米The New York Times紙が伝えたMicrosoft Windows Liveサービス担当ゼネラルマネージャ、Brian Hall氏のコメントによると、「コミュニケーションと共有のコンポーネントを取り出し、サービスを構築する。PC、Web、電話からアクセスできる個人/コミュニティ向けのサービスとアプリケーションのスイートのようなものとなるだろう」という。
Microsoftは今後、プラットフォーム技術「Windows Live Core」の開発を進め、「Microsoft Live」ブランドを強化していく考えだ。また10月2日には、「Microsoft Office」のSaaS版となる「Microsoft Office Live Workspace」を発表している。
Microsoftだけでなく、9月以降、IBMの「Lotus Symphony」、プレゼンソフトが加わった「Google Document」など、オフィスアプリケーション分野でSaaS関連の発表が相次いでいる。これまで、どちらかというと米Salesforceなどの業務アプリケーションが先行していた分野だが、一般ユーザー向けでも動きが活発化している。そして、Googleに刺激されて、巨人Microsoftも動き出した。本格的なインターネットサービス時代の幕開けを思わせる。クライアント/サーバーからのパラダイムシフトである。
今回のIBMとGoogleの提携は、その象徴だろう。クラウドコンピューティングの実現には、サービスの提供だけでは不十分で、大規模なデータセンターと実際のユーザーが必要となる。両社が今回発表したイニシアティブは大学を対象としており、この部分の支援を狙う。両社は今後大規模クラスタを構築、将来的には1,600プロセッサで構成するプラットフォームにする計画という。すでにワシントン大学が参加しており、カーネギーメロン大学などいくつかの大学が参加を検討中という。
これまでのところ、クラウドコンピューティングは主としてMicrosoft対Google(および、反 Microsoft陣営)の戦いの場とみえるが、新しいベンチャー企業も市場を盛り上げそうだ。たとえば、デスクトップOSをSaaSとして提供する米 Sapotek、米Zimdeskなどのベンチャー企業が生まれている。今後、こうしたベンチャー企業と大手が刺激しあって、新しいパラダイムに移行するのだろう。
Gartnerは先ごろ発表した2008年の「戦略的技術トップ10」の一つとして、「Web Platform & WOA(Web Oriented Architecture)」を挙げている。そのなかで、クラウドコンピューティング環境を経由するWebプラットフォームが浮上してきたと指摘。企業は、このことが今後3〜5年の間に自社にどんなインパクトを与えるかを見越しておかねばならない、としている。
- 2008/04/12(土) 06:00:16|
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影響力のあるブロガーの特徴は? ニフティなどが調査
影響力のあるブロガーは、記事の読みやすさや、定期的な更新を心がけている――ニフティとビデオリサーチが4月3日に発表した、「ブログサイトに関する共同研究調査」で、こんな結果が出た。
調査は、15〜49歳のネットユーザーを対象に、昨年12月に行った。計1060人が対象で、うちブログを運営している人が530人、ブログを運営していないが、週に1回以上ブログに接触している人が530人。
1日100ページビュー以上あるブログを「アクセス数の多いブログ」と定義。
アクセス数の多いブロガーは、そうでないブロガーと比べて、
「
記事の読みやすさに気を配っている」(アクセスの多いブロガー:一般ブロガー=86.3%:75.1%)、
「
定期的な更新を心がけている」(78.6%: 57.1%)、
「
話題性のある内容を取り上げるよう心がけている」(59.0%:36.3%)、
「
読み手にとって価値のある情報を取り上げることを意識している」(53.0%:29.8%)、
「
ブログを通じて人の役に立ちたいという思いがある」(41.9%:26.9%)
と答えた割合が多かった。
記事を書く際の情報源としては、アクセス数にかかわらず「
自分が体験したことや自分の感想を書く」と答えたブロガーが最多。
他人のブログや、 Webサイト、テレビやラジオなどメディアで見聞きしたことを取り上げると答えた割合は、アクセス数の多いブロガーの方が、そうでないブロガーより多かった。
ブログを読む目的は、多い順に「新しい情報が手に入る」(55.2%)、「気分転換、ストレス解消になる」(44.4%)、「趣味や余暇に役立つ」(44.0%)。
全体の87.5%が「商品情報を含むブログ記事を読んだことがある」と答えており、ブログに書かれている商品情報について、「非常に信頼できる」と答えた人は7.8%、「
やや信頼できる」と答えたのは63.9%だった。
調査結果資料(PDF)
- 2008/04/11(金) 06:00:56|
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「社長と飲み歩く会」に隠された深慮遠謀
株式会社武蔵野 社長 小山 昇氏わたしは年に4回、「社長と飲み歩く会」と称して一般社員と酒席を持ちます。これは文字通り、新宿の飲み屋をハシゴして飲み歩くもの。17時30分開始で、お開きになるのは日付も変わる6時間半後。なかなかヘビーな飲み会ですので、翌日が日曜日です。
「社長と飲み歩く会」の目的は、わたしと一般社員とでコミュニケーションを取ることです。現在では従業員数650人で、正社員130人いると、さすがに日常業務のなかで一般社員とコミュニケーションを取ることは難しい。だからといってコミュニケーションを放棄すれば、一般社員はばらばらな価値観で仕事をする事になり、組織としての一体感を維持できなくなる。
会社の経営が思わしくなくなると、すぐに景気や消費動向の変化に理由を求める社長がいます。わたしとて、それらは無関係だとまでは言わない。しかし本当は、社内のコミュニケーション不全による売上減、利益減のほうがはるかに大きい。会社の業績は、コミュニケーションの量と質に正しく比例する。だからこの会を大切なものと位置づけ、当日はひたすらホスト役に徹しています。
さて、これは初めて明らかにすることですが、実は「社長と飲み歩く会」にはコミュニケーション以外にも二つの目的がある。一つは人材発掘。そしてもう一つは守秘義務の訓練です。どういうことかページを改めて解説しましょう。
下戸なのに1合8000円の高級凍結酒を飲み干す社員まずは「人材発掘」について。
わたしは飲み歩き会の最中、始終社員を観察し勉強しています。店の中での立ち居振る舞いを見て、社員の性格や人となりを判断する。そのために、一般社員ではまず入れないような高級店に連れて行く。ふかふかのソファや豪華な調度品、洗練された店の接客にも臆することがなければ、「ああ、Aくんは積極的だ」と分かる。それは、将来の人事異動の際にも大いに参考になります。
かつてこんなことがありました。課長の上野朝之が一般社員だったころ、飲み歩き会に参加したときの話です。上野はもともと下戸で、一次会では乾杯時のビールにちょっと口をつけただけで終わりました。わたし自身、飲めない社員に酒を強要することはありません。お酒が可哀想ですし、お酒をつくっている人にも失礼ですから。
ところが二次会で1合8000円という高級凍結酒を、上野は臆することなく飲み干し、「お代わり」と言いました。そればかりか彼は、次の店でヘネシーをお代わりして飲んでいました。
わたしは呆れつつも感心しました。上野にとっては、自分が酒に弱いという心配よりも、「1合8000円の凍結酒ってどんな味だろう」「高級酒で知られるヘネシーってどうだろう」という好奇心が勝った。
上野にとっては「不順な動機」だけなのかもしれません。いや、多分そうでしょう。しかし見方を変えれば「チャレンジ精神旺盛」と解釈できる。その後、大きな人事異動をしたために店長のポストが一つ空きました。わたしは躊躇することなく上野を抜擢した。すると彼は見事にわたしの期待に応えました。持ち前のチャレンジ精神で、大きな成果を出した。
「ホステスに連絡先をわたすな」と言われたら続いて「守秘義務の訓練」について。
飲み歩き会では、ホステスさんのいるクラブに行くこともあります。わたしはそこで「女の子に名刺を渡してはいけない」「eメールアドレスの交換をしてはいけない」と指示します。ところが、これがなかなかできないものなのです。ホステスさんは連絡先を聞きたがるし、社員は社員で酒も入って気が緩んでいる。
ホステスさんに連絡先を教えたところで懇ろになれるはずはなく、せいぜい営業電話・メールが来るだけです。キャバクラのホステスさんは、田舎の中小企業の社員なんぞ本気で相手にはしませんから。けれども社員にしてみれば「もしかして‥‥」と下心も働くのでしょう。参加メンバーの多くはわたしの目を盗んでこっそりメモや名刺を渡します。
わたしの目をごまかせると思っているのが社員の浅はかさです。わたしはフロアでジルバを踊りながら、しっかり彼らの動向をチェックしている。そしてわたしの指示を破って名刺を渡している社員を見つけたら、「あ、Bくんは誘惑に弱いな」と勉強できる。
念のため申しますと、わたしは禁を破った社員を責めることはしません。人間は弱い動物です。酒色の誘惑には負ける社員が普通です。しかしこういう社員には、お客様の個人情報を預かる部門や、我が社の経理を司る部門など、高い守秘義務が課せられる仕事を任せることもできないのも確かです。
ではどうするかというと、守秘義務が重視されない仕事で成果を出させる。人にはそれぞれ適性や性格がある。それをまるで無視しては、本人にとっても会社にとっても不幸です。
評価する物差しは同じにする反論はあるでしょう。「そんなことで評価されてはたまったものじゃない」「日常業務の中でも判断はできるはずだ」と。
しかし、飲み歩き会に参加する一般社員は、部門横断的に集まったメンバーです。当然、担当している仕事も違えば、スキル、キャリアも各人各様です。つまり日常の仕事ぶりを物差しにすると、さまざまなバイアスがかかり、正確な判断ができなくなってしまう。
正しく判断したいのならば、条件を揃えておかなくてはならないのは自明の理です。だからこそ飲み歩き会で時間と場所を共有し、同じ物差しで社員を評価する。これもまた我が社ならではの平等主義の表れです。
- 2008/04/10(木) 06:00:55|
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昨年、都心にある大型マンションの広告計画にモバイル広告も追加された。実施後、モバイル広告配信者を対象に追跡調査を行ったところ、意外なことが判明した。
1つめは、モバイル広告でこの物件を初めて知ったという人が少なくなかったことだ。2つめは、新聞を購読していた家庭では、モバイルで知った後に、その日届いていた折込チラシの中から該当物件のチラシを探し出して、詳しく見たという人が多かったということだ。
一般に、マーケティング界で
「クロスメディア手法」と言えば、生活者の「マスで知りネットで調べる」という行動を利用することを指すが、それとは反対方向の生活者行動が発見されたわけである。
「詳細はネットで」ならぬ、「詳細は大画面のチラシで」である。
この発見後、百貨店や自動車ディーラーなど普段からチラシを活用してエリアマーケティングを実施している企業が、モバイル広告も盛んに利用し始めている。
マスメディアの方の中には、マス広告がネットへつなぐための道具になると心配する人がいるが、それは過ちだ。例えば新聞広告であれば、マス広告中、最も面積が大きいという武器がある。この武器を生かし、モバイルから流れてくる人たちの興味関心にきちんと応える努力をすべきだ。そうすれば、読者や広告関係者が媒体価値を再認識するだろう。
新年度がスタートした。この
「逆クロスメディア手法」をいち早く活用し、われわれをうならせる広告企画が登場することを期待したい。
スクロール 「逆クロスメディア手法」に期待
ディーツーコミュニケーションズ・藤田明久
- 2008/04/09(水) 06:00:30|
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【すごいぞ日本】 たった1人の五輪ボイコット 1996年アトランタから2004年アテネまで、日本が3大会連続で金銀銅メダルを独占してきた五輪種目がある。陸上男子砲丸投げ。といっても選手の話ではない。メダルを獲得した選手の砲丸が、ことごとく日本の、それも小さな町工場で作られているのだ。北京でも当然、日本製「魔法の砲丸」のメダル独占は確実…のはずだった。
埼玉県富士見市。有限会社辻谷工業は東京近郊の小さな商店街の一画にある。2階建ての1階が工場、上は自宅。旋盤のハンドルを握り、黙々と砲丸を削っていた辻谷政久さん(75)があっさりと言った。
「北京はやめました」
04年8月、サッカーのアジアカップが中国・重慶で開かれた際、現地サポーターが見せた日本に対するむき出しの憎悪。それが辻谷さんには気がかりだった。悩みに悩んだ末、4大会連続メダル独占の偉業を断念し、砲丸の卸先の運動具メーカーに北京五輪用は作らないと伝えた。去年の11月のことだ。
「砲丸は私の分身です。とても中国には出せない。大事に使ってくれる選手には申し訳ないが、職人としての意地があります」
五輪の砲丸は、審査を経て認められた数社の製品が公式球となり、選手は競技場でその中から使用球を選ぶ。アテネでは、決勝に残った8選手中7人が辻谷さんの砲丸を選択した。他の砲丸はインド製がかろうじて4位に入っただけだ。
世界のトップ選手が「1〜2メートルは記録が伸びる」と評価する「魔法の砲丸」の辞退で、北京五輪の優勝記録が少なくとも1メートルは短くなるとの予測もある。
なぜ伸びるのか。「ローテクだから」と辻谷さんは言う。砲丸は鋳物の素材を旋盤で削って作る。男子用の基準は重さ7・26キロ。それより軽いものは認められない。誤差は+25グラムまで。外国メーカーはコンピューター制御のNC旋盤という機械を使い、基準の重さで球体に近づけていく。
ところが、鋳物には鉄だけでなく、青銅や銅、その他の不純物が混じり、冷却時に残る空気のムラもある。完璧(かんぺき)な球体だと重心が真ん中から大きく外れてしまうのだ。辻谷さんが使う汎用旋盤はハンドルで前後左右に刃を移動させながら削る。最先端のNC旋盤より手動のローテク旋盤が優れているのは、比重のムラを見極め、右側の半球を薄めに、左は少し厚く…といった応用が利くことだ。
調節しながら重心を真ん中に持っていく。
では、その比重のムラはどのように見極めるのか。「3つの要素の組み合わせです」と辻谷さんは言う。世界最強のローテクを支える3つの秘密とは何か。もう少し、辻谷さんの仕事に迫っていこう。
◇
五輪開催を控えた中国はいま、大気汚染や有毒ギョーザからチベット騒乱まで、あらゆる矛盾が噴き出した観がある。いち早く「たった1人の五輪ボイコット」を決めた辻谷さんの判断は、21世紀の日本の針路を考えるうえでも示唆的だ。日本はだめなのか。昨年の長期連載「やばいぞ日本」で、産経新聞取材班は、戦後日本の繁栄を支えてきたシステムの劣化をあらゆる場面で目撃した。その一方で、決してだめではない強さ、すごみが秘められていることも痛感した。
たとえば、砲丸だけでなく、F1レースや自転車の国際競技で使われる車輪、W杯と五輪サッカーの公式球など、円形や球体を作る技術は傑出した技量で世界を制覇している。この技術を支えるものは何か。世界に翻弄(ほんろう)され続ける通貨とは対照的な、もう一つの「円と球」の物語から、新しい連載を始めたい。
-- -- -- -- --
砲丸が消えた! 比重にムラのある鉄の塊を削って砲丸を作り、真ん中にぴたりと重心をあわせる。辻谷政久さん(75)の神業の秘密は何か。埼玉県富士見市にある辻谷工業の作業場で汎用旋盤に向かう辻谷さんに聞いた。
「音と光沢、それに手応えの3つです」
仕事の手を休め、辻谷さんが説明する。不純物の混じる鋳物の重さを外から確かめることはできない。だが、重いところは削るときの音が高い。逆に軽いところは低い。硬い部分の表面は光り、軟らかい部分は鈍い。そして何よりも重要なのは旋盤の2つのハンドルから手に伝わる感触だ。
「お豆腐を切ると、包丁の重さだけですっと切れるでしょ。でもカボチャは力を入れないと切れない。あれと同じですよ」
競技用の砲丸の素材は9キロほどの鋳物の塊だ。これを旋盤で削り、7.26キロの球体に仕上げていく。
「一度に100個作ります。14工程あるので1週間かかりますね」
大切なのは後半の仕上げの工程だ。耳と目と手の感触を総動員して微妙な比重の違いを見分けながら表面を薄く削っていく。研究を重ね、川口の鋳物工場でも体験的に働かせてもらってようやく身につけた技術である。「教えてもほかの人にはできません。経験で覚えなければ」という。
辻谷さんの砲丸が最初に採用された五輪は1988年のソウルだった。外国の砲丸は表面に色を塗ってある。辻谷さんの砲丸は素材のままだ。五輪後、競技ビデオを買って確かめたら、辻谷さんの砲丸を投げた選手は一人もいなかった。
外国製の砲丸を取り寄せて2つに割り、中を調べると、空洞があったり、鉛を詰めたりして重さを調節していることが分かった。辻谷さんのように旋盤で削るだけでぴたりと基準の重さにあわせ、しかも重心を真ん中に持って行くといった芸当はできないのだ。
表面に色を塗るのは、割った跡の継ぎ目が見えないようにするためでもあるのだが、選手は見た目がきれいな方を選ぶ。どうしたら使ってもらえるか。辻谷さんは指紋にヒントを得て表面に細い筋を入れ、92年のバルセロナに臨んだ。
五輪では同じ砲丸を32個納入し、競技用に16個、サブグラウンドの練習用に16個が配置される。バルセロナ五輪では、開会式までにその練習用の16個が全部なくなってしまった。
このため、追加注文があり、あわてて16個を送ったが、その16個も大会終了時にはなくなっていた。スジ入りの砲丸を試し投げした選手が「これはいい」と持ち帰ってしまったのだ。
バルセロナで、辻谷さんの砲丸は銀メダルを1つ獲得した。だが、それよりも大事なことは追加注文をあわせ32個の砲丸が選手を通じてひそかに持ち出されたことだ。辻谷さんもまた「これはいい」と思った。
次のアトランタ五輪まで4年、世界に放たれたスジ入りの砲丸は有力選手の間で必ず評判になる。五輪3連覇の偉業が始まる瞬間だった。
-- -- -- -- --
失敗を恐れるな
アトランタ五輪8日目の1996年7月26日夜(日本時間27日午前)、陸上男子砲丸投げの決勝に注目していた日本人は、皆無とはいわないまでも極めて少なかっただろう。日本ではそのほぼ同時刻、たくさんの人がテレビの前で呆然(ぼうぜん)としていた。
辻谷政久さん(75)の砲丸が五輪で初めて金銀銅3メダル独占の快挙を果たしたのは、柔道女子48キロ級決勝で田村亮子選手が北朝鮮のケー・スンヒ選手に敗れたのと同じ日の同じ時間帯だった。歴史は誰もが気付かないうちに、そっと歯車を回すこともある。
男子砲丸投げ決勝は、5投目まで6位だった米国のランディ・バーンズ選手が最終6投目で逆転優勝する劇的な展開だったが、辻谷さんにとっては、決勝を待つまでもなく、勝負は決していた。8人の決勝進出者全員が辻谷さんの砲丸を使っていたからだ。
バルセロナの五輪会場から32個の砲丸が姿を消して4年、おそるべき口コミの成果だった。ただし、辻谷さん自身はまだ、「集団心理ということもある。偶然かもしれない」と半信半疑だった。最初の選手につられて、他の選手も何となく表面にスジの入った砲丸を選んでしまったということもありうる。
「次のシドニー五輪でもメダルを独占し、初めて認められたという実感を持った。我々が作るモノは、選手に認めてもらって初めて一級品。自分だけがいいと言ってもだめですから」
ユーザーにとって価値がなければ意味がない。それこそが日本の町工場のおやじを支える誇りである。
2大会の独占は思わぬ波紋を広げた。砲丸の表面のスジが2004年のアテネ五輪から禁止されたのだ。辻谷さんは米国の働きかけがあったのではないかと考えている。
禁止決定の前に米国メーカーから高額の報酬で技術指導に来てほしいと非公式に打診され、1カ月悩んで断っていたからだ。「世界の砲丸は私だけで作ったのではない」という思いがある。川口の鋳物工場の社長は試作段階で「そこまで研究しているのなら協力しよう。料金は完成した分だけでいい」と、失敗した分の材料費は取らなかった。
日本は5年、10年と時間をかけて築いた技術を外国に教え、その結果、技術を盗まれて困っている中小企業が数多くある。そんな現実も見ていた。
スジが禁止されても辻谷さんは動じなかった。本当の秘密は、重心を球体の中心に限りなく近づける技術にあるからだ。技術の精度を上げ、アテネで3度目のメダル独占を果たした。
五輪の砲丸は一度に100個作り、32個を大会用に送る。手元には68個の在庫が残る。辻谷さんがこれまで講演を行った全国の約20の工業高校にはその砲丸が置かれている。「魔法の砲丸」の技術を高校生に伝えるのは無理だとしても、実物があれば夢や誇りは伝わる。辻谷さんは「モノを作ると必ず失敗がある。でも失敗を恐れないでください」と声をかけるのを忘れない。
- 2008/04/08(火) 06:00:17|
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【すごいぞ日本】 F1支えるホイール 北陸・富山空港のロビーにはホタルイカの沖漬けや白エビなど富山の名産品とともに、自動車レースの最高峰、フォーミュラワン(F1)のホイール(車輪)が飾られている。民間調査機関「イニシアチブ・スポーツ・フィーチャーズ」が発表した2007年度テレビ最高視聴率によると、米プロフットボール、NFLの王座決定戦、スーパーボウルを抑え、瞬間視聴率で世界一に輝いたのは「F1ブラジルGP最終戦」だった。その世界スポーツの王、F1が、なんで富山なのか。
「あまりご存じないのかもしれませんが、これが町工場の技術力なんです」
ワシマイヤー社の谷川章副社長が説明する。富山県高岡市郊外にある従業員250人余りの小さな企業。もとは繊維機械用のビーム(糸巻き機)を製造していた。だが、国内繊維産業の衰退の中で1980年代には転身を迫られ、ビーム製造で培った鍛造技術の応用分野を探した。
「車の大事な足回りが鋳物だったとは意外でした。鋳造と鍛造の違いは、簡単に言えば、鍋や釜と日本刀や航空機の車輪を支える脚の差です」
自動車の車輪は金属を圧縮して作る。鋳物は1平方センチに500グラムの圧力しかかけないので、無数の空気孔ができてもろい。鍛造は4トン以上を加圧する。その分、強度が均一化され、見た目は同じでも信頼性、安全性には格段の差がある。
自動車の車輪が鋳物で作られていることを知って、同社経営陣は「そんなもろいもので」と驚き、同時に大きなビジネスチャンスをつかむ思いだった。
問題はビームの何倍もの圧力が必要な車輪用の鍛造技術をどうするか。「北陸の貧乏会社なので最初から大きなプレス機があったわけじゃない」と谷川副社長はいう。秘密兵器はセクション鍛造だった。
同社創業者の小野光太郎会長が若いころ電車でハイヒールの女性に足を踏まれた。「痛い!」と思ったとたんにひらめいた。つま先で踏まれても痛くないのに、かかとで踏まれるとどうして痛いのか。それをヒントにして、狭い1点に集中し何度も圧力をかけるのがセクション鍛造法だ。その技術にさらに改良と工夫を重ね、現在は機械にかける「密閉型鍛造方案」が同社の技術を支えている。
「他社のは圧縮時にどうしても金属がこぼれ出る。ウチは完全に密閉でき、圧縮にムラがないので密度も均一性も違います」
技術で産業構造の変化を乗り切ったワシマイヤー社は92年からフェラーリ、94年からベネトンなどF1の強豪チームにホイールを供給するようになり、一気に有名になった。ベネトンなどは逆に、ワシマイヤー社のホイールを使ったから強豪の仲間入りを果たしたと言われたほどだ。
F1では以来、昨年までの14年間で9度の優勝。今年もフェラーリ、トヨタ、ホンダなど5チームに供給している。
ワシマイヤー社の車輪はなぜ強いのか。さらに秘密をさぐっていこう。
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強さの秘密は密閉力 F1の車輪は2つの相反する課題のせめぎ合いである。強度と重量。サーキットの疾走速度は時速300キロを超える。もろければ、その高速に耐えられない。だが、強度を重視して足元が重くなれば、超高速そのものが実現できない。
レーシングカーの車輪製造で世界の先端を行く富山県高岡市のワシマイヤー社は、高度の鍛造技術で、より強く、より軽くの奇跡に挑み続けてきた。不可能を可能にしたのは、前回も書いた「密閉力」だろう。
その密閉力が、鉄よりもはるかに軽いアルミニウムで1ピースプレス加工を実現させた。ボルトで組み合わせることなく、独特のメッシュ状のデザインを1枚の円盤状に鍛造していく方法である。強度に問題があるアルミニウムも密閉され、高い密度を保つことで強さを身につける。
ワシマイヤー社はさらにマグネシウム鍛造にも挑戦した。あのモロモロと崩れそうなマグネシウムで車輪を作る。
ワシマイヤー社が開発するまで、「まさか、そんな」と業界では相手にされなかったマグネシウム車輪はいまや、F1だけでなくインディ、ルマンなど世界の主要レースの栄冠を独占する勢いだ。
高岡市の工場には金型が積んであった。この金型で素材を挟み高性能プレス機にかけ圧縮する。写真を撮ろうとすると、谷川章副社長が「これだけはダメです」とあわてて飛んできた。金型の構造こそが密閉力を生み出す秘中の秘なのだ。
同社の製品はドイツの大手車輪メーカー、BBS社を通じ、世界に供給されている。レース用だけではない。ベントレー、アストンマーチン(英国)、ポルシェ(独)、レクサス、クラウン(トヨタ)などの名だたる高級車もワシマイヤー社の車輪を使っている。
日本BBS社の広報企画担当、山口弘美さんによると、F1で使われている車輪はワシマイヤー社製だけではない。だが、「スポンサー参画のかたちで無償納入するところが多いのですが、ウチはフェラーリでもどこでも、すべてお金を頂いています」という。
ただで使えるというオファーがあっても、強豪チームはあえて高額の車輪を選ぶ。その事実こそが北陸の町工場の技術陣を支える最も大きな勲章なのだ。
◇
車輪という円の機能を追求する技術。この分野は自転車競技でも日本が際立っている。
「急いでホイール(車輪)セット30本を出荷してほしい」
堺市の自転車部品メーカー「シマノ」に緊急の国際電話がかかってきたのは3月上旬のことだ。フランスのロードレースチームからの発注だった。
ロードレースのプロチームは欧州を中心に世界で21チーム。うち7チームがシマノのホイールを採用している。
北京五輪でも多数の選手が新開発の同社ホイールを使い、いずれはその車輪が世界標準になる。電話を受けたアクションスポーツ事業部の倉本圭介係長(42)は、一段とそうした確信を強めた。
- 2008/04/07(月) 06:00:11|
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理系のための番組 業界人の根深い思い込み
〜竹内薫の科学・時事放談 より〜
私が解説を担当している「たけしのコマネチ大学数学科」(フジテレビ系、木曜深夜)という数学エンターテインメント番組が3年目のシーズンを迎えた。当初はワンクールで打ち切りだとみんなが思っていたようだが、あれよあれよという間に月日が過ぎ、去年の11月には国際エミー賞の最終ノミネートに残り、海外から企画を買いたい、という打診まで来るようになった。先月は、とうとう、主役のマス北野こと北野武が日本数学会出版賞という学術的に価値の高い賞を受賞。世界のテレビ界と日本の数学界からお墨付きを得ることとなった。視聴率をみても、深夜帯では異例の4%や5%という数字を記録することもあり、視聴者の支持もきちんと得ているようだ。4月中旬には待望のDVDまで発売されることになった。
とはいえ、いいことばかりではない。新シーズンに入るや否や、これまでよりも厳しい収録スケジュールとなり、出演者もスタッフも体力ギリギリで踏ん張っているような状況なのだ。深夜帯なので、なかなか有力なスポンサーも見つからず、制作費を極限まで切り詰めないと番組が続行できない。こうなると、出演者とスタッフの情熱、そして、視聴者の応援だけが、日本唯一の数学エンターテインメント番組の命運を握ることになる。
実をいえば、民放には正面切って数学や科学を扱う番組はほとんどない。この一番の原因は、テレビ業界で編成や制作に携わる人に理系出身者がほとんどいないことだろう。人間誰しも自分を基準に世界を計ろうとする。自分が苦手な科学の話なんて「誰も見ない」と考えたとしても不思議はない(新聞には科学部があるから、ちゃんと理系の情報を分析できる人材がいる。なぜ、新聞にはできて、テレビにはできないのか不思議である)。
だが、あまりに人材の出身分野が偏っていると、判断を誤ることも多くなるにちがいない。視聴者はみんな、本当に「科学なんていらない」と考えているのだろうか。もし、それが本当だとしたら、「たけしのコマネチ大学数学科」が長寿番組になることなどありえない。この番組は、いわゆる業界人の根深い思い込みに対するアンチテーゼなのだ。
最近、番組でやった問題をご紹介しよう。「正三角形を切り分けて、並べ替えて、正方形をつくってください」。一見、簡単そうな問題だが、伝説のパズル王ヘンリー・アーネスト・デュードニーが考えた問題で、1905年には英王立協会に招かれて解答を披露しているくらいだから、相当手ごわい。実際、私は番組のための解説を考えるため、自力で解こうとして、徹夜をしたが完全な解答には到達できなかった。そこで、番組ではヒントを用意して解いてもらったのだが、出演者たちは、文字どおり「知恵を振り絞って」解答に近づいていった。ここには純粋な知的楽しみがあり、不思議な爽快(そうかい)感がある。
え? 問題の答えを教えろ? 申し訳ない。意地悪なようだが、数学や科学の醍醐(だいご)味は、考える過程にこそある。1カ月以内には放送されると思いますので、どうか、それまでじっくりと考えてみてください!
- 2008/04/06(日) 06:00:55|
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不患人之不己知 患不知人也人の己を知らざるを患(うれ)えず、人の知らざるを患う
「論語」の学而編から。
他人から認められないと悲観する必要はない。
人から、自分で思っているような評価を得ないのは、
自分が他人の実力を分かっていないからだ。
まず、そうした自分を責めるべきだという意味。
- 2008/04/05(土) 20:47:42|
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新銀行東京の経営が行き詰まり、400億円の追加出資案が都議会で議論されている。同銀行の設立時には、東京都が1000億円を出資しているが、現時点で累損が1000億円近くなり、当初の資本金を食いつぶしてしまった。そのために、新たに400億円を追加出資しようというわけだ。
報道によれば、すでに賛成の立場を示している自民党に続き、公明党が条件付きで賛成する方向で調整に入ったとのこと。両与党が過半数を占める都議会で追加出資案が可決される可能性が高くなってきた。委員会採決は3月26日、本会議の議決は28日に行なわれる。
それにしても、なぜこんなことになったのか。3月10日に提出された新銀行東京の調査報告書によれば、仁司泰正・元代表執行役の責任が重大であると記されている。仁司元代表が「どんどん貸し込め。貸倒引当金もしっかりと使い込め」と行員に訓示をし、過剰融資、乱脈融資を続けてきたことが経営行き詰まりの最大の原因だという。
確かに、新銀行東京の経営がずさんだったのは否定できない。だが、経営の行き詰まりの責任を元代表一人に押しつけて、東京都が追加出資を押し切ろうとしているのは、どうもわたしには納得がいかないのである。
新銀行東京はビジネスモデル自体に問題があった
そもそも、中小企業にどんどんと融資をするというのは、東京都の政策だったのではないか。そうした東京都の意図を受け、新銀行東京は無担保、無保証でスピード融資を目指した。ほかの銀行と違って細かく調べることなく、書類審査に基づいて公正な基準で融資するというのが新銀行東京のウリだったのである。
では、なぜそのような銀行ができたのか。
今から6、7年前のこと。貸し渋りを続ける銀行を俎上に乗せ、メディアが激しい銀行批判を繰り返したことがあった。ご記憶の方も多いと思うが、簡単にいえばそれは「銀行悪玉論」だった。
そんな状況のなか、「いまの銀行は、やれ担保だ保証人だと、うるさいばかりだ。そうしたものがないと融資をしないものだから、優秀で将来性のある中小企業の芽を摘んでしまうことになる」という意見がでてきた。「そうした銀行は臆病者で能力が低いから、中小企業に貸せないのだ」という議論である。
そこで登場したのが、ミドルリスク・ミドルリターンという、新しい銀行のビジネスモデルだった。
ローリスク・ローリターンのビジネスモデルをとっていた従来の銀行とは一線を画し、少々金利を高めに設定することで、担保も保証人もない中小企業に融資すれば、新しい銀行業が成り立つという考え方だ。それでビジネスが成立すれば、中小企業が救われて経済が活性化するというバラ色の未来がやってくる。
そうした議論に対して、ほとんどのメディアが支持をした。そんな社会の流れに乗っかって新銀行東京ができたといってもいいだろう。
しかし、わたしは当時から、ミドルリスク・ミドルリターンなどという市場は、ほとんど存在しないと言い続けてきた。あるとしても、それはものすごく小さい市場であり、そこでビジネスを展開するのは非常に難しいとしか言いようがない。
「ミドルリスク・ミドルリターン」は空想の産物
なぜ、ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデルが困難であるか。それは、貸出利率を見ただけでもわかるだろう。新銀行東京は10〜15%という利息制限法の上限で貸している。言い換えれば、消費者金融並みの利率で貸し出しているのである。
しかし、そんな金利で事業資金を借りて、一般的な中小企業の事業がまわるはずがない。これは、金融の専門家でなくても、一般常識として当然のことだろう。
身の回りにある中小企業を思い浮かべてほしい。そば屋、パン屋、自動車整備工場といった事業所が、15%の金利を払えるはずがないことくらい、冷静に考えたら誰だってわかる。
現に、新銀行東京の貸出先のうち、2345件もが経営破綻しているという。経営破綻した理由は、けっして融資の量が足りなかったからではない。金利10〜15%で資金を借りようとしている企業というのは、経営が追い詰められて、にっちもさっちもいかなくなったところがほとんどなのである。
まともな事業計画を立てて事業をする余裕もなく、ただ目先の運転資金が足りないから、藁をもつかむ思いで金を借りたのだろう。
もちろん、新銀行東京の経営がずさんだったことは否定できない。しかし、公的機関だったことによる経営の不効率がその要因だったのでは、けっしてないとわたしは考えている。ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデル自体に問題があったのだ。
じつは、ミドルリスク・ミドルリターンを言い出した張本人の一人が、小泉内閣のもとで金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム(竹中チーム)のメンバーを務めた木村剛氏であった。
彼は、銀行の貸し渋りが諸悪の根源であるとして、まさに新銀行東京と同じビジネスモデルのもと、純粋に民間資本によって日本振興銀行を立ち上げた。
では、その銀行は今どうなっているのか。この銀行は民間であるがゆえに、公的機関による経営の不効率というものとは縁がない。にもかかわらず、今期の中間決算は5億円の赤字であり、これまで何度も赤字を出し続けてきた。
民間企業で、しかも金融のプロ中のプロである木村氏がかかわってさえ、うまくまわらないのである。ミドルリスク・ミドルリターンというビジネスモデル自体が、そもそも空想の産物だったという立派な証拠である。
残された道は「安楽死」か「普通の銀行への転換」の二つ
日本の銀行による不動産担保融資に対して、批判する人は多い。しかし、考えてみれば、これは世界最強のビジネスモデルでもある。
というのも、銀行業というのは預金を預金者から預かり、元本保証で返さなくてはならない商売だからである。そうした事業をしている限り、資金運用において高いリスクをとってはならない。リスクが悪いほうにでたら、元本保証で預金を返せないからだ。
そもそも、リスクの高い、いわばイチかバチかの資金というのは、銀行のような間接金融が担うべきものではなく、株式や債券の取引のような直接金融が担うべきものである。
銀行の預金者にしても、そんなイチかバチかの勝負は期待していないだろう。そこをはき違えて、まったくパイのないところに、まるでユートピアがあると信じ込んで突っ込んでいったのは、石原都知事の責任でもあるし、メディアの責任でもあるとわたしは思う。
なにしろ、当時のメディアは、ミドルリスク・ミドルリターンをとる新銀行東京の登場に拍手喝采し、あたかも中小企業の救世主のように賛美していたのである。それが、ここに来て、手のひらを返すように、東京都や石原知事を袋叩きにしているのはいかがなものか。メディアも同罪なのであり、まったく反省がないとしかいいようがない。
さて、今回追加出資する400億円であるが、これは現に新銀行東京に資金を借りている企業がある以上、やむを得ない措置なのかもしれない。確かに、いきなり新銀行東京を潰してしまうと、借り手は闇金に走るしかなく、バタバタと倒産が続出することが予想される。
ただ、追加出資を機に審査システムを改善するくらいで、新銀行東京が復活するかといえば、それは絶望的である。繰り返すが、ミドルリスク・ミドルリターンというマーケットがほとんど存在しないのだから、どうしようもない。
残された道は二つである。一つは、新銀行東京を安楽死させる方法。もう一つは、一般の銀行に衣替えさせる方法である。現に、貸出先の比重は中小企業から大企業に移りつつあるので、それをさらに推し進めていくわけである。つまり、優良な企業に低利で貸し出す、ローリスク・ローリターンに方針転換するのだ。
逆に言えば、「新銀行東京は、けっして中小企業の味方ではありません。今後は金をかせぐための普通の銀行に変えていきます」と宣言をしない限り、400億円はまた無駄になるだろう。
400億円という金は、国のレベルで見ればたいしたことはないかもしれないが、当初の1000億円と合わせると1400億円に達する。これは、1280万人の東京都民1人あたり、1万円以上の税金を使った計算になる。
それがいいことに使われるならまだしも、いったいどこに消えてしまったのか。おそらく、破綻した2345社のなかには、借りる前から自分でもダメだと思っていた人も多かっただろう。そうした「目先の金」に貴重な税金がつぎ込まれてしまったのである。
400億円の追加出資はどうやら決まりのようだが、野党のみならず与党も、10〜15%で貸し出してきた意味を厳しく問いただすべきだろう。そんな利率で一般の中小企業が金をまわすことなど不可能であることくらい、都議会議員ならわかっていると思うのだが。
経済アナリスト 森永 卓郎
- 2008/03/31(月) 22:33:46|
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■新しいヒト万能細胞誕生に思う
≪皮膚細胞から万能細胞へ≫
昨年11月、京都大学の山中伸弥教授らによって新しいヒト万能細胞(iPS細胞)の作製成功の報告があった。日本の科学者チームの快挙である。
あらゆる生物の受精卵のゲノム(全遺伝子情報)には、将来、作られるすべての細胞や臓器に関する情報が書き込まれている。この受精卵は、どのような細胞にでも成長できる全能性がある。しかし、受精卵はいったん分裂を始めると、ごく初期の段階を除き、この全能性は失われ、それぞれ異なった細胞や臓器に分化していく。そして、分化した細胞は、もう元の万能細胞には戻らないと長い間信じられてきた。
この常識をくつがえしたのがクローン羊の誕生であった。それから10年が過ぎ、昨年、新しいヒト万能細胞が誕生した。これは、受精卵から出発したものではなく、皮膚の体細胞から万能細胞を作り出すのに成功したものである。
この成功には、2つの大きな意味がある。1つは、体細胞を使うために、倫理面の問題が回避できること。2つ目には、自分の傷ついた細胞や臓器などを、自分の細胞で作製できる再生医療に大きな道を開いたことになる。
ここで忘れてはならないことがある。世界の科学者を総動員し、世界の全財産をつぎ込んでも、いまだに、細胞のコピーはつくれるが、細胞そのものは元から創ることはできないのである。これは、たった一つの細胞ですら、生きていることが、いかにすごいことかということである。細胞1個が生きているだけでもすごいのに、私たちの身体では約60兆個の細胞が毎日、大きな争いもなく助け合って見事に生きている。
≪ハーモニーを演出する力≫
ヒトには数百種類もの細胞が、それぞれ独自の役割を演じながら他の細胞を助け、臓器の働きを支えている。臓器は、それぞれ独自の働きを演じながら、個体を生かしている。このような見事な協力とハーモニーを演出しているのは、自律神経だといわれている。その自律神経を動かしているものは何か、現代医学ではいまだに全く分かっていない。この見事なハーモニーと助け合いがデタラメに起こるわけがない。その情報は、ゲノムの中に書き込まれていると私は考えている。
21世紀には、この利他的な遺伝子(群)と名付けてもよいものの正体の一部が解明できると思っている。
1953年、遺伝子の本体がDNAという物質であることと、その構造が解明された。そして驚くべきことが明らかになった。それは、細菌を含む微生物、昆虫、植物、動物、人間など、すべての生き物は「A・T・C・G」と呼ばれる同じ遺伝子暗号を使っていることが発見されたのである。これは、地球上のあらゆる生きとし生けるものは、「A・T・C・G」を含むDNAでつながっていることを意味している。
さらに、DNAの解明をした結果、地球上すべての生き物の元は、一つであったことも判明した。人間は特別な存在で、地球の資源や他の生物を利用しているが、長い進化の歴史から見れば、すべての生物は人間にとって先祖であり、親戚(しんせき)、兄弟姉妹のような存在である。
≪「偉大な親」のようなもの≫
私は生命科学の研究に50年従事してきたが、つくづく感嘆していることがある。それは、細胞核中の極微の空間に、万巻の書物に匹敵する遺伝子情報を書き込み、一刻の休みもなく働かせている大自然の素晴らしさである。この働きは人間業ではない。この目には見えないが、大自然の偉大な働きを、私はサムシング・グレートと表現してきた。本当に大切なものは目に見えないのではないか。心、いのち、そしてサムシング・グレートも目には見えない。サムシング・グレートとは何か。これは人類の永遠の課題である。
自明のことであるが、子供は親なしでは生まれない。サムシング・グレートとは、すべての生き物の元の親であり、現在も休むことなく働き続けている、偉大な親のようなものではないだろうか。さらに、人類が作り上げてきた文明、科学、思想などの根源は、実はサムシング・グレートに由来していると考えている。
地球上のすべての生き物は、命の元であるサムシング・グレートにつながっていて、お互いに協力しあって、地球生命体を構成しているのである。それにもかかわらず、人類は長年にわたり、民族、人種、国家、宗教宗派までもが争いを繰り返してきた。今こそ、人類を含めたすべての命がつながっていることを自覚して生きたいものである。
【正論】
筑波大学名誉教授・村上和雄(むらかみ かずお)
- 2008/03/30(日) 06:00:07|
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中国人の外交術
米中国交正常化交渉においてキッシンジャーを翻弄し続けた中国流の外交術に学ぶ。
■1.中国招待は皇帝の温情!?■
1971年7月、キッシンジャー大統領補佐官は北京への最初の秘密訪問を行った。ニクソン大統領が対中国交正常化への意欲を示し、5月に中国側が大統領の公式訪問を歓迎すると応えたのを機に、そのお膳立てのための極秘訪問をしたのだった。
キッシンジャーを迎えた周恩来首相は、こう語った。
中国側がまだ招待していない実に多数の米国の政治家のリストをみせましょうか。私のデスクには、中国を訪問させてほしいと要請する米国政治家からの手紙が山のように積まれています。私は返事はまだ出していませんが−−−
周恩来の先制パンチだった。交渉相手をそのライバルと競わせて焦らせる、中国一流の外交術である。何千年も国内で激しい外交合戦を繰り広げてきた中国では、ごく基礎的な手法であった。この後に続く何年もの米中交渉の間、キッシンジャーはこうした中国側の天才的な外交術に翻弄され続けることになる。
この先制パンチに、キッシンジャーはこう応えるのが精一杯だった。
あなたがしたこと(ニクソン氏訪中招待)にはニクソン大統領も非常に感謝しています。
これでは中国皇帝への拝謁を許された周辺蛮族の使節が、皇帝の格別の仁慈に感謝しているようで、完全に位負けである。周恩来はその答えに満足したように、さらにこう畳みかけた。
その招待は毛主席の英知と指示によりなされたのです。
■2.CIA報告書『中国人の交渉術』■
米中国交正常化交渉はこの後、79年1月カーター政権下で結実するまで7年以上も続けられるのだが、中国の外交術に翻弄され続けた米政府は、この経験を『中国人の交渉術』という報告書にまとめて、中国との交渉を担当する人間には熟読することを義務づけた。
米国中央情報局(CIA)が発行したこの報告書は、ランド研究所主任研究員のリチャード・ソロモン氏によってとりまとめられたのだが、彼はキッシンジャーの補佐官を務めた人物である。前後20年に及ぶ中国との交渉記録を渉猟し、さらにニクソン、フォード、カーター、レーガンの歴代政権の高官たち30人以上にインタビューを行った。
キッシンジャーもインタビューに答えた一人であり、その体験をもとに、この報告書では随所にキッシンジャーが翻弄された実話がちりばめられている。冒頭のシーンはその一つである。
キッシンジャーほどの著名な国際政治学者でも、実際の交渉の場では手玉にとってしまうほどの高度な外交術を、中国の政治伝統は生み出している。
その分析を行った本書は、日本の対中外交、そして民間企業における交渉においても参考になる。本号では、その一端をご紹介しよう。
■3.「中国の友人」を選ぶ■
中国の外交術の原則は、国家間の関係は条約などの法的なものでなく、あくまで個人どうしのつながりに基盤を置く、というものである。
これは中国の歴代王朝が(現在の中国共産党政権も含めて)、皇帝の独裁を原則としてきたことから生まれた歴史的な特性だろう。国家間の関係も、企業間の関係も、まずは相手側との人間関係を作る所から始まる。
その第一ステップは、中国側と個人的関係で結ばれた「中国の友人」を作り出し、それが相手側の交渉窓口となるよう工作することである。相手国政府内のライバル関係、あるいは権力状況を調べて、「中国の友人」として最適な人物を選び出す。
米中交渉において「中国の友人」として選ばれたのが、キッシンジャー補佐官であった。71年はじめに中国政府はニクソン政権と直接のコンタクトをとろうと決めてから、少なくとも二人の仲介者を通じて、キッシンジャーに特に会いたいという意向を伝えている。
最初は71年2月に、喬冠華外務次官がこの意向を北京駐在のノルウェー大使に伝達した。4月には駐米パキスタン大使が周恩来首相からの同様のメッセージを伝えている。こうした名誉ある「ご指名」に与(あずか)ったキッシンジャーが、対中国交回復にどれほどの意欲を燃やしたかは、想像に難くない。
■4.「中国の友人」への計算され尽くした「熱烈歓迎」■
日中国交正常化の場合、「中国の友人」に選ばれたのは田中角栄だった。佐藤栄作政権の親台湾政策を継承する福田赳夫に対して、田中角栄に訪中招待を呼びかけ、親中派の大平派、三木派を抱き込んで、田中政権の成立を裏から助けた。田中角栄は首相に就任した初閣議後の記者会見で「中華人民共和国との国交正常化交渉を急ぐ」と発言している。[a]
逆に「友人」になりえない人物が交渉相手に選ばれそうになると、中国はそれを避けるためにあらゆる手段を使う。1980年の米国大統領選の最中に、親台湾派と見られていた元CIA副長官レイ・クラインが新政権の対中窓口になりそうになると、トウ小平は副大統領候補ブッシュとの会談で「レイ・クラインとは何者なのか。クラインの中国に関する見解はレーガン・ブッシュ政策を反映するものなのか」と厳しく問い詰めた。
そしてクラインがある記者会見で「中国は野蛮」と口を滑らせた発言を大々的に取り上げ、激烈に非難したのだった。中国敵視政策を決意した政権でない限り、ここまで非難された人物を対中外交の責任者に任命することはできないであろう。
「中国の友人」に任命された人間が招待に応じて訪中すると、計算され尽くした「熱烈歓迎」を受ける。
キッシンジャーはニクソン訪中の事前準備に訪中した際に、中国側がレセプション、名所見物、食事、音楽など綿密に効果を計算して準備を進めていることに強い印象を受けたと述懐している。2回の訪問で、紫禁城と万里の長城に案内され、さらに北京の現代オペラを観劇させられた。
田中首相が北京入りしたのは9月の30度を超える暑い日だったが、迎賓館の部屋は田中の好きな17度に設定されており、田中の第一声は「ああ涼しくて助かる」だった。部屋の隅にはさりげなく田中の好きな台湾バナナ、富有柿、木村屋のあんパンが置いてあった。「これは大変な国に来たな」と日本側は驚いた。[a]
■5.「相手のライバルと競わせる」■
こうした陰からのバックアップや「熱烈歓迎」で相手国のリーダーと個人的パイプを作る事に成功すると、その「中国の友人」を通じて中国は様々な要求や圧力をかける。
ここで「中国の友人」が反抗することもあるが、それを抑え込む手口がいくつかある。一つは「相手のライバルと競わせる」という手である。
冒頭に紹介したように、周恩来首相がキッシンジャーに対して、他にも中国の招待を待つ米国政治家がたくさんいる、と牽制したのも、この一例である。共和党のニクソン政権下で国交正常化への進展がはかばかしくなければ、中国訪問を切望する民主党の多数の政治家に交渉相手を切り替える、と脅したのである。
1974年11月、ニクソン訪中後、3年近く経っても、米中交渉がまだ続いていたが、トウ小平はキッシンジャーに対して、そのライバルと目されていたシュレジンジャー国防長官を中国に招待すると告げて、ショックを与えた。 [1,p108]
米中関係では、もう一つ考えていることがあります。両国関係がいま冷却しているという点です。このため中国政府は国防長官ジェームズ・シュレジンジャー氏への公式招待を発表する。同氏の訪中はいまの米中間の諸問題に適切な答えを与えるでしょう。
キッシンジャーが「クレムリンでは(驚いて)すぐに政治局会議を開くでしょうね」と牽制すると、トウはこうかわした。
私たちは気にしません。むしろソ連が政治局会議を開くことを私たちは望んでいます。中国は真剣にこの招待を出しているのです。
■6.「われわれはあなた方を必要としない」■
交渉相手をライバルと競わせて、自分を有利な立場に置くという外交術は、相手国全体に対しても用いられる。
上記のキッシンジャーとトウ小平の会談の前月、中国首脳は突然、ソ連に向けてボルシェビキ革命の記念日を祝う電報を打ち、中ソ不可侵条約を提案した。米中関係が冷却している時期にこんなメッセージが送られただけに、中ソ対立が解消されるのではないか、との憶測まで流れた。
その直後のキッシンジャーとの会談で、トウ小平は「ソ連の覇権政策は不変」という見解を強く再確認してみせた。キッシンジャーとの会談を狙って、中国側が「米中交渉が進展しないと、中ソが再び組むかも知れない」という揺さぶりをかけたのだろう。
レーガン大統領が84年春に北京を訪問した際にも、中国側はこの外交術を巧みに使ってみせた。ソ連のアルキポフ第一副首相がすぐに中国を訪問する予定だとレーガン大統領に伝えたのである。中国首脳はさらに「日中関係が21世紀まで円滑に保たれる」と力説して、行き詰まっている米中関係と対比した。
軍事はソ連、経済は日本があるから、アメリカが中国との関係緊密化を望まないなら、それでも中国の方は一向に困らない、という圧力である。
「われわれはあなた方を必要としない。あなた方こそわれわれを必要としているのだ」というのが、中国の慣用句である。
■7.「時間のプレッシャー」■
中国のもう一つの外交術は、相手側に「時間のプレッシャー」を与えることである。
キッシンジャーは、1971年10月の二度目の中国訪問の際の共同コミュニケ草案づくりの光景を次のように描いている。[1,p131]
われわれを夕食の蒸し焼きアヒルで腹一杯にさせたあと、周(恩来)氏は自分のつくった草案を突きつけてきた。周草案は、一連の問題について極めて非妥協的な言葉で中国側の立場を述べ立てる一方、米国の立場を述べる空白のページを残しており、米国の立場は、中国側の立場とは反対になることが予測されていた。[1,p131]
米国は自身の主張を盛り込むことができるが、中国と米国の主張に何の共通点もないのであれば、ニクソン訪中は意味のない失敗であるとされてしまう。キッシンジャーは、「限られた訪問期間の中で何らかの共通点を見いださなければならない」というプレッシャーをかけられ、翌朝に対案を提示することを約束した。
対案作りは、肉体的な耐久力との競争になった。まず、私が3時間眠っている間にウィンストン・ロードがコミュニケを練り直した。そして彼がベッドに潜り込むと、私が夜の明けるまで草案を推敲した。
共同コミュニケの草案の大部分はこの際にまとまったが、最も重要な台湾問題に関する合意は、翌年2月のニクソン大統領訪中時にまで持ち越された。
この時も、キッシンジャーは喬冠華外務次官と20時間におよぶ交渉を続けたが、大統領の北京出発の時間が迫ってくる。喬次官は、まとまらないのなら共同コミュニケを出さなくともよい、という虚勢を張ったが、米国側としては、それではニクソン訪中は失敗だった、ということになる。
結局、米国側は大統領の出発の12時間前に台湾問題で譲歩し、「上海コミュニケ」をまとめたのだった。
■8.「後で都合のようように解釈」■
こうした「時間のプレッシャー」のもとで、米国は中国側が主張する「一つの中国」という原則を受け入れた。しかし、そこでは「米国政府は台湾海峡のいずれの側の中国人も、中国は一つであり、台湾は中国の一部だとみていることを認識し、その立場には挑戦しない」という文言であった。
これなら、台湾側が「中国は中華民国という一つの国であり、台湾はその一部」という主張をしている事も米国政府は「認識」していることになる。極端な時間のプレッシャーの下で、キッシンジャーが考え出した天才的な苦肉の策である。
しかし、この苦肉の策も、老練な中国の外交術に手玉にとられることになる。中国側は後に「台湾は中華人民共和国の一部である事を米国が承認した」というように一方的にねじ曲げて解釈してしまう。
77年1月、カーターが大統領就任直前に、「台湾は(中国とは)別の国」と述べたことに対して、上海コミュニケ違反として批判した。さらに米国が台湾に武器を売却する都度、「上海コミュニケ違反」として非難した。
合意事項を含みのある文面にしておき、後の自分に有利な形に解釈する、という中国の戦術は、日本との交渉においても発揮されている。[a]
■9.「敵を知り己を知らば百戦危うからず」■
以上のような中国人の外交術は、天才的なものではあるが、様々な交渉において、繰り返し見られる一定のパターンである。
逆に言えば、そのパターンを知っていれば、こちらに有利な形で交渉が進められる。だからこそ、米国はこのレポートをまとめて、中国との交渉担当者に読ませているである。我が国の外交担当者や国際的なビジネスマンも、こうした研究が必要である。
「敵を知り己を知らば百戦危うからず」とは孫子の言葉である。(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(312) 「日中国交正常化」〜 幻想から幻滅へそもそものボタンの掛け違えは、田中角栄の「日中国交正常化」での「異常」な交渉にあった。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog312.html
■参考■
Japan On the Globe国際派日本人養成講座
- 2008/03/29(土) 06:00:08|
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■日本には創造促す教育が不可欠
≪少ない努力で目的に≫
日本人は、目的を与えられると、極めて少ない努力で到達する手法を開発する天才的能力を持っている。しかし逆に計算を覚えさせようと考えて筆算や暗算をやらせておくと、親が使っている電卓を探し出してきてやってしまう。親が使わせないで隠しておくと、友達のところへ電話を掛けて答えを聞いたり計算をしてもらったりして、肝心の頭脳の能力進歩という本来の目的を崩してしまう。
学問でも、算術程度なら社会へ出ても、簡便法を思いつく能力の方がばか正直より効果的なこともあるが、高度のことになるとやはり簡便法などでは間に合わないから、しっかりとばか正直に能力を養成してゆくことが必須になる。
電卓などがきっかけになって、子供たちの学習のあり方も、大幅に阻害されることになってしまった。その最大のものは、丸暗記である。私のように記憶力の弱いもののひが目かとも思うが、受験塾では何でも考えることなどせずに単純に暗記しなさいと簡便法を開発して得た結論を明快に指示し、若い人たちは超能力ともいえる暗記力を発揮して膨大な知識を暗記してしまう。
ところが、何時までに、どこまで暗記するかを予定して暗記を始めても、最初のうちは頭はもう一つの能力を発揮して「なぜだろう」「なぜかしら」と考え出してしまう。
しばらくして気が付いて、「しまった!予定に遅れた」と考えるのを中止して、再び暗記に戻ることになる。そして次第次第に考える習性がなくなってきて、頭の中にはわけの分からない短文がギッシリ詰まったような状態になってくる。前に暗記したことを間違えて新しく暗記したことが反対でも気がつかないという状態すら起こりうるのだ。
≪経済活動も頭脳がカギ≫
これまでのことを憶えているだけで済むのなら、これで何とかなる。科学でも科学技術でも単純な、これまで通りやれればよいというようなことなら、これで済むだろうが、創造しようとなるとこれではできない。
海外が不況だから国内対応の経済が重点になるとのことだが、内需が増して国内に売るときにでも、新しい優れた特性を持った商品開発も当然ながら必要である。そして古い型の商品を製造するときでも原料が必要で、これを全部再生で手当てするわけにはゆかない。新製品なら当然であるが、在来商品を作るにしても原料の輸入が不可欠で、その支弁のためには、海外市場から資金を獲得しなければならない。
つまり内需を開拓維持してゆくためには外需が必要である。結論として、日本のような資源のない国では、外需を開発することが経済振興のためには絶対必要であるということになる。
結果として華々しく海外貿易に乗り出すことをしなくても、海外に少量輸出して多額の原料を入手できる貿易を実施してゆくことが絶対に必要である。
つまり科学立国はもちろん、科学技術立国のためにも、日本人の頭脳活動がその源である。
このような時には日本人の頭脳活動を活発にして、ちょっと考えるだけで他の人よりもより高い、より多いことを思いつくようにしておかなければならない。現状を見て、先が読める力も重要である。これらができる頭脳を持った人間を養成しなければ日本の明日の繁栄はない。
≪複雑思考できる能力を≫
幼少のころから考えるように教育を実施してゆくことが、日本の教育に最も重要な事項である。そのためには入学試験の問題を一新して思考のいる応用問題や記述式試験を出すようにすることが大切である。
複雑な思考もできる能力を持たせるようにしてゆくことが大切になってくる21世紀社会に対応して、これまで以上に思考能力を高めるように教育を改良してゆくことが必要である。
単純な事項の結論を暗記していて、何とか対応ができても、現実の複雑な問題に対する対応は暗記できていないから、その場その場で解答を考え、かつ大量の解答をつなぎ合わせて、全体の解を求めなければならないことが多くなって来るのは当然である。
そのためには、個々の事象をよく理解して事象を見、また報告を聞いて、その結果を正しく導き出す能力つまり理解が十分に進んでいなければならない。どうなるか分からず、結論だけ暗記していても、結論を推定することもできないようでは、理系でも文系でも創造力は無論、応用能力すら欠くことになる。ましてや、暗記しただけで矛盾すら気がついていなければ、大事故にさえつながる。
【正論】
首都大学東京学長・西澤潤一(にしざわ じゅんいち)
- 2008/03/28(金) 06:00:36|
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国柄探訪 : 若者たちの職人道
一人前の職人を目指して、若者たちが様々な職場で仕事に打ち込んでいる。
■1.ケーキを投げつけられて■
田端友未さん(埼玉県、20歳)が初めて仕上げを任されてクリームを塗ったケーキをシェフに見せた。シェフはそれを友未さんに投げつけ、「お前はこんな物を店に出すのか」と言って背を向けた。
肩から腕からダラダラと溶けたクリームが流れた。友未さんは殴られたようなショックを受け、泣くのをこらえながら店頭に飛び出した。
私は絶望を感じて暗い表情をしているのに、ショーケースの中のケーキを眺めるお客様や子供達は皆笑っていた。その時初めて分かった事があった。人は何か特別な気持ちを持ってケーキを買いに来るのだ。人に笑顔や喜びを与える優しい力がケーキにはあるのだ。そして私は思った。私は負けない。いつかあいつを追い越して立派なパティシエになってみせる。[1,p48]
田端さんは高校卒業後、ケーキ職人を志して、このケーキ店に就職した。シェフはとても厳しく、バカヤローと怒鳴られない日はなかった。何かをする度に暴言を吐かれた。毎日泣きながら帰った。
そんな毎日が続いていた所、ある日突然、シェフが田端さんにケーキの仕上げを任してくれたのだった。これまでシェフの技術やアイデアから学んできた事を示すチャンスだと思って、自信を持ってクリームを絞った結果が、これだった。
それからも厳しい修行が続いたが、その店は区画整理にあって、廃業となった。別れ際にシェフは「残った者だけが本物になれるんだ」と言ってくれた。
新しく就職した店でも、田端さんは頑張っている。
私はとにかくシェフから信用を得たかった。だから細かいことを疎かにせず、常にシェフの行動から目を離さなかった。自信を持ちはじめた私は少しずつ成長していった。そしてパティシエになるという夢は目標になっていった。
■2.「おいしーね」、その一言がとても嬉しくて■
清水敦さん(東京、38歳)は、高校生のときに寿司屋のアルバイトをした事が縁で、和食の世界に興味を持った。仕事ははじめのうちは出前専門だったが、2、3カ月やっているうちに、お客様に出す簡単な仕込みを教わった。
自分が仕込みをした魚を食べたお客さんから「おいしーね」と言われる、その一言がとても嬉しかった。この経験が機縁となって、高校卒業後、料理界に入った。
料理の世界は奥が深い。追い回し(掃除、洗い物などの下働き)から始まって、魚・野菜の下ごしらえ、それができたら、サラダ、おしんこ、小魚のおろし。野菜の切り方も種類によって異なる。これらができるようになるまで2年から3年かかる。
その後でようやく「焼き場」を担当させて貰えるようになる。魚を焼くにも、野菜を焼くにも、一つひとつが違う。魚でも種類や大きさによって、火加減を調整しなければならない。さらに春夏秋冬、旬のものが2か月おきに変わる。2年ではとても覚えられない。
次は天ぷらなどの「揚場」、それができると煮物をつくる「煮方」。
レシピなどない、自分の舌がすべて。調理の世界は煮方で職人と、よくオヤジはいう、わかる気がする。・・・
その日の材料の生の味から味付けしていく、ジャガイモを煮るのに毎日味の調味料が違う。でもそこがプロの調理人だ。毎日平均同じ味に味付けする、とても不思議だ。[1,p77]
■3.「調理人は一生勉強していく世界だ」■
清水さんは調理人の道を歩み始めて20年になる。職人と言われる煮方になるまでに約10年かかり、その後、煮方で10年過ぎた。
親方に完璧にほめられたことはいまだない。昼休みにコーヒーやジュースを飲んでも「味が分からなくなるだろ」とどなるオヤジ。とても厳しいしすごくこわい。でもそんなオヤジの弟子で誇りに思うし、感謝している。
バブル後、大手会社の接待などに使われていた高級料亭がかなりつぶれた。安くておいしい店がうけている。
その流れに合わせ、なおかつ伝統の日本料理を守っていくオヤジの弟子で本当に感謝している。そのオヤジの口癖は「調理人は一生勉強していく世界だ」とよく言う。その言葉の意味がわからなければ職人として見てもらえないだろう。
それにお客様に対し「真心」「愛情」「感謝」の気持ちを持っていれば、料理の技術が進んでいても、決して手抜きはせず手作りの料理だと、それがお客様に返す真心だと思う。
そんな頑固オヤジは今の時代どれだけ残っているのか?私もそんな頑固オヤジの一人になるのはいつの日だろう。[1,p78]
■4.「バケツの重みが分かった時、お前も一人前だぞ」■
大塚博之さん(東京、25歳)は父親が左官業を営んでおり、小さい頃から父親が壁塗りをする仕事ぶりを見ていたので、いつか父親を超える職人になろうと思っていた。
中学を卒業すると、電車で30分くらいの所にある別の左官業の会社に就職した。父親の元ではどうしても甘えがでると思ったからだ。毎朝、5時前の電車に乗り、会社に着いたら倉庫を開け、掃除をし、先輩の職人達が職場に現れたらお茶を入れる。
先輩の職人達が仕事を始めると、バケツでセメントを運ぶことだけが、大塚さんの日中の仕事だった。中学を出たばかりで、まだ体も出来ていなかった大塚さんには、25キロものバケツを一日数十杯も運ぶことは大変だった。その重みが辛くて、逃げ出したかった時もあった。
親方からは「その重みが分かった時、お前も一人前だぞ」と言われたが、15歳だった大塚さんには、全く意味が分からなかった。
壁塗りの練習は、毎日昼休みに30分ほどさせてくれた。親方は「お金も大事だけど、自分達は物を作る仕事だよ、心をこめて初めて物と呼べるんだ」と、繰り返し大塚さんに言い聞かせた。
■5.「その重みがあるから今の自分がいます」■
弟子入りして3カ月目を迎えたある日、親方からこう言われた。「今日一日かかってもいいから、自分の力で壁を仕上げてみなさい」
大塚さんが「無理ですよ」と言ったら、思いっきりひっぱたかれた。「やる前から無理だったら、もう帰れ! そんなんじゃいつまでもバケツ運びだぞ! 職人が自信を持っていなければ仕事はいつまでもできないぞ! くやしかったら結果を出せ」その言葉に大塚さんはやる気を出した。
夜遅くなっても親方は最後まで見守っていてくれました。でき上がった時の喜びは、今でも忘れません。仕上がりを見て親方に「やればできるだろう、その自信を忘れずに、これからはたくさん壁を塗れ」と言われました。[1,p11]
仕事を覚えはじめの頃は、先輩の塗り方が違うのにとまどった。最終的に仕上がりは同じでも、皆仕事の進め方が違うのである。結局、大塚さんも自分に一番あったやり方を見つける事ができた。
月日がたち、やがて大塚さんは、一つの現場を任されて、材料の搬入から、職人の段取りまで、親方の代わりにやれるようになった。その時、親方は一人前になったと認めてくれた。
親方に「覚えているか? お前がバケツが重たいと言ってた頃に、俺が言った意味が今なら分かるか?」と聞かれました。私は、自信を持って言いました。「その重みがあるから今の自分がいます。自分にも弟子ができた時、その辛さが分かります。その重みがあるから一生懸命仕事を覚えることができました。今までありがとうございました」と言いました。[1,p13]
この道に入って11年。大塚さんは今は京都の寺院に残る伝統的な左官の技術に興味を抱いている。「いつまでたっても職人は、修業の毎日だと思います」と大塚さんは言う。
■6.「人の心に何かを響かせるようなものを彫りたい」■
山形県で生まれ、埼玉県の会社に就職した佐藤努さん(29歳)は、何かを作る仕事をしたい、と思いつつ、それが見つからないまま、会社勤めも6年目に入っていた。しかし、休みの日に鎌倉を訪れた時、転機が訪れた。
山道にひっそりと佇(たたず)む野仏を見つけて、そのやさしい顔に心を奪われた。そうだ、自分もこんな仏像を彫りたい。人の心に何かを響かせるようなものを彫りたい。その野仏は石のようなものでできていたが、なぜか私はこの時、自分は木に彫ってつくりたいと思った。木彫師になろう。仏や地蔵を彫る仕事がしたい。[1,p101]
木彫師の弟子入りをさせてくれる所を探していた所、ある雑誌に、浅草の江戸伝統木彫りが紹介されていた。これは、と思って、早速行ってみると、すでに同様な希望者が何人も来ていた。
師匠は海坊主のような風貌の人で、いかにも下町の職人という感じの恐そうな人だった。訪ねて行った私と少しだけ話をし、採用するともしないとも言わず、ただ「見学なら勝手に来い」とだけ言われた。それでもこれしかないと思った私は、次の日から弁当を持って毎日そこに通った。最初は見学、そして雑用、そのうち木片を与えられ言われたものを彫って見せたりした。[1,p102]
1ヶ月半が過ぎて、ようやく弟子入りが認められたが、40人近く来た中で残ったのは、二人だけだった。
怒鳴られることは当たり前、彫刻刀の柄で殴られることも日常茶飯事だった。何度、師匠から「やめちまえ」と言われたか分からない。
■7.「自分は今、夢の途上にいる」■
そんな日が5年も続いて、ようやく、招き猫や七福神といった小物から、ついに社寺彫刻までやらせて貰えるようになった。
宮大工の手によって、自分が彫刻したものが神社に組み付けられるのを見た時、何とも言えない熱いものが胸に込み上げてきた。今まで社寺彫刻は工務店に納めるだけで、実際に組み付けた状態を目にすることはなかった。しかし今回はじめて師匠の心遣いで、長野県のあずみ野まで職人たちと見に来たのだった。会社員をやめて江戸彫刻師に弟子入りしてから5年、やっとここまできた・・・そんな思いでいつまでも見上げていた。[1,p100]
「そろそろ引き上げるぞ。」 この5年間の様々な出来事を思い返していると師匠に肩を叩かれた。
職人の世界で5年目といったら、まだほんのひょっこだ。人の心を響かせる作品を彫れる日はまだまだ遠い。「よしっ、これからもっともっと頑張るぞ」。自分は今、夢の途上にいる。今にも雪を降らせそうなあずみ野の冷たい空気が、高揚した頬に気持ち良かった。[1,p104]
■8.「職人」と「労働者」の違い■
以上、職人への道を歩む4人の若者たちの姿を追ってみた。
『職人学』『職人力』などの著書で、職人の生きざまを小説やノンフィクションで描いている小関智弘氏は、「職人とは、ものを作る手だてを考え、道具を工夫する人のことである」と述べている。そして、「与えられる仕事を、教えられたとおりにすればよいなら、それは単なる労働者にすぎない」と言う。
確かに、ここに登場する若者たちは、それぞれの仕事の手だてを一生懸命に工夫している。マニュアルを与えられて、ロボットのようにそれをこなしていれば給料を貰える「労働者」ではない。
さらに、ここで紹介した若者たちの生き方を見ていて気がつくのは、職人とはもう二つの点で、労働者とは異なるという事である。
第一は親方の存在である。若者達は親方に怒鳴りつけられたり、励まされたりしながら、職人の道へと導かれていく。
第二は客の存在である。職人たちは心を込めて作った物やサービスを、直接、客に提供する。それによって客が喜んでくれる事が、何よりの励みとなる。
親方や客とのつながりの中で、職人たちは自分の腕を磨いていく。人生の意味も幸福も、人とのつながりの中でしか存在しない。仕事の修行すなわち人生修行と考える日本の職人道の伝統は、まことに奥行きの深い人生哲学である。[a,b,c]
■9.様々な職場で心を込めて仕事をする「職人」が増えていけば■
職人というと、ここで紹介したような調理師や彫刻師といった手仕事の分野のみを想像しがちだが、「自分で工夫する」「師匠を持つ」「顧客の喜びを追求する」という点から考えれば、コンビニでのアルバイトでも「労働者」と「職人」がいるはずだ。
コンビニで指示された通りに働いている人間は「労働者」だが、商品をどう陳列したらよく売れるのか、お客さんにどんな対応をしたら喜んで貰えるのか、と工夫しながら仕事をしている人は「職人」なのである。同じ事は、サラリーマンや教員、公務員の世界でも言える。
様々な職場で心を込めて仕事をする「職人」が増えていけば、一人ひとりは幸福な国民となり、その仕事を通じて国家は栄えるであろう。
■リンク■
a. JOG(274) 日本の技術の底力幕末の日本を訪れたペリー一行は、日本が工業大国になる日は近いと予言した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog274.html
b. JOG(294) ニッポンの明日を開く町工場誰もやらない仕事に取り組んでいるうちに、誰にもできない技術を開発した金型プレス職人。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog294.html
c. JOG(321) 100万分の1グラムの歯車世界一の超極小部品を作る職人技が日本企業の明日を示す。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog321.html
■参考■
Japan On the Globe国際派日本人養成講座
- 2008/03/27(木) 06:00:56|
- 世界と日本
-
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